やりたい仕事へのチャレンジ

ルート営業から看護師への転職。後悔しないために挑戦し続ける

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会社員時代に係長に誘われて参加した自主制作映画での気づき。小学生のころ、友人に言われた強烈な一言。
様々なできごとが岩佐さんの人生を刺激し続けた結果、たどり着いた人生を前向きに楽しむ生き方とは。
ルート営業から看護師という異色な転職を遂げた岩佐さんにお話を伺いました。

ルート営業の仕事をしながらお笑い芸人を目指す

2014年の10月からいまの病院のICUで看護の仕事をしています。ICUの仕事は自分にとって一番の憧れの仕事であると同時に、一番向いていない仕事だと思っています。僕はあまり手際がいい方ではないので、色々なことを同時にテキパキとこなすことができないんです。でもICUではそれが求められる。テキパキと正確に仕事をこなすことが。
なので、正直言っていますごくきついです。

大学を卒業してすぐ、包装資材などを扱う会社に就職しました。そこではルート営業の仕事をすることになるのですが、平日は朝から夜中の1時ころまで働くこともあったり、休日にも会社から電話がかかってきて仕事に行ったりと、毎日ぐったりしながら働いていました。
実は、大学時代から友人とお笑い芸人を目指してずっと活動を続けていて、就職してから1年経ったくらいのとき、会社の係長に「お笑い芸人になるから会社を辞めたい」ということを伝えました。
会社を辞めることを伝えた、と相方である友人に意気揚々と連絡したところ、その友人からちょっと話したいことがあるから飲みに行こうと誘われました。誘われるがまま居酒屋に行き話を聞いていると、相方が「俺お笑い芸人目指すの止める」と言い出したんです。それを聞いて唖然としてしまい、会社辞めるって言っちゃったしどうしよう、みたいな感じで頭が真っ白になってしまいました。
まったくどうしていいかわからなくない状態で、でもとりあえずこのことを係長に伝えようと思いました。
相方が止めると言い出した経緯を伝え、それでも最後に勇気を振り絞って「ひとりでもお笑い芸人目指します!」と言ったのですが、不安な表情を顔いっぱいに浮かべながら言うものだから、僕が迷いに迷っていることがばればれだったと思います(笑)。
そこで係長から「お前そのまま芸人目指して本当に大丈夫か?俺には全然大丈夫に見えないよ。お前が自分のやりたい道を進むって言うんなら止めないし、頑張ってほしいと思うけど、俺にはお前が迷ってるように見えるんだよ。どうせもう相方居なくなったんだろ?休日も暇になったんだろ?だったら1年間だけ俺にお前の休日を預けてみないか?いや半年でもいい。もし、そんな中でおまえがもう大丈夫!会社辞めて芸人目指す!って準備が出来たとき、そのときに会社を辞めればいいよ」というようなことを言ってもらえたんです。
実はその係長は休日を使って自主制作の映画を作っていて、僕にその現場に来ないかと誘ってくれたんですね。この出来事にすごく感動してしまって、もうとにかくこの人に付いていこう!と素直に思いました。
その自主制作映画にはセミプロの役者さんなども参加していてかなり本格的なものでした。そこで僕は音声などの様々なサポート役などを担当することになったのですが、実際にその自主制作映画の撮影現場などに立ち会っているとき、彼らの映画との向き合い方に打ちのめされてしまいました。情熱を持って映画制作に取り組むみんなの姿は真剣そのもので、自分が芸人を目指したいと思う気持ちはどこまで本気なんだろうか、その情熱はどの程度のものなのだろうかと考えさせられました。
そんなある日、監督である係長が撮影中に僕の目の前で転んで頭蓋骨を骨折してしまい、重体となって入院することになってしまうんです。その後しばらくしてから係長は別部署で復帰することになるのですが、この出来事は自分にとってすごく大きな出来事で、また、そのとき「人間ってこんな簡単に壊れてしまうんだなぁ」とショックながらもぼんやりとそんな思いが頭のなかにありました。
そんな出来事もあり、自主制作映画は活動自体を止めてしまうのですが、自分のお笑い芸人に対する気持ちがどのくらいのものなのかを気づかせてくれた係長にはいまでも感謝しています。
そして、結局僕はお笑い芸人を目指すことを止めることにしました。

仕事のやりがいとは何か

自分がお笑い芸人を目指す気持ちが薄れていく一方、情熱的に生きる人たちを間近で見ていたことで、自分も真剣に打ち込める何かに挑戦したいと思う気持ちが強くなってきました。
ルート営業の仕事は毎日同じ取引先に出向き、同じような毎日を繰り返す日々です。きつい部分はたくさんありましたが、それは仕事に対するやりがいではなく、ただフィジカル面できついだけ。何か大きな課題を解決するために全力を尽くす、といったようなものではありません。「このままこの仕事を続けていても自分に何も残らないのではないか」「いま自分は成長出来ているのだろうか」そんな不安が徐々に大きくなっていきました。
そんなことを考えられるくらいだから、実は仕事だけに関して言えばきっと精神的にも余裕があったんだと思います。そんな余裕がある状態なので、いま思えばその状況でも出来る何か、例えばスキルアップのためのスクールに通うとか、習い事をはじめるとか、そんなちょっとした行動を起こすだけでも本当は良かったのかもしれません。
でもその当時の自分には、その不安を解消する方法はもう会社を辞める以外に考えらませんでした。というのも、やりがいや充実感というのは、仕事の中にこそあるものだと思い込んでいたらからです。
そこで看護師になるための勉強をするため、思い切って会社を辞めることにしました。

会社を辞めて看護師の道を目指す

ルート営業の仕事をしていたころ、営業は人に頭を下げるのが仕事だと思っていて、そうすると、例えば飲食店などで店員の態度が悪かったりすると、ものすごく腹が立ってしまうんです。いまはもうそんなことないですけど(笑)。自分が我慢して頭下げて仕事しているものだから、自分がお金を払う立場になったときにそうされないと不満が出てしまうんですね。
自分が何かそういった嫌な奴になってきているのを頭の片隅で認識はしていて、そういった小さな違和感みたいなものが少しずつ、でも確実に積み重なってきていたんです。
その反動のように、人のためになる仕事がしたいと思うようになりました。自分が関与することで人に喜んでもらえる、そんな仕事がしたいと。
そこで自分が素直にやってみたいと思える職業が看護師でした。医療の世界で人のために尽くす仕事なら、やりがいや充実感もきっと大きいだろうと。また、あの事故で係長が重体となってしまったことを目の当たりにした経験も、医療の道を目指そうと思えたきっかけのひとつでもあると思います。
やりたいと本気で思えるものが見つかってしまったら、もういてもたってもいられません。半ば勢い的に会社を辞めてしまいました。
そして、看護学校に入学するため1年間塾で勉強することにしました。会社はもう辞めてしまっているのでもうここはやるしかありません。塾に通いはじめてからは毎日12時間は勉強していました。結果、看護学校にも無事入学でき、塾での1年間も含めてまる4年間はずっと勉強の日々。20代も後半の時期に思いっきり勉強だけに打ち込めたことは、いま思うと本当に幸せだったと思います。働いていたら勉強したくてもなかなか出来ないこともありますからね。

泣き虫だった少年時代

元々勉強が得意だったわけではありません。中学生まではそれなりに勉強をしてまあまあの成績をとっていましたが、高校生になってからはまったく勉強しなくなり、テストの点数は毎回後ろから数えたほうが早いくらいでした。
また、小学生くらいまでは本当に泣き虫で、何かあればすぐに泣いて助けてもらおうというような甘えた性格でした(笑)。
小学校4年生くらいのころ、地元のサッカースクールに通いはじめるのですが、初めての練習の日、みんなでグラウンドをランニングしているときにひとつ上の先輩が後ろから自分の靴を踏んで脱がそうと意地悪をしてきました。
案の定僕はすぐ泣くのですが、それに気づいた同級生の友人が「どうした」と声をかけてくれました。半分靴が脱げている僕の姿を見て察した友人が言ってくれた言葉はいまでもはっきりと覚えているのですが、「ここじゃ泣いてても誰も助けてくれないぞ」と。それを言われた瞬間、恐ろしいほど自分を恥ずかしいと感じました。
同い年のこの友人はこんなにも自立していてかっこいいのに、自分はただ甘えてばかりいたと。
この出来事も自分にとってとても大きなもので、それ以来何があっても絶対に泣かないと決心するのですが、それだけでなく、その友人のように常にかっこよくありたいと思うようになりました。
ルート営業の仕事から転職しようと決意したとき、人の役に立ちたいと思ったのは、もしかしたら無意識的にそれが自分自身がかっこよく生きられる道だと思ったからかもしれません。

病院勤務。苦手を克服するための選択

看護学校を卒業し、千葉市内にある病院で働きはじめました。その病院はとても働きやすく約5年間働くことになるのですが、結婚を期に別の病院に移ることにしました。最初の病院からは若干距離のある場所に家を買ったので、その病院までは通いにくくなってしまったためです。
2番目に選んだ病院は精神病院だったのですが、そこではその病院の方針がどうしても自分には合わず5ヶ月ほどで辞めることとなりました。
そしていま働いている病院に移ることになるのですが、せっかく新たな環境で働くのだから自分があまり得意ではない分野で挑戦したいと思い、ICU(集中治療室)での勤務を希望しました。
冒頭でも述べたように、ICUの仕事は到底自分にあっているとは思えません。ICUの仕事に移ってから1年くらい経ちましたが、まだまだきついです。毎日修行のような日々で、正直言って辞めたいと思うこともあるくらいです(笑)。
でもせっかく挑戦したのにここで辞めてしまったら、この1年がんばったことがすべて無駄になるようで、ここで何かを得るまでは絶対に辞めないと心に誓っています。
ルート営業のころの仕事は、とりあえず結果さえ出せばなんとかなったのですが、いまは仕事に関するすべてのプロセスにミスがあってはいけません。
実際、致命的ではないものの何度かミスを繰り返してしまい、いま周囲からの信用を失いかけている状態で、なのでこれ以上失敗しないために毎日気を引き締めて、張り詰めた気持ちで仕事に臨んでいるので本当に疲れます。
それに、そもそも苦手なところに自分から飛び込んできているので、周りの人と同じような努力量では絶対に追いつくことができません。
もう本当に必死です。でもこういった挑戦こそ、自分が望んでいたものかもしれません。仕事の充実感という意味では、いまはこれ以上ないくらい充実していると思います。

後悔のない人生とは

ルート営業の仕事を辞めていなかったらどうなっていただろうかと考えることが時々あります。
辞める前の何ヶ月間かはずっと惰性で仕事をしていました。でもいま考えると、惰性で仕事をこなせるなんてある意味幸せだったのかもしれません。
そもそも最初の会社への就職も漠然と決めたものでした。ただお金を稼ぐということだけを考えれば、漠然と決めた仕事を惰性で続けていくこともありだと思います。それはそういうものだと割りきって、休暇や空いた時間を有効に使うということもひとつの選択肢なのではないかと。
当時の自分はそう考えることができませんでしたが、無理にリスクを犯してまで転職することはないと思います。ただし何かやりたいことが見つかったなら、それに全力で取り組む方がきっと後悔のない人生を歩めると思います。
何も挑戦せずに後悔することほどつらいことはないですから。

HideakiIwasa
岩佐 英昭 (35)
経歴:

22歳 梱包資材の会社で営業

25歳 看護学校入学

29歳 看護師として病院勤務開始


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