スキルアップ

夢を諦めて出会ったナイトビジネスの面白さ。キャバクラの店長としての責任

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接骨医(柔道整復師)からお笑い芸人を目指し、現在はナイトビジネスで経営手腕を発揮している里村さん。幼少期に育まれた人との絆を大切にする生き方は、ナイトビジネスの経営哲学にも通じている。そんな里村さんはこれまでどのような人生を歩んできたのかをお聞きしました。

いつも仲間たちの中心にいた

私は兵庫県の淡路島で生まれ育ちました。自然豊かでのんびりしたいいところです。高校卒業まで淡路島で過ごしましたが、常に仲間に囲まれていたのを覚えています。私も親も友人が多く、家にはいつも人が集まっていました。

小さな島ということもあり、仲間同士の結束は固かったですね。それぞれが信頼関係で結ばれていて、大切な仲間だけは何があっても裏切らない、という目に見えない絆があったような気がします。

小学校では6年生までずっと学級委員でクラスのまとめ役。中学生からはやんちゃしていたので、学級委員はやらなくなりましたが、グループのまとめ役だったのは間違いないですね。

社会に出てから思ったのですが、リーダーシップを発揮する人間というのは子どもの時代からすでに意識せずとも人を惹きつける何かを持っていると思うのです。多分、リーダーシップとは意識して身につけるものではなく、持って生まれた性質によるものではないでしょうか。

話を戻しますね。中学・高校時代、部活の柔道と仲間たちと遊ぶのが楽しくて、勉強はほとんどしませんでした。また、将来のこともそれほど真剣には考えていませんでした。

高校3年になり、そろそろ進路を決めなければいけないというとき、母親が接骨医養成の専門学校のパンフレットを持ってきました。

「なあ、ここええやろ?」

特にやりたいこともありませんでしたので、母の言うままに専門学校への進学を決めました。

一生を賭けられる仕事

生まれ育った淡路島を離れ、大阪の専門学校に進学しました。専門学校の学費はかなりの高額でしたので、これ以上親に負担を掛けないように生活費は自分で稼ぐことにしました。学校の授業は午後の4時間でしたので、朝と夜のバイトをしながら学校に通いました。

授業内容は興味深いものが多かったですね。解剖学、生理学、東洋医学など面白いものばかりでした。解剖学の授業では、解剖そのものはできないため近くの大学の医学部に行き、解剖が終わったあとの人体を見せてもらったこともありました。

生活はけっこう大変でした。

なるべく家賃の安いところに住もうと探した結果、見つかったのが5階建てアパートの5階でエレベーターなし。住人は外国人ばかりでとにかく騒がしく、料理の匂いが強烈で部屋にいられないほど臭い。それでも家賃3万円の格安物件でしたので、何とか卒業まで耐えました(笑)。

4年間地道に勉強を続けた結果、無事に国家資格を取得。その後大阪の整骨院で働くことになりました。

「将来は自分で開業しよう」。そんな思いを抱いて働きはじめたものの、すぐに疑問を感じはじめました。どうしてもこの仕事に一生を賭ける気にはなれなかったのです。半年ほど自分に問いかけながら仕事を続けましたが答えは出ず、一旦仕事を離れることにしました。もやもやした気持ちをリセットしたくて、友人を頼って沖縄へ向かいました。まあ、ありがちと言えばありがちですが(笑)。

それは本当の夢と言えるのか

1ヶ月ほど沖縄で過ごした後、東京にいる双子の弟のもとへ向かいました。

弟は以前からお笑い芸人になりたいという夢を持っていました。私はそんなことなど再会するまでは忘れていたのですが、久しぶりに弟と語り合ううちに、高校の文化祭で二人でコントをやったこと、いつも二人でみんなを笑わせていたことなどを思い出しました。

一緒に芸人を目指すのも悪くないかもしれないなと思いました。きっと新しい目標が欲しかったのでしょう。とにかく前向きな気持ちになれたことだけは確かです。

それならばお笑い芸人の養成学校に入ろうということになり、まずは生活のためにキャバクラのアルバイトをはじめました。そのアルバイト先が現在私が支部長を務めるナイトラウンジ「glitter」です。

昼は養成所、夜はバイトの日々がはじまりました。はじめのうちは楽しかったし、真剣にお笑いを考えていたのですが、徐々に現実が見えてきました。ぶっちゃけて言えば才能がなかったということですね。むしろ、覚悟が足りなかったといった言ったほうがいいかもしれません。

養成所の同期の連中は凄い奴らばかりで、芸人になることに命を懸けているのがヒシヒシと伝わってきて、私などとは覚悟が違うと思いました。その同期のうちの何人かは、今まさにテレビでブレークしています。

明らかに彼らに勝てないなと思いました。養成所に通い始めて1年、きっぱりお笑いの道は諦めることにしました。

夢を諦めた時に見えた未来

生活のためにはじめたキャバクラのアルバイトでしたが、仕事の内容はけっこう気に入っていました。キャバクラのスタッフ業務には割と向き不向きがあるようで、入ってもすぐに辞めていく人が多かったですね。私は上司の人柄にすごく惹かれていましたし、何より仕事が面白かったので辞める気はまったくありませんでした。

お笑いの道をきっぱり諦められたのも、この仕事に出会ったからだと思います。

バイトとしてまずフロアの仕事に就きました。じつはフロアの仕事はお客様との相性がすごく大切で、ちょっとしたことでお客様からクレームを受けることがあります。落ち度はなくとも嫌われることがあるわけです。私は持ち前の人懐っこさのお陰なのか、どのお客様も気に入られていました(笑)。

この仕事に賭けていこうと決めてからは、与えられた役割に対し全力で応えるように努力しました。仕事に対する評価も正当にしてもらい、役職もつけてもらいました。

現在管理職の立場として店長の仕事を任されていますが、「魅力商売」としての店づくりを第一に考えています。キャバクラの店長という仕事についてはよくご存知ない方も多いと主ますが、通常の管理職業務とほぼ同じだと思います。まず職場としての魅力を高める必要があります。

この東京にはたくさんのキャバクラがあり、移ろうと思えばどこへでも行けるわけです。glitterでこそ働きたいというお店であるためには、全員が気持ち良く働ける雰囲気づくりが大切だと考えています。そのためには、スタッフ一人ひとりが目標を持って働くことが必要です。私が店長として最も意識している点はこのことです。

キャバクラとは一見するとキャストが主役に見えるかもしれませんが、じつは男性スタッフのしっかりしたオペレーションこそが重要です。働くスタッフ全員がそれを意識していないとお客様に喜ばれるお店にはなりません。

店長としての仕事をするうえで、上司から学んだ「人を大事にすることを忘れてはいけない」という言葉をいつも大切にしています。ミスをして叱っても、帰る時は笑顔で帰れるようにフォローすることを心掛けていますし、必要があればプライベートの相談にも乗ることもあります。事情により退職したスタッフや、面接に来たものの入社まで至らなかった人などに対してもその想いは変わりません。実際、退職して5年後にカムバックしてくれたスタッフもいますしね。

当店のコンセプトは、「都心に出店しない」「クオリティの高いサービス」「低料金」の3つ。
これを基本として現在4店舗を展開していますが、さらに店舗数を拡大して成長させたいと考えています。具体的には3年以内に10店舗、売上100億を目指していきたいですね。私もキャバクラの店長としての立場を超えてより大きな仕事をしていくつもりです。

いつまでも未来を目指していきたいと思っています。

里村太 (30)
経歴:

21歳 整骨院勤務を開始

25歳 お笑い芸人を諦めglitter(http://luxury-floor.jp/)に勤務開始

26歳 店長に昇格

28歳 支部長に昇格


充実度

充実度: 76点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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