スキルアップ

仕事で最先端を追い求めたい ITとコンサルの経験を活かして目指すもの

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若干38歳にして多くの会社・職職を渡り歩き、さまざまな経験を積んだ後藤さん。いつも彼の中に共通して流れているITへの興味、自己への挑戦心、最先端を追求する探究心などについて伺いました。

仕事でプロを目指すと決意

私が最初に入社したのは、某大手商社系システムインテグレーター(以下SIer)でした。主な業務はCISCOというネットワークベンダーのネットワーク機器を販売、構築することでした。売り上げは年間100億ほどだったでしょうか。この会社には親会社があり、親会社の仕組みを使ってプロダクト販売・システム構築をする別会社としてこの会社を立ち上げたものでした。

そのため親会社とはビジネスモデルが違っており、かなり高コストで運転資金が回らなくなってしまったことから、私が入社して1年で事業部は約半分の人員になることに。そして、数年後には休眠企業となってしまいました。

この事業部縮小の際に、会社はプロダクト販売の方を重んじたため、インテグレーション部門であった私は文字通り用無しとなってしまいました。入社して1年にも満たない私は、12月末に事業縮小を伝えられた時には特に何の実績も経験もなく、よい職を探すのはとても困難な状況でした。

IT業界のように特に変化の激しい最先端の業界では、自分自身に価値を持たなければ何もできないのと同じことです。厳しいかもしれませんがそれが現実でした。その時強く感じたことは「自分1人でも、どこに行っても食べていけるようにならないといけない」ということでした。今後のキャリアは、どこにいっても食べていける“プロ”を目指そうと決意しました。

論理と感情の狭間で揺れたコンサルティング

こうして、転職したのが日系のERP(Enterprise Resource Planning=経営資源の統合管理)を中心とした中堅SIerで、ここではコンサルティング業務に就きました。ここでの主な仕事は、お客様の経営課題を定義し、業務プロセスをITでどのように解決するかに落とし込み、最も費用対効果が良くなるソリューションを考えることでした。そのために提案書を作り、受け入れていただければ受注となり、要件定義や業務プロセス改善をコンサルまでするところまで行っていました。

某日系大手コンサルティング会社へ、業務コンサルタントとして出向のようなかたちで働いていました。ここではそれこそドキュメントの作り方といった基礎から仕込んでいただきました。資料一つひとつの精度、全体のロジックをどのように統合するか、聞き手に分かりやすく伝えるにはどのような伝え方をするべきか等、細部にまで完璧を求められました。
そういった仕事はとてもやりがいがあり、楽しみながら仕事に取り組むことができました。

しかしコンサルティングの仕事は、社内の立ち位置としてはちょっと難しいところがありました。通常、コンサルティングは要求されるスキルも難易度も高く、高利益を出せるビジネスです。しかし会社として大きな売上額、利益額をあげているのはコンサルティングの後に行われる、実際に受注したシステムの構築部分でした。システムを構築するSE(システムエンジニア)部門から見れば、仮に高利益率であったとしても、売上・利益額に大きく貢献しないビジネスは重要度が低く、そこの微妙な立場間での摩擦のようなものはありました。

その他、大変だったことといえば、お客様の協力を上手く得られなかった時でしょうか。コンサルティングのプロジェクトは、3、4ヶ月でアウトプットを出さなければなりません。例えば、コストの削減策の立案などでファックスのやり取りが多くてコストがかかっているようなら、それを徹底的に調査し、通信費を削減し電子メールやチャットに変えるとか、簡単に言うとそんな改善企画もひとつのアウトプットになります。しかしこれが経験がなかったこともあり、なかなか難しかったのです。

まず、そもそもお客様からのヒアリング調査から順調にいきません。特に中小企業で、かつ地方の方などは、よそ者が立ち入ってくるのを嫌がる傾向にあり、コンサルティングに対して非協力的です。結果として、アウトプットを出さねばならないデッドライン直前には1週間ほど泊まり込みになったりすることも珍しくありませんでした。今考えると、その当時はコンサルティングに論理だけを追求してきましたが、お客様のためには人間的なものが必要だったのでしょう。

この論理と感情のバランスを取ることが大事だったのでしょうが、当時はそのことを分かっていませんでした。むしろ、自分は論理面に弱く感情面への配慮は強いという錯覚があったため、感情面への配慮はなんとかなるだろと思い込んでしまい、論理に力を集中させていたのかもしれません。

大企業と中小企業のコンサルティング

6年ほど中堅SIerに勤めた後、転職したのが新日鉄ソリューションズ(現、新日鉄住金ソリューションズ株式会社)です。コンサルティングと営業には徐々に慣れてきて、少し生意気な言い方になりますが、経験も積んできたため中小企業相手の仕事は簡単に感じるようになり、大企業向けに仕事をしたいと思ったことが1番の理由です。ちょうど、ヘッドハンティングされたことも良いきっかけでした。

新日鉄ソリューションズに入社してから初めての取引相手はトップの金融機関で、為替やデリバティブ、オンライントレードなどの分野が担当でした。実際中小企業相手よりかなり難易度が高く、最先端のものが多くて非常に戸惑ったのを覚えています。

プロジェクトも数年のプロジェクトで数億円〜10数億円と巨大なもので、目の前の仕事がすぐには結果に結び付かず、今行っている仕事が何のためなのか分からなくなるようなことも、大企業ならではの特徴だったかもしれません。サーバー、ネットワーク、データベース、ミドルウェア、アプリケーションなど細かなところまで分業されているので、詳細を詰め、前提条件をそろえる必要性はかなり感じました。

他に難しかったのは、知識レベルや情報レベルが顧客の方が上回っている状況があったことです。中小企業相手では、コンサルティングというのは最初からある意味で上に見られている役職でした。顧客である企業の経営者よりも、コンサルタントのほうが業界のトレンドや情報に精通していることが多く、他社の改革事例などを中心にしっかり論理的に考えれば結果がついてきており、説明もその経営者のレベルに合わせて行うことが重要だったので、コンサルタントが知識や情報で負けるということはありませんでした。

一方、大企業にはお客様側にITのエキスパートがいて、場合によってはお客様のほうがはるかに自分たちより詳しく、最先端の情報をご存知だったりするので、それに負けないようより勉強しなければいけません。そのような環境に慣れるまでは非常に大変でした。

社会インフラとなるような重要なシステムとなると1人で作業をすることが許されず、ダブルチェック、トリプルチェックは当たり前でした。そのため人件費やコミュニケーションコストもかなりかかります。レビューも何回にも渡って行われるので、本当に意味があるのかわからないものも数多くありました。

たとえば、私は50億円規模のプロジェクトを扱ったことがあるのですが、その時も直営社員だけでメンバーは100名以上いて、ほとんどジャングル状態でした。つまり、誰が何をしているのか分からないような状況なのです。またお客様から良いと言われてもその案件を実行するためのプロセスがとても長く、申請から決済までが数ヶ月に及ぶものもありました。スピード感やビジネスのアジリティーは全く感じませんでした。

大企業だからこそ大規模プロジェクトに関わることができ、しかも重要な社会インフラシステムを担当できるのは、やりがいのある仕事だったと思います。日本では、ATMが止まると人が死ぬと言われますが、それぐらい重要なシステムとして位置付けられています。アメリカなんかではしょっちゅう止まっていますけど(笑)。金融という重要なシステムを扱う以上、ちょっとしたミスや1コンマの遅れが命取りとなりますから、緊張すると同時に、そのような部分に大きな責任感・やりがいを感じていました。

グロービスでの学びから異なる分野へ興味を持つ

新日鉄ソリューションズでは、サービス企画にも関わるようになりました。グロービス経営大学院大学(以下グロービス)で経営学を学び、マーケティングにも興味が出てきたことが理由です。また、これからのスキルを考えた時、営業やエンジニアのスキルしか持っていないことは、今後の世の中の変化を考えると、それだけでは通用しないのではないかと思えたからです。

その思いから、自社のクラウドサービスを企画するポジションにつかせてもらいました。大規模なシステムに投資し、サービスを構築・運用するようなことは今までなかったので貴重な経験でした。数十億以上の市場規模になりそうな市場を調査してサービスを企画し、分析してシステムを構築、マーケティングプランを練って営業と一緒に売り込んでいくといった流れでした。マーケティングやファイナンスはグロービスでの学びが活かせましたし、BtoBビジネスでのクラウドサービス企画は、まだ先例が少なく最先端の仕事だったため、誰も正解が分からない中で試行錯誤はありましたが、仕事自体はおもしろかったです。

グロービスで学んだ経験から、新しい価値を作っていく重要さ、志、困難な道を選択し、それを乗り越えて成長することの重要性を理解していたため、このポジションは非常に楽しく取り組んでいました。大企業なのでポスト争いが激しい中、成功するかどうかわからないサービス企画の部署に行く人は珍しかったようではありますが、私は気に入っていました。

もちろん困難も多々ありました。まず人材確保。通常のシステム構築案件は大抵一括で請け負うため、一つの案件で数千万、時には数億円という売上になります。しかし、クラウドサービスは月額数千円をユーザー数で課金するものがほとんどで、ユーザー数が少ない企業では月額数十万円という契約もあります。そのため、通常のシステム構築よりも売上金額が非常に低く、売上や利益が出ていない中では、なかなか優秀な人材を回してもらえませんでした。

もう一つの問題は営業側でした。営業部からしたら、売りにくい新しい最先端のサービスを提案するより、数字をあげやすく、販売した経験も豊富な通常のシステム構築を優先して提案する方が成績になるため、なかなか協力を得られませんでした。

安定を捨て転職

そういった小さな不満があるとはいえ、倒産するリスクもほとんどなく、給料も安定している大企業でしたが、今年3月、今の職場である株式会社フレクトに転職しました。これには大きく分けると2つの理由があります。1つは経営に興味が出てきていたこと。これはグロービスに通った影響ですね。大企業では経営に関われるのは50歳以上が通常であり、海外の現地法人でさえ部長クラスとみなされるので平均でいうと45歳くらいまでは厳しいでしょう。

私はそれまで待っていたくはありませんでした。経営学を学ぶうちに、良い経営者になるには、難しい決断を数多くする必要があり、早く難しい決断ができるポジションにつきたかったというのが理由です。もちろん前職で経営に関われないかと模索はしました。事業計画の素案を仲間と作り上司に進言したりもしましたが、そこで考えたアイデアの8割方ははねられました。というのも、私たちは10年後、20年後の未来に自分たちの企業が発展して業界トップになっていることを目標に、そこから逆算して今の計画を立てていたのですが、上層部は長くてせいぜいあと5年。そのあいだ、毎年5%ほど成長していればそれで満足だし、むしろ余計なリスクは負いたくないという考え方でした。

私は、会社と自分の時間軸が合っていなないと感じました。会社が自分の時間となるまで待つべきなのか、それとも今変わるのか、そこが問題でした。他にも、現地法人への転勤を目指したりもしました。しかしこれも、多くの応募者がおりなかなか達成できませんでした。また、転職を決意したもう1つの理由として、自分の力を試してみたかったのです。

グロービスに通っていた際に、週末起業としてサービスを作り出したりはしていましたが、自分で本気で経営をしてみたいと思っていました。また、私はゼロか1を作るより、1から100にスケールする方が得意であると思っているのですが、そう思い始めた頃に出会ったのが今の会社、フレクトです。

フレクトは最先端のクラウドサービスを用い、WebやCRM、SFA(Sales Force Automation=営業支援システム)を構築する会社です。最近はIoTのクラウドアプリケーションサービスに注力しており、今後高成長を目指しているベンチャー企業です。

私としては、最先端の技術力やコンサルティングなどの強みを生かした会社、パブリッククラウドのような最先端の技術を利用して価値を提供できる会社、また自分自身のコンサルティング能力や企画、マーケティング能力を十分活かせる会社を求めていました。また、経営メンバーとして参画するなら、起業して1、2年の若い会社や上場段階にいるような会社がいいなと思っていました。

経営幹部候補として私を採用してくれたフレクトは、まさにそのような会社でした。現在はプロジェクトマネージャーとして、まず現場を知ることに従事しています。10月からは人事採用や組織開発にも携わる予定です。

これからも最先端の仕事を

こうして私のキャリアを俯瞰してみると、実は家族の影響が強くありました。兄と弟はIT起業家、父もゼネコンで高速道路を作るために当時の最先端のパソコンであるApple II(アップル ツー)で測量するといったことをしており、その結果、最先端なものやITに興味を持つようになりました。私の就職した2000年前後は、ITといえばSIerが花形でした。今はDeNAや楽天などが人気ですが、私には特にほかの選択肢は浮かびませんでした。
しかし現在、システムサービス(以下SI)産業は岐路に立たされています。「きつい、厳しい、帰れない、規則が厳しい、休暇が取れない、化粧が乗らない、結婚できない」、“7K産業”と揶揄されるほどブラックな業界との評判も立ち、SI事業者は2016年就職ランキングではTOP50にすらランクインしていない状況です。2001年の就職ランキングTOP10には、NEC、富士通、日本IBM、NTTデータなどがランクインしていたことを考えると大きな違いです。これは、私たちの世代の努力が足りないこともさることながら、努力する方向性がまちがっていたのではないかと思っています。

今現在SI産業は、クラウド化の波が押し寄せてきており、これまでにない変化の兆しが見えています。この変化の兆しをチャンスと捉えて大きく戦略変換できるか、いままでの戦略の延長線上で考えるかで、未来は大きく違ってくると思っています。今までの戦略の延長線では、一時的にうまくいくものの、長期的には衰退することが避けられないでしょう。

逆に、この変化に対応して大きく戦略を転換して勝負すれば、再び魅力的な産業を作り出せると信じています。 私は、SI業界は魅力的な産業として復活できると思っていますし、復活させたいと心から願っています。まさにそういうことにチャレンジしている会社だったからフレクトへの入社を決めました。

ITの面白いところは、やはりチャレンジがあるところでしょう。もともと新しいもの好きで、プロジェクト単位で動いていく仕事は性に合っているみたいです。あと、恵まれていたこととしては、コンサルティング、営業、SEといった幅広い分野の経験を積めたことや、それぞれのステージにおいて、いつも時代の超最先端に触れられていたことです。仕事の幅や、最先端を追求するには、やはり大企業よりもベンチャーの方が向いているのかもしれません。今までの経験で得てきたものをフレクトで活かし、SI産業を変えられるよう日々努力していきたいと思います。

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後藤 晃 (38)
経歴:

24歳 商社系SIerにてエンジニアとして入社

25歳 日系のERPを中心とした中堅SIerにてコンサルティング業務を担当

30歳 新日鉄ソリューションズにて、大規模プロジェクト、サービス企画、新規事業開発に従事

37歳 最先端のクラウドサービスを用い、WebやCRM、SFAを構築するベンチャー企業フレクトに参画


充実度

充実度: 76点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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