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趣味を通じて見つけた成し遂げたい夢と価値観

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自分の将来を見つめ直したとき、大好きなサッカーが教えてくれた人生の志とは。
かたちは変わりながらもずっとサッカーに関わり続けている山本さんが今、日本ブラインドサッカー協会で目指すサッカーの未来について伺いました。

自問自答した大学時代

4歳からサッカーを始め、小学校、中学校、高校、大学、そして社会人になってからも、関わり方は多様に変化しながらもサッカーを続けています。そういった意味でサッカーを抜きに自分の人生を語ることはできません。

高校までは部活動できびしい練習をしていましたが、大学ではサッカーサークルに入りました。そのチームでは部活動ではないものの、高校までしっかりとトレーニングを積んできたメンバーが集まっていてレベルも高く、きびしい練習などはないながらも楽しくサッカーができ、充実した大学生活を満喫していました。

一方で大学生活も2年目を迎えたころ、このままでいいのかとふと思うようになりました。サッカーは好きで続けているものの、何かを突き詰めるわけではなく、中途半端な毎日を過ごしていることに疑念を抱き始めたのです。そんなとき、友人からの誘いでフットサル大会に運営スタッフとして参加し、サッカー団体「infinity(インフィニティ)」と出会いました。この団体は、当時はまだ学生団体でしたが、現在は自分を含む社会人も多く所属しており、今も活動を続けている団体です。

変わり始めたサッカーとの関わり方 ブラインドサッカーとの出会い

大学2年生のある日、インフィニティの活動の一環でアジアの子ども達と一緒にサッカーをする国際交流イベントがありました。そのイベントには日本、中国、韓国、アフガニスタン、ロシアといった様々な国籍の子ども達と日本の大学生が参加し、一緒にサッカーを楽しみました。

このとき、自分の中でサッカーに対する価値観が大きく変わりました。彼らにサッカーを教えたり、試合をしたりするなかで、言葉が通じなくてもサッカーをすることで心が通じ合い、自然と仲良くなれるということを身をもって感じたのです。これまでサッカーは自分が楽しむことや、試合に勝つことで得られる喜びが中心で、自分のための自己満足のサッカーでした。でもこのとき気づかされたのです。「サッカーの楽しさは勝つことばかりではない」、「多くの人と仲良くなれるコミュニケーションツールとしてのサッカーもある」、「サッカーには色々な楽しみ方、関わり方がある」ということに。

この出来事以降、自分がサッカーをプレーするだけではなく、様々な活動に携わるようになりました。例えばサッカー日本代表の試合では、スタジアムのゴール裏で横断幕を掲げて観戦活動をするようになりました。選手入場の際に大きく広げるユニフォーム型の応援旗(ジャイアントジャージ)を掲げたり、選手幕を作成して応援しました。また、今では一般的になっていますが、日本代表がアウェイで試合を行う際には、パブリックビューイングの企画運営も行なっていました。ブラインドサッカーをはじめとする障がい者サッカーとの出会いも大学時代です。サッカーには色々なかたちがあることを知り、大会運営ボランティアや日本代表の応援をするようになりました。

自分が本当にやりたいことがわからなくなった

サッカーに関する活動を進めながらも大学生活は順調に進み、私も人並みに就職活動の時期を迎えました。サッカー日本代表のサポーター活動のなかで特にユニフォーム型の応援旗が好きだったのですが、はじめてその応援旗を手に取ったときのワクワク感は今でも忘れられません。そんな、何かを手にすることで人が喜び、ワクワクできるようなものづくりの世界に携われないかと考え、そこで目をつけたのが広告業界でした。広告にも様々な媒体がありますが、その中でもモノ・コトの魅力を伝えられる広告会社を志望し、大手印刷会社に入社することになりました。

最初の2年間は自ら希望して九州にある営業所に配属していただき、営業の仕事に従事しました。大学時代のサッカー活動はイチをジュウにする活動が多かったため、社会人になってからはゼロからイチをつくりだす力をつけたいと思ったからです。そこでは営業職として中小企業の食品メーカーや酒造メーカーを中心に十数社担当し、商品のパーケージ製作やプロモーション施策の提案営業を行なっていました。必死になって取り組んだ結果、2年目に新規開拓営業表彰を受賞することができました。

その後東京に戻り、小売・流通系の企業を担当することになりました。このころは、自分のなかでは色々な葛藤や悩みが多い時期でした。九州にいたころは、ひとりで十数社を担当していたためオーナーシップをもって働いている実感があったのですが、東京では大手企業を数人から十数人のチームで担当するという体制のため、細分化された専門性が求められ、成長実感が得られず「本当に自分がやりたいことは何なのか」ということに日々悩んでいました。

自問自答で見つけた答え ブラインドサッカーとの出会いが変えた価値観

自分が本当にやりたいことは何なのかを自問自答し続けましたが、そこで出した結論は「今のまま考えていても何も分からない」というものでした。ひとりで悩んでいても自分の視野の範囲内でしか考えられず、納得のいく答えが出なかったのです。そこで自分の置かれている環境を変えたいと思い、経営大学院に通うことにしました。

経営大学院の学びは刺激に溢れていましたが、その学びを活かすことができない自分の現状に歯がゆい気持ちも高まりました。知識としての学びにはなっているけれど、自分の会社でそれを実践することは難しく、経営大学院の学びが身についている実感がなかったのです。

そんな時、歴史上の偉人に触れることで自身のパーソナルミッションを考えるという講義で、「好きを続ける中で生まれる使命感がある」という言葉に出会いました。この言葉にはっとさせられ、この言葉をきっかけに自分はこれまで何に本気で取り組んできたのかということを考え直しました。これまでずっと続けてきたサッカー、それに加え障がい者サッカーの活動にも思いを馳せました。なかでも、ブラインドサッカーの活動を振り返ると、自分自身の障がい者への見方が変容していたことに気付いたのです。

そのとき、自分のサッカーに対する価値観が、”自分が楽しむための自己満足のサッカー”から”まわりの人と楽しむことができるコミュニケーションツールとしてのサッカー”に変化し”社会課題を解決できるソリューションツールとしてのサッカー”というように、自分が成長する度に変わり続けていたことが分かり、「サッカーを通じて人と組織の可能性を広げる」という自分の使命を言語化することができたのです。

ブラインドサッカーを通じてサッカー界全体の底上げを

そのような使命のもと、ブラインドサッカーの強化・普及活動を行なっていくことを決意し、日本ブラインドサッカー協会に参画しました。その先にある、障がい者サッカーの組織間連携、サッカー界全体の底上げも目指して活動しています。

現在は個人向けの資金調達、SNSの運用、制作物やキャンペーン企画、企業研修での講師、大会運営、広報など幅広く活動を行っています。昨年行なわれた世界選手権では、初のチケット有料化に伴うシステムの導入から販売までを担当しました。小さな組織のため、一人ひとりに任される範囲は広大です。

ブラインドサッカーの活動を通じて、「障がい者と健常者が混ざり合う社会の実現」を目指しています。ブラインドサッカーには想像を超える激しさや、勇敢に戦う姿などから受ける刺激も多く、さらに、観る人や関わる人の障がい者への見方、マインドセットを変えるパワーを持っていることも魅力のひとつです。ブラインドサッカーを通じて、人の価値観がプラスに変わっていく瞬間に立ち会えることが何よりの喜びでありやりがいですね。

今後はサッカーをプレーする全ての人が、ブラインドサッカーを経験する世の中を目指したいと思っています。ブラインドサッカーは、視覚を遮断した状態で声をかけてプレーしますが、通常のサッカーをやる上でも活かせる要素が詰まっている価値あるものです。サッカーをプレーする子ども達が足技を磨くためにスクールでフットサルをプレーするのと同じように、コミュニケーションやチームビルディングを学ぶためにブラインドサッカーを経験する、そうなっていくことが競技の普及にもつながり、ゆくゆくは障がいの有無に関係なく、いつでも、誰でもサッカーが楽しめるような環境の整備にもつながっていくと思います。

そして、障がい者サッカーの組織間やサッカー界全体でノウハウの連携をしていくことで、全体の底上げもはかっていきたいと考えています。2020年東京オリンピック、パラリンピックの追い風を受けて、更に活動を活性化させていきます。

こた
山本康太 (31)
経歴:

大手印刷会社にて法人営業に従事。大手クライアントをはじめとする様々なお客様を担当。

その後、「サッカーを通じて人と組織の可能性を広げる」という志のもと、日本ブラインドサッカー協会に転身。

ファンドレイジング、企業研修、広報等幅広い業務を担当


充実度

充実度: 80点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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