スキルアップ

出会った仕事を楽しみながら探す天職

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演劇をやりたいという志をもち、大学卒業後、モデルとして芸能界へ飛び込み次第にもっと人の役に立ちたいという気持ちが芽生え、スポーツ系財団法人へ就職。その後、MBAの取得を経て、学校という教育現場に出会う。多様な経験と持ち前の行動力で、現在幅広く学校経営のコンサルティングに奮闘についてお話を伺いました。今回は匿名を希望されていたので仮名を佐藤様とし掲載しております。

自分の意志で選択し、生きていきたい

元々あまりエリートになりたいとか、お金が欲しい、人に上に立ちたいといった感情は持っていませんでした。実家が病院だったので、人の命に向き合う両親の献身的な働き方を見てきたことの影響もあると思います。
経済的に恵まれた環境で育ってきたことで、そのような野心的なものが生まれにくかったのかもしれません。もともとはお芝居をやりたいと思っていたのですが、演劇ではなかなか生計を立てることは難しいので、モデルとして芸能事務所に所属して、大きな仕事に巡り合うチャンスを狙っていました。

とはいえ、モデルといっても、いわゆるエビちゃんのような世間一般的にイメージされるファッションモデルとは違い、商品カタログのモデルなど、こまごまとした地味で実直な仕事をこなす日々でした。
モデルをやりながら芝居の仕事を模索していた時、3週間ほどニューヨークのミュージカルのレッスンツアーに行ったんです。「大好きなニューヨークでミュージカルの勉強ができる」と、とてもわくわくしながらニューヨークに向かいました。そこで出会った、当時宿泊していたホテルのオーナーとお話しする機会の中でキャリアの話になりました。

私が法学部を出ているというと、ホテルのオーナーからは、Lawyer(弁護士、法律家など)になればいいのにと言われました。Big success=Big money なんだから、女優ではなく、ニューヨークでニーズのあるバイリンガルのLawyerになるべきだ、ニューヨークが好きなら住めばいいじゃないかと。そのときは突拍子もないことを言われた感じしかしませんでしたが、後々になって、じゃあ自分は大好きなニューヨークじゃなくて、なんで東京に住んでいるのだろうと考え込んでしまいました。
色々と思い悩んだのですが、自分が無意識に積み重ねた選択の結果、東京に住むという選択をしていることに気づいたんです。その時モデルとして東京で選ばれるのを待っていただけの自分に違和感を抱きました。モデルはオーディションを受けて、クライアントの好みで選ばれる仕事。自分で仕事を選ぶことはできません。自分の仕事を、住む場所を、そして人生を、自分で選択するべきなんだと気づき、帰国してから就職活動をはじめました。

非営利組織で働くことで見えてきたもの

そういう意味で、私の社会人生活は25歳からはじまりました。選ばれるのを待つのではなく、もっと人の役に立つような、人に必要とされる仕事に就きたいと感じ、最初に入社したのがスポーツ系財団法人でした。

子どもたちのスポーツ教室、学童保育や、保育園、英語学校、専門学校など、かなり幅広い事業を展開していましたが、私は健康教育部という部署に配属されました。当時最も事業規模が大きかったのが健康教育部で、新人はほとんどここに配属されました。
そこでは、新体操クラスのプログラムディレクターを担当し、他にも水泳教室のコーチを担当したり、受付を行ったり、入会手続きや会費請求などの総務的な業務もこなしていました。
子ども達が楽しみながら教室に通ったり、なかなか運動が得意でない子でも根気強く練習を続けていたり、それぞれが新体操という競技に向き合って成長していく姿を見て喜びを覚えました。今までの芸能界という華やかな業界とは違い、人々の日常の幸せだったり、子どもの成長を共に喜ぶ機会であったり、焦点が変わったことによってそういったものを感じることはたくさんありましたね。

ただ、会社は伝統的にボランティアが活躍する組織だったということもあり、職員であっても「報酬」という意味では恵まれていませんでした。そういった点では、長期的なやりがいを考えると少し厳しい部分もありました。また非営利組織で働く中で、事業性に対する追求の甘さや、与えられた環境の中でしか成長できないもどかしさを感じるようになりました。
それをきっかけにMBAの取得を目指したんです。半年は仕事を続けながらMBAに通学していましたが、ちょうど実家の稼業を手伝うタイミングと重なり、3年半働いた財団法人を退職しました。

MBAプログラムではクラスメイトから非常に刺激を受けました。当時私は29歳で、クラスの中では比較的若い方でしたので、周囲には自分よりも長いキャリアを積んだクラスメイトが溢れていました。全く違うバックグラウンドを持つ年上の人たちと学び、議論し、課題をこなしていくことで、ひとつの事業体では学び得ないような、企業・団体のビジネスにおけるスタンダードや、ロールモデルなど、非常に多くのことを吸収することができました。
修士論文には、日本のNPOを題材にして職員のモチベーションをどう向上させるかというテーマを選択しました。公共性の高い事業を行って、職員も頑張っているのに、事業体としてうまく成果を出せず、持続的な経営ができない組織や団体が、世の中には沢山あるのではないかと。「社会企業家」という言葉が注目された時代でもありました。非営利組織に何か経営的なアクションを起こしたいと思う気持ちは、財団法人を離れてもずっと持ち続けている想いとして私の中に残っています。

非営利組織から学校へ。教育現場との大きな出会い

修士論文を執筆する中で、日本NPO学会の阪大の教授が主催するゼミに参加しました。そこでご縁をいただき、就職先を紹介していただくことができました。実家のほうも落ち着いてきていたので、また就職することにしたのです。MBAの課程終了を待って、4月入職の予定でしたが、早めに来て欲しいと言われて、年末からボランティアとしてその団体に行くようになりました。

そして3月に東日本大震災がおきました。その時のNPOでの対応などを見ていて、残念ながらそのNPOでは職員を大事にしない組織なんだなと感じてしまったんです。この組織で次に何か起きたら、職員として守ってもらえないだろうな、私、真っ先に死ぬだろうな、と思ってしまい。就職を再考しました。

そこで次に出会ったのが、学校という職場でした。たまたまマイナビで見つけたんですけど、学校の理事長の補佐として「役員室長」を募集していて、これだ!と。ここから学校職員としてのキャリアがスタートしました。その学校は経営改革を成し遂げ、私が入職した時は改革7年目に入ったところでした。
主な業務としては、理事長が講演する際の資料作成ですとか、採用フローの補助ですとか、現場との意見調整など、理事長の政策秘書的な役割を含め、学校経営の幅広い業務を経験しました。自分自身が中高一貫校出身で、中高の6年間が子どもに及ぼす影響の大きさというものに注目していたことや、母校の教育方針との共通性を感じたことなども、この学校を選択することに繋がりました。

ここで実践されていた学校改革の内容としては、授業の改革が大きな要素だったと思います。生徒や保護者は「顧客」ですので、顧客満足を目指して学校全体が動くことを重要視し、「聖域」と考えられてきた授業にまでどんどんメスを入れていました。私は医学部進学を目指す進学コースの立ち上げ1年目に関わらせていただいたのですが、そこでは生徒がゼミ形式で研究を行っていました。
かなりアンビシャスな教育が行われていて、今まで目立たなかった生徒でも不思議なくらい成長していくのを目の当たりにしたんです。そこで、自由闊達な教育現場という組織文化が出来上がる瞬間を見たような気がしましたね。教員と近い目線に立って教育現場に触れ、学校を経営するダイナミズムを感じたことで、学校経営というフィールドの可能性を強く感じました。

理事長の任期の関係もあり、その学校では2年弱働いた後に退職しました。その後、財団法人設立を伴った教育コンサルティング事業のスタートアップに参画しました。そこで1年働いたものの方向性の違いを感じ、また新たに転職活動を行う決心をしました。

学校経営をコンサルするという魅力的な仕事

前職で学校経営にかなり関心が高まっていたので、「学校 経営コンサルティング」というキーワードで検索をかけたんです(笑)。そこで出てきたのが現職の教育コンサルでした。業務内容や方針からしてベストマッチ。ほぼ一択で、この会社に入りたいと思いました。現在はちょうど入社1年目で、学校経営のコンサルティングを行っています。
例えばいま関わっている案件では、広報活動の支援を行っています。当事者達が気づいていない学校の強みを、外から客観的に見て引き出して、新たな魅力をPRに盛り込んだり、プレゼンテーションのアドバイスをしたり。学校説明会のプレゼンひとつにしても、より洗練された広報ツールや資料をつくることで受けとる側の印象は大きく変わってくるんです。教育内容と向き合い、広報のPCDAサイクルをまわすことで、 学校全体の活性化を目指しています。1年間は無我夢中であっという間でした。

実は、芸能界をやめるときに占い師のところにいったんですよ。そのとき、「あなたの天職はまだこの世にはない」と言われて(笑)。でも、なるほど、そうなのか、と感じました。いま無理やり「何になりたいか」を探すのではなく、出会った仕事を楽しみながら天職がこの世に現れるのを待とうかな、と。
自分の目の前に広がっているやりたいことを、ただひたすらやってきたので、大きなくくりで「将来何になりたいか」というビジョンを言葉にすることは難しいです。しかし、スポーツ系財団法人時代にみてきた子ども達の笑顔や、人々の生活が充実していく喜び、そういった部分に自分がアクションを起こせたら、とは常に考え続けています。

今後は、ターンアラウンドに注目していきたいですね。非営利組織や企業が経営的に逼迫した状態から、回復していくためのサポートに携わることに関心があります。事業の回復と共に、そこで働く人たちの人生が大きく花開いていく部分に、大きなロマンを感じていますね。

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佐藤 恵子(仮 (35)
経歴:

早稲田大学法学部卒業後、25歳まで モデルとして芸能活動

25歳 スポーツ系財団法人に入社 健康教育部に配属 プログラムディレクターを担当

29歳 英国の大学経営大学院MBAプログラムにてMBAを取得

32歳 学校職員としてのキャリアスタート 理事長秘書を担当

34歳 教育系コンサルティング会社に入社 


充実度

充実度: 82点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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