やりたい仕事へのチャレンジ

意味がないと思えた仕事が自分の夢になることもある

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キャリアを重ねるごとに、自分が本当にやりたい仕事とは何なのかを見失っていった横山さんは、ある一言でこれまでのキャリアが無意味ではなかったことに気付きました。現在、投信運用会社にてマーケティングの仕事で活躍中の横山玲子さん。今のキャリアの意味を知るまでについて伺いました。

一生を捧げる仕事に出会いたいと思っていた

将来は文筆業で身を立てたいと考えていました。まず、新聞社で記者の仕事に就き、その後ジャーナリストとして活動の場を広げていければと思っていました。ジャーナリストの仕事に一生を捧げる決意でした。

大学1年のときに「ミス鎌倉」に選ばれました。その時の審査委員長が私を強く推してくれたのが大きかったそうです。その方は地元のケーブルテレビ局の社長さんでした。ミス鎌倉の仕事が終わってからもとてもかわいがっていただいて、私が新聞社を志望していることをお話しすると、何かあったら相談に乗るからと仰っていただきました。

いよいよ就職活動がはじまり各新聞社の選考を受けていったのですが、どうにも新聞社の雰囲気に馴染めませんでした。なにやら暗い話ばかりを聞かされ、社内に漂う雰囲気もあまり好きになることができず、これは困ったなと思いました。そこで、テレビ局の社長に相談してみることにしました。お会いすると「じゃあうちでアナウンサーはどう?」と誘っていただきました。同じ「伝える仕事」ということで、お誘いを受けることにしました。

理想と違う現実、理想と違う仕事

卒業後、地元のケーブルテレビ局にアナウンサーとして入社しました。アナウンサーとは言っても、地上波の局アナとは別世界の仕事で、地元のミニコミ誌が扱うような身近な話題について少し話を盛りながらリポートする程度の仕事です。どうやら私自身が過大な期待を持ち過ぎていたようで、しばらくするとこの仕事への意味を見出せなくなってきてモチベーションが下がってきてしまいました。入社後2年ほど経ったころ、制作ディレクターとの折り合いが悪かったこともあり退職することを決意しました。それでも、番組制作でのものづくり感を強く感じられたことはよかったと思っています。

マスコミの仕事が結局はガテン系であることの反動なのか、無性に学びたいという意欲に駆られ会計士の勉強をはじめました。深い意味もなく、資格を取れば職に困ることはないかなと(笑)。これを機会にアメリカの会計事務所で働きながら会計士を目指してみるのもいいなと思い、その仕事の準備をはじめましたが、手続き上の不備でビザが下りず断念。自分の運のなさに落ち込んでいたところに、幼なじみから連絡が入りました。

後日、幼なじみと久々の再会。お互いの近況を語り合う中で、彼女が金融システム開発会社で働き、会社が株式公開をしたばかりであることを知りました。
「うちでやってみない?」
彼女の誘いに落ち込んでいた気持ちがふわっと動きました。会計士の勉強で「企業価値」というものにとても興味があった時期で、経営企画に携わる仕事ができるかもしれない。私は誘いを受け、金融システムの世界に入ることを決めました。

仕事に大きな意味を見いだせず迷走

入社してみると、社内では新規プロジェクトが続々と立ち上がっていて、忙しさが見て取れました。会社からは、たくさんのことを経験してほしいと言われ、そのスタートとして金融エンジニアとしてディーリングシステムのパッケージソフト開発のプロジェクトマネージャーを任されました。パッケージ導入なので業務要件とシステムの制約のなかで仕様を詰められればプロジェクトをコントロールしていくことは可能でしたが、仕事を進めていく中、やはり開発の経験がないことは自分の弱みだと感じるようになり、開発への異動願いを出しました。しかし、プロジェクトマネージャーとしていまできる仕事を続けて欲しいと言われ、却下されてしまいました。基礎を固めないと更なる成長はないと思っていたので、その成長意欲を削がれたようでがっかりしましたね。

その後、同僚と結婚したことを契機に退職。ふたりで世界1周の旅に出ました。

約1年の旅を終え帰国すると、退職した会社から復職のオファーがありました。リーマンショック後アローヘッドのシステムの改正があり、急激に業務が多忙になったため人材を求めているとのこと。夫は他企業へ転職、私は復職することになりました。戻ってはみたものの1度辞めた仕事に面白みを感じられず、同じ時期に知人から外資系企業への引き抜きの話もあり再び退職することになりました。

次の転職先は香港企業の日本法人。海外製の金融システムを日本に展開するための会社で、私が入社したのはその立ち上げの段階でした。私の仕事は主に、翻訳などをしながらドイツ製の金融機関向けトレーディングシステムを日本の取引ルールに合わせてカスタマイズし、日本向けにアレンジしながら市場開拓する仕事でした。

しかし、最終的にはシステム自体が日本の制度にマッチしないという課題が浮き彫りとなり、思うような成果を上げることはできませんでした。さらに、自分の金融エンジニアとしての在り方にも大きな疑問を抱くようになりました。金融テクノロジーの最先端に関わりつつも、自分の目の前の仕事がユーザーに対してどういう意味があり、どう関わっていくのかに興味を失っていることに気が付きました。最先端の金融テクノロジーに触れているとは言っても、金融本来の役割とは解離した位置で仕事をしていることに自分の仕事の意味を見出せなかったのです。

金融エンジニアとなって6年、様々なスキルを身につけたことで成長スピードそのものは鈍化しましたが、代わって周囲を見渡す余裕は生まれてきました。リーマンショック以降の市場の悪化、本社からの強いプレッシャー、そして東日本大震災発生。ふと初心に返り、自分は一生を捧げられる仕事と出会うことを夢見ていたことを思い出しました。これからは自分がやりたいことをやろう。そう決意し会社を離れることにしました。

仕事の意味を教えてくれたひとこと

退職の直前にビジネススクールと出会ったことも次に向かう後押しになっていたと思います。退職後の4月からビジネススクールに入学。MBA取得までの期間、少し仕事のストレスをゆるめてやりたいことを探そうと思いました。ラッキーなことに知り合いの会社から好条件のオファーをいただき、お世話になることにしました。仕事はこれまでやっていたことと同じ、証券業務とシステムの橋渡しでした。

やりたいことを探すと決めたものの、まだ迷路の中にいた感じでしたね。会社以外に花屋の仕事をはじめてみたりして、仕事の意味を見つけるために試行錯誤の毎日だったと思います。しかし、ある方との出会いが私の迷いを断ち切ってくれました。

ビジネススクールのイベントに参加したときのことです。そこで行われたコモンズ投信会長の渋澤氏の講演をお聴きしました。

「お金には色はないと言われますが、ついているではないですか。想いがべったりと」

親から子への想い、社会に貢献したいという想いなど、誰かの想いに沿ってお金は循環しているということを教えられ、初めて金融の本質を知った気がしました。金融にはこんなにも愛があるのだなと感動すらしました。

これまで積み上げたキャリアなど何の意味もないと思っていたのが、渋澤氏の言葉によりキャリアはすべて自分の財産なのだと気づくことができたのです。渋澤氏のもとでちゃんとした金融を広めるお手伝いをしたい。私はコモンズ投信へ入社したいと伝えました。引継ぎやプロジェクトのタイミングですぐには入社できませんでしたが、出会いから1年半後晴れてコモンズ投信に迎えていただきました。

現在、マーケターとしてWEBマーケティング、セミナー企画などの仕事を担当しています。B to Cのマーケティングは未経験の分野ではありましたが、戸惑いはありませんでしたね。今は自分の中で折り合いはついていることですが、私の志向として、課題の本質にフォーカスしてしまうところがあります。そのため、本来の業務の域を超えて経営課題を考えていってしまっていたのですが、そこは将来自分がやりたいこととすることで今はそこには踏み込まない。目の前の自分のミッションに対し最高のパフォーマンスを発揮することに集中しています。

自分の夢がわからない、そう悩む方も多いでしょう。私もやっとその答えらしきものを見つけたばかりです。でも夢は探し続けることできっと見つかります。企業、経営者の理念に深く共感できたとき、企業の夢が自分の夢となることがあるのです。私はそれを「公私混同できる仕事」と捉えています。

いま私が目指すのは、本来の金融の力を使って日本をもっとひとつに、そして元気にすることです。この金融という世界に自分の人生を捧げていきたいと思っています。

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横山玲子 (35)
経歴:

22歳 ローカル放送の女子アナウンサーとしてキャリアスタート

25歳 金融システムのPMに転職

29歳 復職するも仕事の意味を見いだせず迷走

30歳 夢を探す為に転職

34歳 価値観を一変させる出会いがありWEBマーケターとしてコモンズ投信に転職


充実度

充実度: 72点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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