グローバル

中国に来てわかったビジネスの大きさ、今後はもっとアジアのマーケットを大きくしていきたい

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現在BPOをメインとする会社で中国と日本を行き来している中川さん。異国間の理解の難しさや現在の仕事に就くまでのユニークな経緯をお伺いしました。

社会見学と割り切り就職

大学卒業後、大手の証券会社に就職しました。正直、就職活動をはじめた理由も就職活動が楽しそうだったのと、当時新卒じゃないと大企業には入れないんじゃないかという思いからでした。

世の中の経済のことを理解したい気持ちがあったので、金融系へ行こうということは決めていました。ただ、金融系といっても色々見ていく中で銀行よりは証券会社のほうが自分にあっていると思い証券会社にしました。

就職はしたものの、会社には悪いと思いながら心の中で勝手に決めていたことは「社会見学」。3年働いたらやめるということは決めていましたね。

私が配属されたのは機関投資家向けの債券・デリバティブのセールス(銀行などに対して国債や社債を売ったり、デリバティブの提案を行う)の部門でした。入社して良かったのは、お客様が銀行ということもあり、否が応にも世の中の経済の仕組みについて勉強ができたことです。最初は全くわからないことだらけだったので、毎日勉強漬けの日々でしたが。

債券のセールスは、最低でも毎日1億~5億、多いときは100億円超という大きなお金を動かす必要があり、そのような緊張感のあるところで働けたのは大きかったですね。

もう一つ気づいたことは、色んな社員がいてもちゃんと回る、大企業の凄さを理解できたことです。明らかに手を抜いているように見える人、手を抜いているだけでなく結果も出ていない人、新卒で何も分からない自分の様な人間など、多様な人間がいても大きな利益を出せる組織の強さを感じていました。

こんな風に会社を俯瞰して見ていたのは筑波大学での学生時代に起業した経験があったからかもしれません。

人と違う事を求め起業を決意した学生時代

学生時代に起業をしたことで、自分一人食べていく分くらいなら稼げるという自信に加え、大企業に就職をしなくてもなんとかなるだろうという安心感も得られました。だから3年でやめるという決断ができたと今なら思います。

自分から何かをするということはリスクをとるということです。そのおかげで社長さん達の気持ちもわかりましたし、社長さん達のネットワークにも入り易くなりました。

なぜ学生時代に起業をしたのかというと、それまでコンプレックスとしてちっともモテなかったことや、人から賞賛されたりするような人間ではないというものが強く、そんな意識を変えたかったからです。

こんな自分が褒めたり認めたりしてもらうにはどうすればいいだろう?と考えたとき、人と違うことをすると、意外と簡単に褒めてもらえるということに気づいたんです。そのことに気づいてから色々取り組みました。

最初は筑波大学の学生と地域の交流を掲げたポータルサイトを立ち上げたりしました。そこまで難しいことでもないし他の人がやったらもっといいものが出来たかもしれませんが、意外にも学生、地域の方には非常に歓迎され、地方自治体から賞も頂いたり、TVに出させて貰うなど、分不相応な評価も頂きました。

その後、学生向けのフリーペーパーを自らが発行人となり1万部で創刊しました。
広告枠も高めに設定した為、そんなの売れるわけないと周囲の社会人の皆さんも大反対でしたが、ジャスコさんや地元のライトオンさんが協賛してくれ、僅かながら利益がでるほどの成功もできました。

そこで調子に乗って、次は自分でビジネスをしたらもっと目立てるんじゃないか?と考え、親には黙って休学し、会社を設立しました。当時、経済産業省のドリームゲートプロジェクトなども始まり、起業や会社設立が盛んだったのこともあって、起業ブームに社会が沸いていましたね。
事業内容も休学してから考えましたが、以前から不便に感じていた学生向けの不動産仲介に関するウェブサービスを作ることにしました。

飛込みで不動産業者に営業をしたり、自分が以前に立ち上げた地域交流ポータルサイトを利用したりして、何とか軌道にのせました。その他、地元企業や東京の大企業のウェブサイトを受託したりもしていましたね。当時の収入はひと月に30万円程度でしたが、学生には充分でしたし、結構満足しちゃってました(笑)。

このような経験があった為、新卒の時は先輩達か相当生意気なヤツくらいに思われていたと思いますよ。起業経験が就職してから生きたことといえば、社内はともかく社外の企業の方には、その生意気さを面白がって頂いたことくらいですかね。

ドリームチームでの起業のはずが・・・

話を戻すと、証券会社には3年という期間を決めていましたが、その後はベンチャーにいきたいという気持ちがありました。大企業にいても、予想していた通り自分の裁量や権限が少なく、スピード感に限界も感じていましたし、年功序列で給与が決まってくる点にも疑問がありました。なのでずっと居るところではないなと、予定通り3年目に退社。

ちょうど退職した時に、学生時代から知り合いだった現会社マスターピース・グループ会長の佐藤と、かねてからの私の親友とが知らないところで意気投合しており、マスターピースの子会社として3人で新しいジョイントベンチャーを立ち上げることになり、私はそこの役員として参画することとなりました。

私が非常に信頼する人々と、まさに個人的にはドリームチーム的な展開で退社翌日の4月1日に早速はじめたのですが、、、結論からいうと4~5ヶ月で事業はクローズしてしまいました。

なぜかというと、特に事業の主体であった私と私の親友が、お互いの力と事業への理解度を過信し、ビジネスモデルも徹底的に討論して明確化することもなく、ある種勢いで開始してしまったためです。親友なのが災いしてお互い言いたいことも直言できず、遠慮して逆に不満がたまっていったことが不協和音を生み出し、結果的に早期のクローズへと至ってしまったんですね。

私はまさにドリームチームという意識でやっていたので、このような状況になるとは思いもよりませんでしたが、やはり人と違うことをしているだけではうまくいかないこともあるという事に加えて、ビジネスの厳しさが改めて理解できました。

見知らぬ地中国でのビジネスにおいて地道に奮闘する毎日

その事業が失敗した後、そのままマスターピースの本体に入る形になりました。その時に佐藤から「学生時代よりもできなくなっている」と指摘され「人を変えるには環境を変えるのが一番だ」ということで、いきなり来月から北京に行けという命令を下されました。

北京ではマスターピースが95telewebという中国国内向けのコールセンターの提案をする会社を2007年にM&Aして傘下においていました。現在ではマスターピースの売上の半分以上が中国から生み出される程になっていますが、当時は社内の承認フローなどがしっかり構築されておらず、本社の制度と現場の認識の行き違いなどがあり、ビジネスのみならず、北京の社内はよくない混乱が続いている状態でした。

そのような構造を整理するため、全申請・全契約書は自分を必ず通過させるフローに暫定的に変更したり、不要な経費を有無を言わせず削減したりと、コツコツと立て直していきました。当初はやはり反発もありましたが、やっているうちに自分の考え方も認められ、やりやすくはなりましたね。最初は、私を通すと面倒くさいと皆言っていましたが、慣れてしまえば結果的に問題も少なくなっていきましたよ。

一方、難しさも沢山ありました。正直、人生で中国人と触れ合うことが今までなかったので文化の違いにとまどいましたね。、
例えば給与面談は、日本だと金額も数%の変動で淡々としたものになりがちですが、中国では来年から金額を倍にするよう、時には涙も交えながらハードな交渉をされることもよくあります。

まあ、面談が終わると泣いてたはずが淡々とすぐにビジネスにとりかかる感じなんですけど(笑)。中国においては給与交渉は市場で商品を値切るのと一緒で、如何に自分を高く売るかのシンプルな交渉なんでしょうね。

とはいえ、ビジネスはビジネスという感じでドライに割り切っている面で言えば、正直仕事は日本よりも中国の方がやり易く感じています。マネジメントが適切に各人のKPI(目標値)を設定してしまえば、あとは良くも悪くもそこに集中して徹底的にやってくれる。全体最適を各自が考えてウェットに仕事を進める「全員野球スタイル」の日本とは違うのでスピードがとても速いですね。

お互いを理解することでより良い会社になる

今は以前に比べるとかなり改善されて、会社の仕組みは良くなりました。あとは売上を伸ばしていけばいいだけですね。日本のマーケットが伸びるのは難しいので、私個人としては今、中国での営業に更に力を入れています。その他のグループ全体の管理業務もあるので、中国だけではなく年中アジアを飛び回っています。

日本は案件の進捗や国の制度に関するスピード感が非常に遅く感じます。中国のビジネスはとにかくスピードが早いし規模も大きい。日本だと7ヶ月かかるとこが中国では1ヶ月みたいなこともありますね。アジアの伸びているマーケットをいかに先に捉えるかというのがもう常識で、中国と比べて日本のビジネスはのんびりしているなーと正直思いますね。

実際に中国に言ってビジネスをすると、日本側の立場になってしまうだけではだめで現地を理解して現地側の立場も理解しないといけない。中国のことは日本人にも分かり易いように伝えないといけないし、逆もまた同じだと思います。
今求められることは両者が理解をしあうことだなと身にしみて感じています。

将来的にはもっと会社の利益をだしていくこと。コレに尽きますね。
コールセンター事業は、圧倒的に大きな差別化要素を作るのはとても困難なので、総合的な経営力がとても問われていると思います。ですので、今までどおり全方位で真面目に努力していくだけですね。

個人でいうと、中国だけでなく、アジア全体でのビジネスにもっとフォーカスを変えていける状態を作りたいですね。日本のパスポートが便利なこともあって、仕事でアジア内フライトを年間100回くらいしています。飛行機に乗ることが本当に多いです(笑)。そんな中なので、更に色々な世界を見る機会を増やしていきたいと考えています。英語と中国語を使えば、将来はもっとアジア全域での活動が出来ると思いますので、活動の幅をどんどん広げていきたいと思います。

中川 祐輝 (32)
経歴:

21歳・・・学生時代に学生向けの不動産仲介に関するウェブサービスで起業

24歳・・・大手証券会社に入社しデリバティブのセールスを担当

27歳・・・マスターピースグルースの子会社JVに取締役として参画

28歳・・・95teleweb(中国国内向けのコールセンターの提案を行う会社)に出向

29歳・・・同社副社長に就任

 


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