やりたい仕事へのチャレンジ

出版業界新革命の中心にいたい 既存システムと新しい技術との仲介役

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学生時代のインラインホッケーとの出会いが、起業へと向かう原点だったと語る鐘ケ江さん。大手SIerにてエンジニア、コンサルタントしてキャリアを重ねた後、現在は出版社業界の新産業革命に挑んでいます。鐘ケ江さんがどのようにして起業へと進んだのかじっくりお話しいただきました。

大学時代から、いずれは起業すると決めていた

社会人としての人生を歩み始めた時から、いずれは起業すると決めていました。就活時の企業選びも、将来の起業に繋げるべく「ベンチャースピリット溢れる会社であること」を軸としました。大手有名企業からの内定も頂いていましたが、最終的にはベンチャーから急成長を遂げたシステムコンサルティング会社へ入社しました。入社後はエンジニアとして配属され、約2年間はシステムの仕様設計やプログラミングを担当しました。主にフロント周りを担当していて、複雑な画面を整理してシンプルに作り上げていくといった作業は楽しかったです。
しかし、3年程勤めたら起業の準備に取り掛かりたいと考えていた自分としては、与えられた仕事をこなしていく立場に満足できてはいませんでした。
「自分はもっとできる」
「リーダーの仕事がしたい」
そんなことばかり考えていました。その後、周りに対してもそのように公言していたこともあってか、チャンスが巡ってきます。ある小さなチームのリーダーを任されることになりました。しかしこの仕事では、挫折を味わうことになります。自信とは裏腹にチームは暗礁に乗り上げ、ミッションを遂行できずに自分はリーダーを降りることになりました。今になって思えば、当時直面していた壁は、あきらめず挑み続けて入れば乗り越えられていたはずです。自分の身の程を知らなかったために、壁に圧倒され打ちのめされてしまいました。その時の自分には「必要なのはスキルを高め、目の前の仕事に集中することだ。」そう言いたいですね。

自分が何かを生み出す喜びを知るきっかけ

私が起業を志すようになったのには、学生時代の体験が影響していると思います。大学時代にインラインホッケーのチームを立ち上げました。もともと高校時代から趣味でインラインスケートをしていたこともあり、このスポーツには興味を持っていました。とはいえ、非常にマイナーなスポーツなので、当初は一緒にやってくれる人もおらず、いつかできたらいいなという程度に思っていました。ところがある日、大学の構内を自転車で通過していたところ、なんと、道端でホッケーをしている二人組に遭遇したんです。一度はそのまま通りすぎてしまったのですが、こんな機会は二度とないと思って引き返し「一緒にやりたい」と声を掛けました。そのまま一緒に練習して、その後定期的に集まるようになり、次第にチームとして活動するようになっていきました。

リーグ戦に参加したり、新勧活動をおこなったり、メンバーもどんどん増えていって、私が卒業するころには30名を越えるようなチームになっていました。卒業後にも、後輩たちが中心となって大学リーグを立ち上げたり、OBチームでもリーグに参戦するようになったりと、その活動は充実していきました。立ち上げから十数年たった今でもチームは存続していて、現役やOBといった仲間での交流も盛んです。

当初は何もなかったところから、出会いがあって、チームが出来て、またそれに関わる人が増えて盛り上がっていく。私にとってはとても喜ばしく大切な体験で、仕事においても自分が何かを生み出す手応えを感じたいと思ったのが、起業を意識するようになった理由だと思います。

思考を止めるな -出版業界と出会うまで-

かねてから考えていたように、入社してから3年経った頃に起業に向けて動き出しました。様々な事業アイデアを考えだしてはボツにし、ということを繰り返した後、これなら行けるのでは、というアイデアにたどり着きました。何かアドバイスがもらえたらと、それを資料にまとめて、当時の社長にメールで送らせてもらいました。しばらくして返ってきたのは、「思考を止めないでください。」とたったひと言が書かれたメール。

アイデアを実現しようと思えば、現実的な問題が次から次へと浮かび上がってきます。それらの問題にぶつかっても、思考を止めずに挑み続けることが大切です。社長はそれを伝えてくれたのですが、当時の自分には理解できませんでした。結局、その時は起業を断念し、アイデアも実を結ばずに終わります。

その後さらに2年間同じ会社で働くことになりますが、それまでと業務内容は変わりました。プロジェクトマネジメントの資格を取っていたこともあり、他社が苦戦していたプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務に配属されました。それまでの開発業務とは違い、ロジカルシンキングや会議のファシリテーションといった、いわゆるコンサルとしてのスキルが求められて大いに戸惑いました。また、百戦錬磨の他社の営業マンやエンジニアが集う会議を仕切るのは、とても大きなプレッシャーでした。優秀な先輩方の指導のおかげで何とか仕事をやり遂げ、プロジェクトの正常化に貢献することができました。

そして、その後に配属されたのが、ある不動産企業の全社システムを刷新するプロジェクトでした。このプロジェクトは、どのようなシステムが最適かコンサルティングするところから始まり、実際にそれを開発するという、私にとってはこれまで携わってきた業務の集大成ともなるプロジェクトでした。コンサルティングを完了し、実際に構築するフェーズに入り、その開発作業が一区切り付いたところで、会社を辞める決心をしました。2年前に起業しようとしたときは、事業アイデアを考えることに散々頭を悩ませましたが、この時は先に辞めることを決めました。

出版業界新革命の中心にいたい

起業するにあたって目をつけたのが、出版広告の事業でした。理由のひとつには、出版も広告も「情報」を取り扱う業種であり、ITつまり情報技術が大きなインパクトを持つと思ったからです。もうひとつの理由としては、祖父、父が代々出版広告(新聞広告)を生業としてきたこともあり、やはり昔からこの分野に関心があったことと、父の会社と協力することにより、そのコネクションを活かせる強みがあったからです。

「本の広告をWEBで」これを基本に、出版社へバナー広告やリスティング広告といった、ネット広告の提案営業を開始しました。しかし、広告以前にホームページすらままならないところが多く、まずはそれから何とかしよう、ということで出版社のホームページ制作事業を開始。いくつかの制作案件をこなす中で、出版社特有の共通した要件がたくさんあることに気付き、それをパッケージ化したCMS(コンテンツマネジメントシステム)を開発しました。このサービスは現在2代目となり、導入出版社は100社を目前にしています。

また当初の目的である本の広告に改めて取り組むため、本が好きな人が集まるWeb上のコミュニティサービスを立ち上げました。出版社から新刊本をいただき、それをユーザーにお渡ししてレビューを書いてもらいます。そのレビューをソーシャルメディア等で拡散して、広告効果をもたらします。

また、2年ほど前から電子書籍の配信システムを開発、運営しています。これは、出版社や著者が自分のホームページやソーシャルメディア等で直接読者に対して電子書籍を配信できる仕組みです。特に専門性の高い書籍では、大手のネット書店に商品が並んでいても、なかなかその存在に気づいてもらえないことが多いです。ダイレクトに読者に届けることで、より効率的かつ手応えのある電子出版が可能になります。

出版業界は今大きな転機を迎えています。技術が発達して大きな可能性が拡がっている一方で、成熟した業界であるゆえに既存のモデルに縛られてなかなか動き出せない企業や人々も多いです。しかし、日本の出版産業は素晴らしいコンテンツを作る力を持っています。それを何とか、新しい世代のモデルでも花開かせたいと思っています。そのための研究と開発を今後も続けていきたいです。

創業時、未来像のイメージはまったくありませんでした。ごくシンプルに、新しいもの・まだ世の中にないものを作ることの魅力を感じていただけです。それはやはり思考を止めずにやり続けることによってのみ得られるものだと思います。

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鐘ヶ江 弘章(カネガエ ヒロアキ) (37)
経歴:

22歳 大手システムコンサルティングに入社

24歳 プロジェクトマネジメントの資格を取得しプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務に配属。同時期に起業を志すも断念

27歳 株式会社フライングラインを創業

33歳 パッケージソフトを展開するも苦戦し再スタート

36歳 ブラウザを使った「デジタル本」の閲覧システムYONDEMILLをリリースし今に至る


充実度

充実度: 77点

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