スキルアップ

バンド活動一色。からの、クリエイティブとブランディングで社会の役に立つ生き方

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

死にかけて気づいたこと。やりたいことをやるのか、やってほしいことをやるのか。何のために仕事をしているのか、ひたすら生きることにもがき続け、たどり着いたクリエイティブ、ブランディングへの想いについて伺いました。

バンドが自分のすべて

大学生のころは、ひたすらバンド活動ばかりしていました。今思えばもったいないというか、親に申し訳ないのですが、大学の授業にはほとんど出ておらず…(笑)。多い時は3つ、4つのバンドを掛け持ちしていました。スタジオでの練習、ライブハウス、バイト。毎日この繰り返しでしたね。バンドをやるにはとにかくお金がかかるためいつもお金がなく、2、3日何も食えないということもありました。彼女と同棲をはじめるとさらにお金がかかるようになり、空いている時間はほとんどバイト。入学当時62キロあった体重が49キロにまで落ちました(笑)。

月日は流れ大学3年の終わり、ついに就職活動がはじまりました。けれど当時は「音楽でメシを食っていくんだ」くらいに思っていたので、大学OBのリクルーターからの(せっかくの!)オファーもすべてスルー。本気で就職活動に取り組んでいませんでした。強いて挙げればクリエイティブっぽい仕事かなという感じで、テレビ局や大手広告代理店などを受けてみることにしました。奇跡的に2社ほどテレビ局の最終面接に進みましたが、本気でないことが伝わったんでしょうね。最後は役員の方々を怒らせてしまいました。

結局どこにも就職が決まらないまま卒業を迎えました。そこではじめて自分の境遇に気づいたというか、「あ、おれには何もない」と。たしかにバンド活動は、いくつかの大会でタイトルなどももらいましたが、じゃあプロとしてやれるかと問われれば、正直そうでもない。これで生きていくんだという仕事もない。それであらためて自分のやりたことはなんだろうと考えてみたとき、ライブで声をかけてくれたお客さんのことを思い出しました。「ライブに来て、元気が出たよ」という声。「そうか。誰かに喜んでもらえるからこそ、音楽をやっていたんだ」と初めて理解しました。その一方で、過去の自分を振り返っているうちに、大好きな作家の小説に登場した、CMディレクターの主人公が浮かんできました。その瞬間すべてが繋がり、広告代理店に就職しようと思い立ったんです。

クリエイティブで経営者と真剣勝負

ありがたいことに、つてをたどって広告代理店へ潜りこむことができました。入社後の配属はマーケティング部門。「学校」という異名をもつ広告代理店ということもあり、本当に丁寧に教えてもらいました。やさしい先輩たちに囲まれて、それはそれでいい環境だったと思います。けれど…。どこかしっくりこない。自分はやっぱりクリエイティブがやりたいんだ、自分の手でつくったもので喜んでもらいたいんだ、という想いは募るばかり。上司にクリエイティブへの異動が可能かどうか尋ねてみると答えはNO。クリエイティブ職は外部で実績を積んだ人だけをクリエイティブディレクターとして雇うということがわかりました。ここにいたらクリエイティブ職にはなれないという現実。まわりには申し訳なかったのですが、転職しようと考えはじめていました。

そんなとき、よく読んでいた広告批評という雑誌にパラドックスの求人広告が掲載されていました。キャッチコピーは、「クリエイティブで、すごい経営者と真剣勝負しないか」。直感的にこれだ、と感じたのを覚えています。まだ4人の小さな会社でしたが、有名な広告賞の受賞歴もあり、少数精鋭という印象でした。きっと生易しい環境ではないだろうなと思いましたが、どうせなら難しいところに挑戦したい。そんな想いで門を叩くことにしました(後になって、それはもう、本当に大変な仕事だと思い知らされましたが…(笑)。

答えは必ず自分のすぐそばにある

パラドックス入社後は、ひたすら求人媒体の広告制作に没頭しました。当時のパラドックスは、売上全体のほとんどがリクルート社のメディアのクリエイティブでした。ビーイング、とらばーゆなど週刊の求人情報誌がメインで仕事量は膨大でした。多いときは、1週間に20本以上の広告を制作していました。まだ10人以下の会社ですし、制作以外にもやることはたくさんあります。アポから帰ってきて夜遅くまで請求書をつくり、それを最終電車で届けにいって、そこで力つきて眠るなんてこともありました。徹夜は当たり前。でも、リクルート社の営業とタッグを組み、お客様の懐深く入っていく仕事は楽しくて。ときにはクライアントの社長に行きつけのお店に連れて行ってもらったり、そこで「御社の課題はここだと思います!」なんて偉そうな話を聞いてもらったり。何より採用成功に結びつくことでお客様に喜ばれるのは大きなやりがいでした。

その後、だんだん社員数が増え、リーダーとしてチームを任されました。リーダーとは言っても自分は社内最年少であり、マネジメントするメンバーは年上の先輩ばかり。どうマネジメントしていけばいいかわからず、いつまでたってもプレイヤーを脱することができませんでした。膨大な制作量を抱え休みもなく、忙しさに加えてリーダーとしてのプレッシャーもあり、徐々に精神的に追い詰められていきました。

そして、自律神経失調症を発症。朝は起きられないし、PCの前に座ってもキーボードを打つことができない。なぜか身体が動かない。異変に気付いた妻がすぐに私を心療内科に連れて行ってくれました。開口一番、「よく生きていてくれました」という医師の言葉を聞いて、自分の状態をやっと認識することができました。会社に事情を話すと、すぐにサポートしてくれました。半年間の休みをいただき、治療に専念。27歳の冬。この期間が、自分にとってのターニングポイントだったと思います。

じつはこの間に子どもが生まれたんです。父親になったことで、何かが変わったような気がしました。仕事を離れている間、ずっとこれまでの人生について考えていました。こんなんじゃない、自分はもっとできるはずだと、理想と現実とのギャップに苦しんできたこと。後から入社した後輩たちがどんどん大きな広告賞を受賞し、それが悔しかったこと。それはたぶん、隣の芝が青く見えていただけ。もっと言えば、自分に勲章が欲しかっただけ。自分のための人生だった。

でも、子どもが生まれて、自分の人生は自分のためじゃない、と気づきました。じゃあ、自分が本当にやりたいことは何だ?と考えたら、やっぱり誰かに喜んでもらえるものをつくりたい。人の人生、企業の人生、重要な局面で役に立てることがしたい。そして、少しでも世の中を元気にしていきたい。それはできないのか?と考えたら、ぜんぶできる環境にあったことに気づけたんです。

半年後、会社に復帰すると何も変わらない仲間たちがそこにいました。担当クライアントから続々と連絡が入り、「君が戻ってやっと仕事をお願いできる」と言ってくれたクライアントもありました。そのクライアントは私が復帰するまで他の会社に発注しないでいてくれたそうです。社長直々に、関係者を集めて復帰祝いをしてくれたお客様もいました。涙が出そうなほど嬉しかったです。期待してくれるお客様も、助けてくれる仲間も、ここにすべてがあると思いました。悩んでも、きっと答えは自分のまわりにある。「あれやりたい、これやりたい」というwantではなく、「これをやってほしい」というmust(期待)に応える生き方をしよう。そう思えたとき、不満というものが一切なくなったんです。

企業理念?自分の理念です

自分にしかできないこと(私でいえばクリエイティブとブランディングの領域)で、社会や人の役に立ちたい。そういう志が腹に落ちてからは、びっくりするほどノーストレスになりました。仕事があるということに、感謝しかない。そういう体験もあってか、「志の実現を応援する」というパラドックスの理念は、完全に私自身の理念になりました。

会社の事業フェイズも大きく進化し、今では取引のほぼすべてがクライアント直。経営者との仕事も多く、ブランディングがメイン業務になっています。理念構築、理念浸透など、企業の人生、志実現にかかせない重要な局面の仕事も多く、パラドックス全体ではここ数年で50社以上の理念構築に携わっています。今後益々ブランディングの仕事は増えていくと思います。

世の中のゴミ問題を解決していくための商品のブランディングや、不動産投資のイメージを変えていく企業のブランディング、大切な人材を採用するための採用ブランディングなど、コミュニケーションの戦略構築からアウトプットのクリエイティブまで、一貫してお手伝いさせていただいています。

「いや、実はさ…」と打ち明けていただける経営者の悩みに対し、本気で応えていく。そしてそれが、その会社のみなさまはもちろん、世の中をよりよくしていくことにつながっていく実感。畏れ多くもあり、ありがたくもあり。充実した日々を送っています。最近では、地方学生の志実現を応援していくカフェや、人材紹介、教育事業など、自社の新規事業開発にも関わっています。忙しさも加速していますが、やりがいも加速している。そんな感じですね。

日本には、本当にすばらしい企業や人がたくさんいると感じています。そういう方々の役に立つことで、日本のいいものがもっと盛り上がり、それを見て日本のみんなが誇りを持てたり、世界にいい影響を与えたり。クリエイティブというアイディアを振り絞って、そういうことをやっていきたい。なんだか大げさな話ですが、そんなことをちょっと本気で考えていたりもします(笑)。

おすすめの記事

大手企業からベンチャーに転職して成功する人材とは
ベンチャー・中小企業から大企業へ転職するには

yusuke
鈴木祐介 (36)
経歴:

22歳 広告代理店にてマーケティング部門に配属

23歳 パラドックスに転職。アシスタントとして入社

27歳 パラドックスにてディレクター・コピーライターに従事

30歳 クリエイティブディレクターに就任

36歳 ブランディング・ディレクターに就任


充実度

充実度: 87点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

メッセージを送る

このインタビュー記事についてご意見、ご感想などありましたら、
ぜひメッセージをお送りください。

メッセージを送る