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突然の入院生活が与えてくれた転機。USCPA取得からCFOへの道のり

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英語の習得に励み、英語を活かせる仕事に就きたくてはじめた就職活動中に突如4ヶ月間の入生活院。そこで人生を決定する人物と出会う。大手電機メーカーから転職しベンチャー企業のCFOとして経営の一翼を担う野口さんにお話しを伺いました。

海外生活と陸上競技

幼少期に海外の異文化の中で育ったことは、私の人生に大きな影響を与えたと思います。私は父親の仕事の関係で、5歳から10歳までをイギリスで過ごしました。小学校はミッション系スクールに通い、友達はイギリス人だけでなくドイツ人、アラブ人など国際色豊かでした。毎週教会でお祈りするなど、日本の歴史や文化などを知る前にイギリスの文化や常識が身に付いていたため、帰国後の日本での暮らしに慣れていくには少し時間が必要でした。それでも幸いなことに友人はすぐにできましたし、コミュニケーションなども問題なく過ごすことができました。

中学生になってからは陸上競技をはじめました。種目は長距離です。私にとっての陸上競技の魅力とは、努力が自分の成果として表れるところです。個人がそれぞれ練習を重ね、試合で他者と競い合い結果を出す。あらかじめ大会の日程は決まっていますから、そこで自分が最大のパフォーマンスを発揮するためにトレーニングし、コンディションを調整することが重要になります。それらを長期的にスケジューリングしていくプロセスづくりが得意だったのだと思います。社会人となってからは、まさに仕事で陸上競技のスケジューリングと同じことをしているなと感じています。

高校は陸上競技の強豪校に進み、高校生活の後半からは短距離に転向しました。リレーのメンバーにも選抜され、自分が強くなっていくことへの手応えも十分感じていました。

大学に進学してからも同好会で陸上を続けました。個人で関東大会まで進んだこともあります。私は根本的に負けず嫌いで常に強くなりたいと思っていたので、強い先輩から練習法などを学んでは実行することを続けていました。学生時代に陸上に取り組んできたことが、今の私の仕事に対する姿勢に大きく影響していることは間違いないと思います。

グローバルな生き方を決意した出会い

大学では陸上競技ともうひとつ、英語力の強化に取り組みました。5歳から異文化の中で成長してきた体験からでしょうか、将来は海外と関わる仕事がしたいと思っており、そのためにはビジネスで通用する英語力が必要だと感じたからです。イギリスで英語を身につけたとは言っても、所詮は子供の英語。実際、TOEICでは700点に届きませんでした。ヒアリングに関しては問題ありませんでしたが、リーディングが弱かったのでそこを強化することを意識しました。卒業時には、TOEICで800点を超えることができたのは嬉しい思い出です。

大学3年の後半、就職活動のはじまりと同時に内蔵疾患のため入院することになってしまいました。この大事な時期に何てついてないのだろうと思いましたが、この4ヶ月に及んだ入院が将来を考えるきっかけとなりました。

病室は2人部屋で、50代の男性と一緒でした。その男性は日立製作所勤務から経営コンサルタントとして独立した方で、USCPA(米国公認会計士)をお持ちでした。私も世界で通用する人材としてアメリカの会計基準に興味を抱いていたので、この方のお話しを興味深く伺うことができました。

「USCPAを取るなら絶対早いほうがいいよ。私は気づくのが遅かったからね」

この方の後押しもあり、就職せずに大学院に進むことを決意し、また、国内ではなくイギリスの大学院を選びました。理由は会計とファイナンスの両方が学べるため、より幅広く会計の知識が得られると思ったからです。
いざ入学してみると、イギリスの大学院でありながら学生の8割は中国人で、ここは本当にイギリスかと思いましたね(笑) 。正直言って、彼ら中国人学生とのコミュニケーションは苦労しました。国民性なのか、自分の利益を最優先するところがあり、グループ課題を押し付けられることもありました。

試験は100点満点中40点以下をとったら赤点と厳しく、しかも平均点は50点前後で難易度が非常に高いので、気を抜いたらすぐに赤点です。さらに5科目中2科目を落としたら強制退学ですから、大学院時代はとにかく本気で勉強しました。

会計とはコミュニケーション

就職先は、グローバル企業でアメリカの会計基準を採用している企業に、と考えていました。会計・ファイナンスを学んできましたが、銀行などの金融系はまったく考えていませんでした。父親がメーカー勤務でグローバルに活躍する姿を見ていたためなのか、実際に企業訪問をしていてもメーカーの経営思想はしっくりきた気がします。そして、最終的に東芝への就職が決定しました。

入社後は財務部に配属されました。入社前にUSCPAを取得できていたことも配属の理由かもしれません。仕事として任されたのは、主に連結決算の業務です。東芝は関連子会社まで含めると、実に700社以上を擁する巨大グループ企業です。その連結決算をまとめていくのですから、非常に大変な仕事でした。

最も苦労したのはグループ各社とのコミュニケーションですね。たとえば、企業によっては日本の会計基準で数字を出していたりしますし、セグメント別、カンパニー別での数字があるため処理を間違えると大変なことになってしまいます。また、財務体系と管理体系の考え方の違いもあります。グループ各社の財務・会計担当者に対して数字の提出、情報収集をお願いしなければならないのですが、考え方の違いなどコミュニケーションには苦労しました。

そんな時、先輩・上司から学んだのは真摯な対応を心掛けるということ。人を動かしていくためには信頼関係こそが大事であり、その信頼関係を築くコミュニケーションこそが基本なのだということを実感しました。まさに会計はコミュニケーションです。

およそ3年間連結決算に従事し、中には海外の大型M&A案件に携わることもありました。また、被買収企業からの会計情報の収集や会社システムの導入を行った際には、これまでに培ってきた英語を活かすこともできました。

IPOの後、企業の景色はどう変わるだろうか?

その後も財務の仕事を続ける中、徐々にキャリアについて考えるようになっていきました。
今の会社で、自分が本当に学びたいことが学べるのか?縦割りな業務範囲の中で、人事異動をしながらプロフェッショナルの先輩や上司から幅広い会計の知識を学び、15年以上かけてプロフェッショナルにはなれる。でも異動希望が全て通るわけではない。私はスピードが遅いなと感じました。

本来、自分はゼネラリスト志向であり、特定分野のスペシャリストになりたいとは思っていなかったはず。私の中で、予算、資金、経理、税理など幅広く財務を見ていきたいという思いが強くなりました。そして2011年の11月に大学時代の友人が立ち上げた、株式会社エートゥジェイというベンチャー企業から引き抜きの誘いを受けました。

友人とは以前からコンタクトをとっており、立ち上げた会社にもよく訪れていました。誘いを受けてから転職する価値があるかどうかを具体的に観察していましたが、将来のビジョンと社員たちのモチベーションの高さをうかがい知ることができました。ただ、決算の仕事を途中で投げ出すわけにはいきませんでしたし、真にチャレンジする価値がある企業なのかを見極める必要があったので1年近くの猶予をもらい、翌2012年の9月に心を決めて正式に転職しました。

現在はエートゥジェイのCFOとして財務を軸に経営企画に幅広く関わっています。少数精鋭のベンチャーから今、IPOを目指し組織を拡大する時期に来ています。人員を増やすことは投資であり、リスクのあることですが、組織の拡大・活性化には必要なことです。さらに上場する上で企業価値というものを社会にどう認めてもらうかなど、課題はたくさんあります。

近い将来IPOを果たした後、この会社や仕事の風景がどう変わるのか。事業の進め方や経営判断など、明らかに会社は変わり、私の会社や仕事への関わり方も変わっていくでしょう。その時、投資家に評価される企業であるために私ができることを考えていきたいと思います。

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野口祐一郎 (31)
経歴:

21歳 就職活動中に入院しUSCPAを目指す

25歳 東芝の財務部に入社

27歳 やりたかった海外プロジェクトで英語を使い仕事をこなす

29歳 株式会社エートゥジェイに転職 CTO業務だけでなく幅広い領域に携わり社内のガバナンス強化を行う


充実度

充実度: 72点

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