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ビジネスと教育どちらも経験した自分だからできること。日本の教育に変革を起こす

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新卒でベンチャー塾に入社し、ビジネスと教育の葛藤を抱いていた梅原さん。そんなとき訪れたチャンスにのって、米国へ。学生と教員を両立しながら、米国の教育と日本の教育の違いを肌身で実感していきました。東日本大震災を契機に、現地の学生と日本への募金活動のため、様々な活動を行いました。生き生きと変化した学生の可能性に大きな希望を感じ、帰国して大学の英語教師としてのキャリアをスタート。日本の教育を変える活動と同時に、日本の学生の可能性を広げるための活動にも力を入れる梅原さんにお話をお伺いしました。

留学により身につけた英語力を活かし教育の世界を志す

大学がアメリカだったので、アメリカで就活して、多くの企業が集結して3日間ほどで内定が貰えるボストンキャリアフォーラムに行きました。アメリカの大学に通っていると、就活する暇はなかなかないので、そうじゃないと困るみたいなところがあったんですけど。就職のためにそんなに用意する時間もないし、先生もそのために何かしてるわけじゃないんです。

そこで、日系の会社や向こうの会社など全部で5社程の内定をもらいました。僕の場合、アメリカに行ったこと自体がノリみたいなものだったんですけど、就活もそうで、結局全部の会社に対して、仕事内容が絶対面白くないだろうと思っちゃった(笑)。その結果やっぱり日本に帰ろうと思って、結局内定を辞退しました。でも根源にあったのは、教育をやりたいなという気持ちだったんですね。学校とかではなくて、ビジネスとして教育に取り組んでいる会社に入りたいなと考えていました。

それは、アメリカでの影響が大きかったです。僕はもともと英語が大嫌いで、最初は体育の先生になりたくて、国立大学の教育学部にも合格していたんですけど、たまたまうちの母親が、もしどこも合格しなくてどうしようもなくなったら、留学もありなんじゃないかと言ってもっていたチラシが目に入りました。ふとそれを見て、4年間日本の大学で当たりさわりのない楽しさを味わうよりは、留学してみようと決心しました。アメリカの大学に通って、英語ができることで、広がったことが多くありました。そこでもともと大嫌いだった、英語の先生になりたいと思うようになりました。

ビジネスとしての教育に疑問を抱いた、ベンチャー時代

しかし、自分は希望してもなかなか採用試験に受からなくて(笑)、たまたま小さなベンチャー塾に目をつけてもらいました。そこの塾長が心意気のある人で、「勉強半分、人生半分」で教えるという方針を持っていたことに魅力を感じました。当時は全国に5校舎くらいの規模で、各校舎100人弱、トータルで400人くらいの生徒数だったと思います。

そこに入って、結構楽しく、初めて社会人生活をスタートさせました。そこでは、生徒の入塾促進や保護者面談、説明会など、実際に授業を行うよりも運営側がメインでした。事務作業が多かったんですけど、今までそういう経験もなかったですし、運営とはいえ実際にやってみて、広い意味で生徒たちに何かを提供できること、そういったシステムを作るということに大きなやりがいを感じました。生徒たちに還元されていく部分も自分の目で見えたことも大きいです。

ただ、向こうの大学に通っていた影響からか、自分の意見をかなり積極的に発言する人間だったんですよ。そうしないとやっていけない環境に置かれていたので。日本の会社に入って、ミーティングで空気を読むみたいなことがわからなくて… 入ったばっかりの時から、自分の言いたいことをなんでも割と言ってしまっていて、上層部の人は面白がって興味をもってくれた人も多かったんですけど、やはり面白くないと思う人も多かったようです。

やたら生意気だなと思われてしまいました。しかし、自分のキャラもあって生徒との距離はかなり近くなって、塾自体の生徒数は伸びるようになっていきました。言いたいこともいう、そしてビジネスの結果もそれなりに出す、そうなると、軋轢とまでは言わないんですが、この人たちは自分をよく思っていないんだろうなという雰囲気を社内で感じるようになりました。

総じてやりがい持って働いていたのですが、少しずつ葛藤も出てきました。というのは、結局「塾=ビジネス」だなと感じることが増えてきたんです。これって僕のやりたい教育なのかなと。僕は自分の人生観として、小学生の間は死ぬほど遊んだほうが良いと思っていて、しかし塾側の立場からしたら授業のコマ数をとらせることがビジネスじゃないですか。

保護者に提案を出さなければならなくて、僕はそれが違うなと思うことが多かったんです。会社のためになることと、子供のためになることが合致しなくて、ビジネスというよりもどちらかというと教育がやりたい自分としては思い悩む要因となりました。

そういった気持ちが芽生えたのは入社して1年後くらいでしょうか。だんだん、お金がないと塾に通えない人間がたくさんいるんだなと気付き始めて、塾はここに受かるためにはこの授業をとってほしいという提案を出すと思うんですけど、その授業を取らなかったら、落ちるというわけでもないなと。そういう風に考えだすと、塾にかかるコストというものに疑問を抱き始めるようになったんです。お金の払える人にしか良い教育が受けられないことはおかしいと思うんです。

自分がやりたいことはここでは実現できないと思いました。そこで、近くの公民館で英語を教えることを始めました。どうしても塾だと、すべてが受験勉強につながると思うんですけど、受験英語ではなくて、もっと違うやり方で英語を学ぶ方法があるんだぞっていうのを、生徒に伝えたいと思って。なんだかんだ生徒数も増えて、保護者の信頼も、結構厚くなっていきましたね。塾との方針の兼ね合いの中で、なんとかバランスをとりました。

再び渡米のチャンス到来、学生と教員の両立へ

そんなときに新規の教室が開校されることになって、僕がそこの教室長として選抜されました。自分の好きなように校舎をひとつ運営できることは、かなり魅力的だと思ったんですが、ちょうどそのとき、自分の中でもう一度アメリカに行きたいなという気持ちがあったんです。そのタイミングで、アメリカの大学に日本語を教えに来ないか、という誘いが舞い込んできたんですね。

2年目でまだ時期も早いなと感じていたことや、プライベートもあり、すごく迷いましたが最終的に、渡米を決意しました。会社は休職という形をとりました。それからは、大学院に通いながら、授業までの時間を大学で日本語の教員として働くという形で過ごしました。教員としての給料で、院の学費を賄うという感じでした。

そんな時、2011年に東日本大震災が起きたんです。そのときの経緯が、今手がけているHONKI universityを始めたきっかけに繋がっています。基本的に向こうで日本語を学習する生徒って、日本のアニメが好きとか、オタク気質があってあまりイケてるって感じではなかったんですよ。

震災が起きた時に、僕は何人か現地にいた日本人に対して、せめて募金くらいしてみないかと呼びかけたんですよ。でも、彼らは自分達がそれを行ったとこで微々たるものだ、と言って消極的でした。いてもたってもいられなくて、その日本語を学ぶ学生たちに呼びかけてみたんです。そうしたら、彼らはすごく積極的に、意欲を見せてくれました。

チームやシフトを組んで、図書館前で募金活動をすぐに始めて、最初の1週間で10万円集まりました。次に彼らにソーラン節を教えこんで、いろんな場所でパフォーマンスを披露すると同時に日本の現状を知ってもらうという催しを行いました。また地域で日本フェスティバルのようなものを開き、企業に協賛を募ってイベントを一緒に行いながら募金を集めていきました。最終的に100万円くらい集まったと思います。そうやっていくうちに、学生たちの変貌ぶりに気付きました。

チームとしてのまとまりや、リーダーシップ性が芽生えていっているなと。学生ってこんなに変われるんだなあと思って、今まで多くの人前でしゃべれなかったような学生が、日本のためにこんなに頑張れるんだ、と思って感動しました。僕自身も、地域を盛り上げたという業績が評価されて、賞も頂きました。

ちょうどそのとき、ワシントンでさくら祭という、AKBなんかも来るような大きなイベントがありまして、そこに出ようと。そこで、大学が自分達の団体のために資金を出してくれるまでになったんです。学生って本当に変われるんだなあと強く感じました。震災がなければ、そのままアメリカにとどまったんですが、その後帰国を決意しました。

米国と日本の学生の違い、日本の教育の問題点に気付く

帰国して、教育系の仕事を探していく途中で、立教の英語の授業がすごく面白いなと思いまして、採用試験を受けました。採用されて、初めて日本の大学生というものを知ったんですけど、これはまずいなと思ったんですよね。なんていうんでしょう、、、学生が楽しいと思っていることのレベルがすごく低いのではないかと感じたんです。

飲み会行ったり、アルバイトに励んだり。。。もちろんそれが悪いわけじゃありません。でももっと人生楽しいことがあるのに、それに気付いていなくて、学生で悟っちゃってる子が多いのではないかと思うんです。

でもそれって最初は学生に非があると感じてたんですけど、話を聞いていくうちに、実は、日本の教育や世の中の大人のせいがあるのかなと思ったんです。社会人になって働いている大人が辛そうで、つまらなそうで、学生は今を楽しむしかないと思ってしまってるのかなと。彼らの周りにかっこいい大人のロールモデルが存在しないということに問題を感じました。

「仕事=楽しくない人生の始まり」というような刷り込みのある日本の教育、もしくはそのように思っている学生の意識を変えたいなと思うようになりました。そこで楽しく働く大人や、もっと多くの学生と関わって広い世界を知ることが、彼らにとって大きな影響を持つんじゃないかと思いました。

そこで、HONKIUniversityをつくりました。HONKIには、「本当の気持ち」という意味が込められているんです。テキサスの学生の変わりように大きな感銘を受けたので、日本の教育や日本の学生達にも何か変化を起こしたいと考えてつくりました。現在は学生が約20人くらいで、基本的に自分達のやりたいことを自由にやってます。立教の学生を見ていて、「意識高い」系をかっこ悪いと思う風潮があるなと感じていて、そういう風潮の狭間で居場所がないような学生のために、自由度の高い空間かつ、何かやりたいとアクションを起こしたいときにそれが可能な場所を与えたいなと思っています。

ギネスに挑戦してみたりだとか、北海道の離島のイベントに学生を派遣したりだとか。教育系の情報サイトの作成など、それぞれが本当に自由にやりたいことになんでも取り組んでいますね。何もやっていない子もいますよ(笑)ここにいたら、なんとなく安心感を得ているような感じの子もいます。他団体との関わりの中で、学生を巻き込んで楽しく活動しています。

英語、そして教育を通じて自分が伝えたいこと

立教では英語でのディスカッションクラスを受け持っています。最大8~9人で、週ごとにテーマがあって、ターゲットフレーズを学んでいます。ディスカッションの内容自体は自由で、議論の組み立て方とフレーズの学習がメインですね。立教の教養科目の中では断トツで人気の授業だと思います。最初は学生も英語で話すことに戸惑いますけど、実際にやってみるとかなり楽しいと思います。

自分がなぜ教育に目覚めたのかは、留学がきっかけです。留学当初は、もともとスポーツが好きだったので、スポーツビジネスを専攻していました。カリフォルニアにいたときに、サッカー部に所属していたんですが、半分くらいがヒスパニックだったんです。そこで貧富の格差をものすごく実感したんですね。

アジア人はひとりで、白人とヒスパニックが半々のようなチームにいました。メキシコ人の方々は、自分みたいな人間にすごく優しくて、温かくて。もともとはビジネスを学んでいたんですけど、こういう温かさっていいなと。「誰といるか」ってすごく大事な要素なんだなと実感しました。

アメリカは日本よりも、極端な差を目の当たりにする機会があったので、11人のサッカーチームの中で感じることが多くありました。時間やお金はあった方がもちろん良いとは思うんですけど、もっと自分が大事にしたいものがあるんじゃないかなあと。それが、人生において多くの人と出会うこと、多くのことを知ること、いろんな可能性や生き方があるということ知ってもらうということが、何かを乗り越えたり、希望を見出したりするきっかけにつながっていくのではないのかなと思うようになりました。そこにおいて、英語は大きな可能性を持つ言語なので、便利だなと考えたんですね。

考え方、話し方、いろんなことを教えやすいなと思って、学生に英語を伝えていきたいと思うようになっていきました。これからのビジョンとしては、日本の教育において、英語の可能性をどんどん伝えていきつつ、日本の学生がはやく大人になりたいと思えるような社会をつくっていくことに貢献していきたいと考えています。

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梅原 洋陽 (29)
経歴:

米国大学卒業後、新卒でベンチャー塾に入社 運営業務を担当

24歳 再び渡米 2年半大学院に通学しつつ、日本語教員として大学に勤務

26歳 東日本大震災を契機に帰国 立教大学で英語講師として勤務スタート


充実度

充実度: 71点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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