スキルアップ

横須賀市長に直談判。横須賀をロールモデルに地方活性化を目指す。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

大手教育系出版社での厳しい営業の世界に飛び込み、対人スキルやマネジメント能力を身につけた土屋さん。より経営に近い立場で働きたいと考えるようになり、ベンチャーへの転向を決意しました。ビジネススクールでの授業をきっかけに、被災地の復興という視点から自ら株式会社リンク・サポーターズを立ち上げます。営業で培った能力を活かしながら、地域活性化を実現していくビジネスを模索し、活躍する土屋さんにお話をお伺いしました。

新卒で飛び込んだ、厳しい営業の世界

大学卒業後は、中央出版という会社に入りました。全国展開の教育系の出版社で、訪問販売を担当していました。具体的には、配属は茨城で、家庭に飛び込み営業を行って、教育診断テストを中学生のいる家庭に営業するというものです。

当時は車で1日50件ほどまわって、販売をかけていましたね。飛び込み営業はとても厳しい世界で、相当大変な仕事でした。話は聞いてくれるのですが、うまく断られる日々で、売っている製品そのものよりも、人柄を買ってもらう仕事でしたね。

自分自身元々は教育に興味があって、海外志向も強く持っていました。高校の時に、学校の先生になりたいと思っていました。学生時代は野球部に所属していて、野球の部活監督がやりたいなと思ったので、社会科の教師になるのが良いのかなと考えていましたね。

ただ教職をとることもしなかったので、人に教えることが好きという気持ちだけを持ち続けてはいました。そのあたりのビジョンがマッチしたので、中央出版に入社を決めました。とても大変な世界でしたが同時に今の全ての土台となる能力をたくさん身に付けることができました。

訪問販売を3年、その後はアポ営業を4年と全部で7年勤めました。大変な仕事でしたが、振り返ると人と接する対人コミュニケーション能力や、数字追求にはとことん拘るという会社であったので、目標達成意識などが身に付きました。入れ替わりの激しい会社であったので、出世が早く上に立つことが多くなり、人をみるマネジメント能力も高まったと思います。

教育に携わりたいと思い進んだ道ですが、とにかく仕事中心の生活で休みもほぼなく、ひたすら走り続けていたので、自分のビジョンと比較する余裕もあまりなかったことも事実ですが。

組織の経営に、より近づきたい

30歳になった時に、そろそろ転換期だなと思い始めました。というのも大企業だったので、社長にお会いする機会などもほとんどなく、もっと経営に近いところで働きたいと考えて、転職活動をスタートさせました。

転職の基準は、経営により近い立場で働ける小規模な会社という視点です。教育関係の塾や、職種に限らないベンチャーの幹部候補などに目をつけていました。その時に出会ったのが、インターネットのアフィリエイト広告を請け負っているベンチャー企業でした。

金融系のアフィリエイトの会社で、私はコールセンターの管轄の担当となり、オペレーターの管理などを行いました。創業3年の15人の会社であったので、経営には距離が近かったのです。ただ、今まで大企業に守られてきた自分にとって、何もかもを全て自分で考え創り上げていかなければいけない環境で力のなさを痛感し、結果1年で辞めることになってしまいました。

ここでは自分自身のキャリアで大きな挫折を味わった気がします。
精神的にもどん底でしたが、振り返るとこの挫折が、自分自身が今大事にする謙虚さだったり、慎重さにつながっていると思います。

その後どうしようかと悩んでいたところ、次はきっちりとした転職活動は行わず、営業制作をしている技術者の知人の紹介で、営業代行みたいなものを始めました。根本的に人と接することが好きだったので、営業に向いていたんだと思います。ちょうどそのあたりで、ビジネススクールのグロービスにも通い始めていました。

グロービスでは、ベンチャー企業時代に痛感した力不足を補うスキルが身についたのはもちろんですが、何よりも人的ネットワークを得たことが大きかったです。何か始めようと思い立った時に、一緒に取り組める人脈が、一生の宝ですね。

被災地の現状を知り、地域活性化という視点をもつように

グロービスでの学びを経て私は起業しました。現在の会社の、地域活性化というコンセプトには、グロービスの「ソーシャルベンチャープログラム」という授業の中で知り合ったチームがきっかけです。

メンバーの1人が宮城県の石巻市雄勝町に思い入れがあったのですが、その雄勝町は、津波の被害で4000人の人口が900人に減ってしまった地域でした。その時に初めて被災地を見に行きました。そこで愕然として、何かをしなきゃいけないな、と感じたのです。

そこで知り合った人々の話をきいて、現場をみて、復興のやり方は多々あると思うのですが、中でも印象に残ったのが、彼らは自分たちの想いやモノを外部に発信したいがその方法が分からないという意見を多数聴きました。その手伝いを自分がやりたいと思って、最初は復興支援という形で起業をしました。

そこで2014年の2月から現在の会社リンク・サポーターズを立ち上げて、去年1年は地道に全国をまわって地方の魅力やサービスを見にいきました。地方の課題の根本としては、現状に満足してしまっていて、保守的になってしまっている人々が多いことが大きいと私は考えています。

そこにアクションを起こすためには、実際に現地の人々とお会いすることでひたすら話をして、じっくり時間をかけるしかありませんでした。意識したのは、「やらなかったら、こうなってしまう」というネガティブな伝え方ではなく、「やってみたら、こんなこともできる」という明るい未来を見せる、ポジティブな方向に話すことがとても効果的であったように思います。

地域は多様な問題を抱えていましたが、それらをどう解決するかがすごく大事で、そこにおいては、モノよりもヒトを軸に考えていました。「自分にはこれができる」という提案ではなく、「この地域ならば、この方法がベストである」という思考ですね。

今後の到達目標として、場所のライフスタイル格差をなくしたい、という大きな夢があります。今注目しているのは、移動販売車。移動販売と娯楽・レジャー、IT、オフィスなどを組み合わせていくようなビジネスを画策しています。活動の方針としては、慈善事業としてではなく、win‐winな関係であれるような仕組みを考え、長期的なスパンの目線をもって行う、ということが取り組みの条件としてありますね。一緒に活動するのは、地域活性化NPOや地域に根差した企業、自治体が主だと思います。

横須賀をロールモデルに、全国の地域活性化を目指す

そして現在力を入れているのが「ヨコスカバレー構想」という企画ですね。横須賀という地域を活性化するために、情報通信企業を誘致していこうというものです。この企画のボードメンバーになったきっかけは、2年前です。横須賀市の吉田市長がグロービスにいらっしゃっていた際に、僕が横須賀市民であるということを話して、そのときにこの企画を知りました。

私自身率直にとても面白いなと思って、自ら市長にメールして、横須賀のために力になりたいという想いを伝えました。ボードメンバーは錚々たる人物が多く、自分がヨコスカバレー構想の力になれることは何かと考えた時に、自分の役割は、外に横須賀の良さを発信していくことだと考え、その1つとして「YOKOSU会議」をアレンジしました。

振り返ると今までは、形のあるモノの営業に苦しさを感じたこともたくさんありました。
ただその時代があったからこそ、今の自分の営業力、発信力があると思います。これからは、大きな目標としての「場所のライフスタイル格差をなくす」「地域と地域の結びつけ」など、自分がそれぞれの地方間のハブとなって、消滅都市を無くしていきたいと考えています。今回の横須賀市をロールモデルに、最終的には、日本全国の地域を活性化できるような取り組みをどんどん発信していきたいと思っています。

tsuchiya
土屋 健司 (35)
経歴:

22歳 新卒で中央出版に入社、営業を担当

30歳 ベンチャーへ転職 コールセンターの管理者を担当

31歳 ベンチャーを退職し、営業代行を行う 

33歳 株式会社リンク・サポーターズを設立


充実度

充実度: 80点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

メッセージを送る

このインタビュー記事についてご意見、ご感想などありましたら、
ぜひメッセージをお送りください。

メッセージを送る