やりたい仕事へのチャレンジ

シンクタンクからサルサバーの経営へ。好きを仕事にする生き方

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小学3年生でコンピュータと出会い、6年生の時には簡単なプログラムは組めたという松嶋さん。大手コンサルティング会社にてシステムインテグレーターとして活躍していた彼が、突如サルサバーの経営者へと転身したのはなぜか?松嶋さんにお話しを伺いました。

コンピュータとの出会い

世代で言えば、私はいわゆるファミコン世代です。小学校3年生くらいに学校の友達が続々とファミコンを手に入れはじめ、私も欲しくなって父親にせがみました。すると父親が、ゲームなんかで遊ぶよりパソコンでプログラムの勉強でもしたほうがいいとパソコンを買い与えてくれました。今思えば大した父親ですよね。

そこからはパソコンに夢中になりまして、簡単なプログラム入力からベーシックあたりを覚えていきました。6年生になるころには自分でオリジナルのプログラムも組めるようになりました。このころ、一般的にはパソコン=オタクみたいな風潮がありましたが、それは違うだろと思っていました。

中学に進み、数学を学ぶようになるとこれがまた面白くてたまらない。プログラムを学んでいた自分から見ると、数学とコンピュータには共通するものが多く、また知的好奇心を刺激する学問に思えました。

自分の方向性が定まった大学時代

高校卒業後、東京理科大の情報科学科へ進学しました。まあ、進むべくして進んだと言えるでしょうか。大学時代はひたすら映画にのめり込んでいましたね。とにかく映画が撮りたくて、勉強そっちのけで映画を作っていました。

映画作りには実にたくさんの役割分担があります。作品を統括する監督をはじめ、資材調達、照明などの技術、ロケ場所などを下見し必要であれば撮影許可の申請なども行うロケハンほか、挙げればきりがないほどやることがあります。当然ひとりではすべてをこなすことはできないわけで、メンバーで役割分担をしながら進めていかなきゃならない。

映画部に入ったころはとにかく面白い映画を撮りたいと、シナリオや絵コンテなど「画」のことばかり考えていました。しかし、何本か作品が完成し映画作り全体のことがわかってくると、監督業よりも全体を俯瞰で見るプロデューサーの方に魅力を感じるようになりました。プロジェクトとして全体を管理していくことの方が面白いと思ったわけです。

シンクタンクのエンジニアとして

就職活動はシステムインテグレーターを中心にIT業界を幅広く回りました。最終的にSI系中小企業と銀行シンクタンクのIT部門2社からの内定をいただき、シンクタンクへの入社を決めました。なぜシンクタンクを選んだのかというと、銀行系シンクタンクのほうが、IT技術を幅広くビジネスに応用できると確信できたからです。

シンクタンクにエンジニアとして入社後、まず社内情報インフラ整備の仕事を任されました。ネットワークインフラの整備やファイルサーバ管理などあらゆる部分を任せてもらいました。約3年この業務に携わったのですが、この件に関しては自分が誰よりも詳しいことに誇りを持っていましたよ。一般社員から役員、社長まで立場に関係なく私がレクチャーしたり、サポートしたりしていたわけですからね。また、2年目からは新人研修のトレーナーも担当し、人材育成にも関わらせてもらいました。

4年目に異動となり、クライアントへのシステム導入のプロジェクトに参加しました。具体的には、クライアントの通信教育事業における受注予測システムの開発です。クライアントについて十分な研究を重ね、お客様にご迷惑をかけながらもビジネスの流れを大まかに把握できました。しかし、いざプロジェクトが進行していくと自分の持つ技術よりもクライアントのビジネスが優先されるわけです。私はプロジェクト受注後に参加したのですが、これまでの流れや現状のシステムなどは無視し、技術継承なしで無理な要求をされることばかりでした。これには大きな不信感を抱きました。

業務優先、技術は二の次。エンジニアは道具でしかないという思想に幻滅しました。

サルサとの出会い、会社との決別

入社6年目、インキュベーションを行う事業企画部で、事業企画部が新設されることになりました。それに伴う社内公募に手を挙げ、異動が決まりました。この新規事業は社内からの公募により広くアイデアを募り、事業化に向けての検討をしていくこと、さらに社員のモチベーション向上に寄与することが主な目的です。ここでの仕事で経営的な視点が養われたと思います。

サルサと出会ったのもこの時期です。以前から、仕事を終えた後にひとりで飲めるいい店はないかと探していましてね。そんなとき、たまたま大学時代の先輩から、サルサバーのことを聞いたわけです。「酒、音楽、踊りがあってとにかく楽しいから」こいつは面白いかもと興味を持ったのがきっかけです。それで池袋のサルサバーに行ってみて、一発でハマりました。踊りのレッスンも受けはじめ、どんどんサルサの魅力にのめり込んでいきました。

その後、退職を決意する決定的なことが起こります。

社内公募で、ある社員から出されたプランに対し、経営陣が事業化に向けてGOサインを出しました。私がそれをサポートしていく立場だったのですが、客観的に見てそのままでは事業化するメリットも実現性も乏しいものでしたが、手を加えればモノになる可能性はありそうでした。

そして事業化に向けプロジェクトが進みはじめたころ、会社の経営陣が大幅に入れ替わりました。

GOサインが出てからたった1ヶ月で経営陣が変わり、前任者の決定したプロジェクトは塩漬け状態。中止なら中止としてくれればいいものも、誰も判断もしなければ、予算も付かない状況。経営側にも事情はあるのでしょうが、社員のモチベーション向上も目的の一環としてあったプロジェクトをこのような扱いにしていいものなのか。

もうここに私はいるべきではないと思いました。

サルサバー開業

新卒で入社以来、会社を辞めるときは独立するときであると決めていました。子どものころから入りたかったIT系の企業への入社だったし、転職を繰り返すようなことはあまりしたくなかったので。だからこそ、会社を辞めるのなら、自らイノベーションを起こす時だと思っていました。

サルサと出会って以来、プライベートで様々な活動を行っていました。2003年に友人がサルサバーのオープンを手伝っていました。オープン後、ダンスレッスンの空いている日を狙って、自らCDを持ち込み押しかけDJをさせてもらいました。DJをしながらも、じつはサルサバーの経営シミュレーションも密かに行っていました。2003年からは本格的にDJとしてのデビューし、日暮里や六本木のサルサバーにて「DJまつし」として活動していました。

そして、サルサバー経営に踏み切る意思を固めたと同時に会社に辞表を提出。本格的に開業の準備に入りました。

まずは場所をどこにするか?

国内でサルサをはじめるのは30歳前後。サルサの業界として第一に挙げられるのが六本木ですが、新たに参入するには街が飽和状態のため除外。そこで目をつけたのが銀座周辺です。六本木に比べて街は落ち着きがあり、サルサ未経験者の大人たちのファーストエントリーの場所としては最適であると思いました。

2005年3月正式に退社後、銀座に居抜きの良い物件を見つけ、正式に契約を交わしました。

このあたりの、退職から開業までの経緯は私のブログで逐一レポートしています。興味がある方は見ていただければと。

そして2005年夏、銀座にサルサバー「Las Risas」をオープンしました。店名は笑顔を意味しています。振り返ると、オープンからこれまでいろんなことをやってきました。話題作りとして紙媒体、ラテンマップを制作したり、国内のDJやサルサバーオーナーなどとの協力でYouTubeにサルサチャンネルとして100回シリーズのインタビュー動画をアップしたりと、やれることは何でもやりました。日々のお客様の入り具合に一喜一憂したこともありましたし、日々様々な課題を見つけては改善を繰り返しながら全力で経営に向き合い続けてきました。

これからは、サルサ未経験の新しい人へのアピールに力を入れていきたいですね。地域のカルチャースクールへのサルサダンスインストラクターの派遣や、映像を駆使した新しいイベントの開催などのほか、どんどん新しいものを仕掛けていきたいですね。

サルサバーの魅力とは、気軽に楽しめて且つ、大人の知的好奇心を満たすものがあるということだと思います。サルサの歌詞に秘められた想い、踊りの文化などを知るとサルサの魅力から離れられなくなるかもしれませんよ。

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松嶋武 (41)
経歴:

21歳 シンクタンクにて社内インフラを担当

24歳 顧客システム構築に従事

27歳 事業企画部門に異動し経営視点を養う

30歳 銀座にサルサバー「Las Risas」を開業。


充実度

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