やりたい仕事へのチャレンジ

他人の目を気にしない生き方を。私がKOIKOIを立ち上げるまで

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高校中退から大学卒、一流企業勤務、国会議員秘書、MBA取得、そしてKOIKOIの設立とユニークな経歴を持つ森本さん。他人の目を気にしないという森本さんの生き方について伺いました。

他人の目を気にしない

一言で言うなら変わった子どもでしたね(笑)。 他人と同じことはしたくない、でも人には嫌われたくないという想いも少しありました。「へえ、森本って凄いじゃん」とか言われたくて、でもいざ言ってもらえるとその場では平静を装いつつ、後で一人ほくそえんでいるような、かなり面倒くさい子どもだったと思います。

それなりに勉強はできていましたね。しかし、いくら勉強を頑張っても自分よりも成績のいい奴はいっぱいいるわけです。そうした「できる奴ら」とずっと張り合っていくのは自分には無理だし、意味がないと思いました。勉強ができる人間だけが頭のいい人間とは限らないはずだと。

高校に進み、いろいろなスポーツをやりました。バドミントン、バレー、サッカーなど、とにかく苦手なものをなくしたいと思っていましたね。入学からしばらくの間は学校生活もそれなりに楽しかったのですが、2年目を迎えたあたりから、家と学校を往復する日常が段々つまらなくなりましてね。

まるで同じレールの上をみんなで手を繋いで歩いているようで、もっと他にやるべきことがあるのではないかと思ったのです。そこで「そうだ、自分でビジネスを立ち上げてみよう」という考えに至りました。「高校中退ながらこんな凄いことを成し遂げた奴」というギャップのある人生に憧れ、何の迷いもなく高校を辞めてしまいました。

臨機応変に生きること

高校を中退し、すぐにアルバイトをはじめました。スーパー、ガソリンスタンド、飲食店などの接客、サービスの仕事が多かったと思います。起業したいという意欲を持って中退してはみたものの、現実はただのアルバイト。ぼんやりとした思いはあっても具体的に何がやりたいのかはっきりしない。また、それを考えていく力もない。やはりある程度の知識、学歴は必要だと判断し、定時制高校に通うことを決めました。

学校ではバレーボール部に入りました。じつは道内の定時制高校でバレーボール部のあるところは数えるほどしかありません。北海道予選とは言っても2勝すれば全国大会ですから。幸いにもうちの部はバレーボール経験者が多く、圧勝で全国大会に出場することができました。

4年生になり、先生から大学へのスポーツ推薦のお話しをいただきました。先生曰く「成績・勤怠状況は申し分ないし、全国大会出場の実績もある」とのこと。率直に言って、定時制から全日制大学に推薦入学で入れるとは意外でした。大学には行きたいと思っていたので、手続きをお願いすることにしました。

無事に合格を果たし上京。大学では電気工学を学びました。振り返ると、大学生活はかなり大変でしたね。まず入学時の学力が他の学生よりも明らかに劣っていたため、授業についていけませんでした。1年目の取得単位はわずか10単位です。さらに、自活するため夜間に長時間のアルバイトをしていたのでほとんど寝る時間がありませんでした。それでも毎日休まず講義に出つづけ、時間を見つけては学外でも勉強しました。3年生の時、1年で驚異の60単位を取得して遅れを取り戻し、無事4年で卒業することができました。私の学生時代はひたすら忍耐の時代であったと思います。

50社の不採用はラッキーだった?

就職活動は厳しかったですね。書類選考で落とされ続け、一次面接にすら進めませんでした。その数なんと50社。そして51社目、初めて面接に進むことができたのがSEGAです。順調に選考は進み、初めての内定をいただくことができました。内定をいただいた段階で入社の意思は固まっていましたので、以後の活動は打ち切りました。最後の最後に理想の会社に出会えたような感じですかね。

入社後の配属先はゲームセンター事業部。全国各地の直営ゲームセンターの運営管理が仕事です。まあゲーセンの店長ですよ。最初の赴任先は千葉県の柏市でした。

直営店は全国に約300店舗ほどあるのですが、在籍5年間で赴任した店舗すべて、年間業績全国トップ5入りを達成しました。どれだけ業績不振だった店舗でも例外なくすべてです。入社1年目からすぐに実績が残せた理由は、子どものころからゲームが好きで、ユーザー心理をはじめから理解できていたこと。競合店舗を頻繁に見て回るなどマーケティングを徹底したこと。減価償却の計算を徹底的に行い、集客を高める工夫に努めたこと。光回線導入を早い段階から進めオンラインゲームの対応に備えたことなどです。やりたいようにやってみたら、自ずと結果が付いてきたという感じです。仕事が自分に合っていたということかもしれませんね。

入社以来5年間、ずっと東京で仕事がしたいと思っていました。会社に対して随時希望を伝えていましたが、最後まで通りませんでしたね。5年間でやれることは全部やったかなという気もしていましたので、思い切って退職を決断しました。

退職して国会議員秘書とMBA取得へ

SEGAを退職したものの、次の仕事は決めてはいませんでした。唯一MBAを取得することだけは決めていましたが。

高校中退→大学卒業→大企業勤務→MBA取得→起業家として成功

高校中退からの波乱万丈のサクセスストーリーってやつを描いていましてね(笑) 。やっぱり面白い人生がいいじゃないですか。まあ一生懸命勉強して大学に行き、苦労して就職し、ずっと真面目に働いているという方からは「ふざけんなよ」って言われそうですが、僕は他人の目を気にしないことがモットーなので。

2010年の総選挙で、母の友人の女性が民主党から初当選しました。その方に秘書をやってくれないかと誘われまして、特に考えることもなくOKしました。議員秘書という経歴も面白いかなと。

秘書としてやっていたのは、議員のスケジュール管理、事務所での来客対応、陳情書の受け渡しなどです。秘書と言っても政策秘書じゃありません。そもそも資格を持っていません。
議員はとても厳格な人で、毎日しごかれました。社会人としての基礎から徹底的に叩き込まれましたよ。

秘書の仕事と並行して、夜はMBA取得に向けてグロービス経営大学院に通いました。このころから起業することを現実的に考えはじめた感じですね。

そして2012年末の衆議院解散を契機に議員秘書を辞め、起業へと動き出します。

今日より楽しい明日をつくる

事業プランとして有望視していたのはイベントのポータルサイト=チケット決済サイトです。市場規模3500億円もありながら、まったくイノベーションが起きていない。1%のシェア獲得でも35億円のビジネスです。スマホが一気に普及する直前のタイミングでしたから、まさに今かと。

綿密なシミュレーションを重ねて事業化を検討していったのですが、想像以上に初期投資が必要であることがわかりました。自己資金も目減りしていましたし、リアルビジネスを経験していない私にはリスクが高いと判断しました。そして、次に目を付けたのが街コンです。
街コンをやろうと思った理由は、まず成功要件が明確であることです。「コンテンツ」「場所」「価格」「プロモーション」の4つの要素を押さえておけば、十分ビジネスとして成立すると確信していました。さらに、友人がすでに街コンのプロデュースを手がけていて、モデルケースとして観察していたことも理由のひとつです。

2013年7月2日KOIKOIを設立。

様々な企画の街コンを仕掛けていく中で、アニメコンが空前の大ヒットとなります。世界各国のメディアに取り上げられ、コラボの提案も殺到、さらに行政の予算も付くことになりました。やはり狙いは間違っていなかったようです。

今、次の仕掛けとして考えているのがARを駆使しての「イベント+動画」の企画です。キーワードはずばりライブ感。音楽、照明、パフォーマンスなど人を感動させる要素があり、人と人との出会いがあり、出会った人同士の一体感がある。関わるすべて人がハッピーになれるものをつくっていきたいと考えています。

他人の目を気しないこと、今日より楽しい明日をつくる。それが私の永遠のテーマですね。

もーりーさん
森本猛 (35)
経歴:

25歳 SEGAのゲームセンター事業に配属

29歳 国会議員の秘書に転身

34歳 KOIKOIを設立


充実度

充実度: 75点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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