スキルアップ

介護のストレスは日本が抱える大きな課題。介護の現場を経験した私の夢

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最初に就職したNGO団体で、介護現場の仕事を経験した宮本さん。そこで経験した、これまでの自分中心だった考えが変わったきっかけとは。世のため、人のためになるサービスを目指す宮本さんにお話を伺いました。

国際社会で活躍できるような仕事がしたい

小学校、中学校のときはとてもわがままで自分のことしか考えていないようなところがあったのですが、ある日高校の担任の先生に英語の楽しさ、そして海外のおもしろさを教わりました。先生がイギリスに行ったときの写真などをよく見せてもらっていたので、「こんなにキラキラした世界があるんだ!私はいつか国際社会で活躍できるような仕事がしたい!」と思うようになりました。

そのような思いから、私は自分なりに勉強をして大学の英文学科に合格しました。大学に入った当初、私は国連で働きたいと思っていたのですが、海外で学ばなければ国連には入れないという事実を知って驚きました。私の家は裕福な方ではなかったので、海外にいくことは難しい…。ということで私は国連を諦め、外務省を目指すことにしました。外務省だと日本にいながらも国際的な仕事ができると思ったからです。

そして外務省の事務職のことを3年間学び、大学にも行くというダブルスクールをこなしていました。その傍らで、ジャズサークルをやったり、お金を貯めるために塾の講師などもしていました。

猛勉強の成果もあり、外務省の1次試験は無事に合格することができました。問題は2次試験の面接です。面接で聞かれる内容は、国際法についてどう思うか、今の日本についてどう思うか、政策についてなど。「〜についてどう思うか」といった1次試験で問われた知識を応用して答えるような質問が全て英語で投げかけられてきました。大学の英文学科で英会話などを学んでいたとはいえ、政治経済や法律について自分の考えを英語でしっかりと主張することは私には難しく、残念ながら2次試験には落ちてしまいました。その後、もうあと1年頑張ったら受かるよ、という周りの声もありましたが私は一般企業で国際的に活躍できるようになろうという気持ちで就職活動をしました。

海外へひとり旅に行って見た世界

大学時代での世界との関わりについてもう少し話しますね。私は大学時代、黒人奴隷などの歴史を勉強していたのですが、教室で学ぶだけでなく、「現地の空気を感じたい」と強く思っていたのです。

その想いから、頻繁に海外にひとり旅に行くようになりました。ひとり旅といっても、有名な観光地には行きません。私が行ったところは、ケニア、タイ、ニューオーリンズ等です。ケニアには1ヶ月ほど滞在したのですが、そこではスラム街の子どもたちと一緒に生活しました。私が行ったところのスラム街は、インフラが全く発達していませんでした。そこで日本とは全然違う光景を見た私は、自分はとても恵まれている、と強く感じました。

同時に、「国が違うだけでこんなに違うんだな、自分はそこの国の人たちに何もしてあげられないな」と、とても考えさせられたのです。
そのような国の現状を見て、もっと人になにかしてあげられるようになりたいと思うようになりました。
高校生のときも、大学生のときも、そして今も、「できること」は変わっても、人のために自分ができることをしたい、という考えはずっと変わっていません。そして、その想いの原体験はひとり旅にあることは自分でも強く感じています。

介護施設での研修が私に与えた影響

就職活動ではJICAやJETROなどいろいろ受けたのですが、最終的に私は奈良の社会福祉団体に就職しました。そのNGO団体は、お寺が母体になっていて、インドとウガンダの支援をしていました。
活動内容としては、インドの女性の社会進出を支援するというものでした。インドの女性が作ったものを日本で売るのを手助けし、売上の一部を返す、といったビジネスモデルです。

ここでは最初の1年間、心を養わせるという意味で新人は介護施設での研修を受ける必要があります。介護施設には、そこで最期を迎えようとしている方々が多く、初めの数ヶ月は介護の現場が嫌で嫌で仕方ありませんでした。ストレスも大きかったと思います。しかし、1年で終わる予定が、結果的に4年間も働くことになるほど感動するできごとがあったのです。

私はそれまで、思ったことや自分の感情を表に出すような、言ってしまえばわがままな人間でした。でも、そこの施設で働く人たちは「まずはみんなのために」という考えがあり、また夜勤のときにおじいさんやおばあさんたち、そして同僚に優しくしてもらったのが身にしみて私は変わりました。今まで自分中心でしたが、ここで働いていくうちに人のためにできることをしようと思うようになりました。

この環境の中、高齢者の人には「ここで過ごしてよかった」、働いた人には「ここで働いてよかった」、と思える環境づくりをしたいと考えるようになる自分がいたのです。

当時私は、介護施設は閉ざされた環境だと思っていました。なので、大学時代のジャズ研の後輩を呼んで演奏してもらったり、ボランティアベースで外部との接触の機会を多くつくりました。そうすると、普段なかなかいろんな人と接触することがない介護施設の人たちは、たまに遊びに来てくれる若い人たちとの交流をとても喜んでくれるのです。とても嬉しかったですね。

このように、介護の現場はとてもやりがいのある仕事なのですが、それ以上にストレスのある仕事なのでなかなか仕事に就きたい人が少ないという現実もあります。私の場合はお寺が母体だったこともあり一般の介護士のかたよりも給料は多くもらえていましたが、専門学校を出て介護士になったかたたちは、それほど多い給料ではありません。低い給料にも関わらず、高齢者の数が多すぎて世話をするだけで精一杯というのが業界の現状です。

高齢者の方々に目を移すと、彼らは色々な人と話がしたい、でも介護する側は忙しくてそれどころではなく無下にしてしまう、そしてそれが罪悪感やストレスになるという流れができていました。

日本の介護施設にイノベーションを

介護の現場に携わる中で、介護施設の現状をもっと向上させたいという気持ちがどんどん強くなっていきました。施設にいる人も、働く人も大きなストレスを抱えている状況を変えたい、そのような想いから、私は自分で施設を建てたいという決意が固まりました。

そして私は奈良のNGO団体をやめて、東京の茶話本舗というアットホームな施設の管理社に1年勤めながら、日本の介護を良くするにはどうしたらいいか考えていました。
そのとき私は、高齢者の人たちは施設で幸せに過ごせているとしても、その家族はそう思ってないかもしれないとも思っていました。

考えながら日々過ごしていたところ「ITが世の中を変えるメガトレンドだし、ITと介護を組み合わせたら大きな可能性があるのでは!」と急に思い立ちました。ITをうまく利用することができれば介護も大きく成長し、そしてもっと今よりも幅広く展開していけると考えました。

私の目標は、日本の介護を良くし、家族のストレスも軽減して、また介護の現場にいる介護士のモチベーションをあげることです。
そして私は、自分がいるところでしかサービスを提供できないというのがすごく嫌で、どこにいても同じサービスを提供したいという気持ちが強いです。そのためにもITを使えばどうにかできるのではないかと考えたのです。でも、ITのことは全くわからない…。ということで私はサイバーエージェントという会社に就職しました。そこで、ディレクターの仕事やアフィリエイトの仕組みなどを一から勉強することにしたのです。

今の会社はウェブサービスを手がけている会社なので、今までの介護の現場の世界とは畑が全く違うので苦しんでいます。今まで人を相手にしてきた仕事とは違って、今の会社では数字を上げられないやつは意見するなというような雰囲気で最初はとても戸惑いました。ですが同時に私は、利益の追求も大事だという当たり前のことを今学んでいます。将来自分で事業を行う際にも当然利益を出し続けなければいけませんし。

今現在会社からある領域のキュレーションサービスを任されています。そのサービスを広げていくことに注力しながらも、ウェブサービスのノウハウを自分の中でしっかりと身につけていきたいです。将来介護の分野で新しいサービスを行う際にきっと役立つからです。今の会社であれ、将来独立するにせよ、世のため人のためになるサービスをつくりたい、この想いだけは忘れず頑張っていきます。

miyamoto
宮本雅代 (33)
経歴:

22歳 奈良のNGO団体にて介護の研修を受ける

23歳 奈良のNGO団体にて介護施設に従事

26歳 茶話本舗に勤めながら、日本の介護の現状や課題について考える日々

28歳 ITベンチャー企業にて新規事業開発を担当


充実度

充実度: 83点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

メッセージを送る

このインタビュー記事についてご意見、ご感想などありましたら、
ぜひメッセージをお送りください。

メッセージを送る