グローバル

証券会社、ウガンダ、そして日本信号での財務職。それぞれの仕事で得たもの。

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証券会社、アフリカでの支援活動、信号機器メーカーという異色の経歴を持つ吉村さん。これらそれぞれの「点」は、自分のぶれない「最終目的地」に向かって独特な線を確実に描いているといいます。フレンドリーで気さくな人柄の奥に、強い行動力と、思わず頷いてしまう考えの深さを垣間見ました。

自分に課した最初の仕事3年の期限

以前は証券会社に3年間勤めていました。富裕層と中小オーナー向けの金融証券の株、債券、投資信託を扱うリテール営業をしていました。2008年入社でしたので、リーマン・ショックもあって、ひたすらあくせく働く感じでしたね。

リテール営業という仕事は、お客様万人に好かれることはなかなか難しいので、自分のポリシーや考えを理解してもらえるお客さんを探して、信頼関係を地道に作っていくことを自然に学びました。電話・訪問業務もして、午前中だけで200件をこなすなど、最初は大変だと思うことが多かったですが、一喜一憂しない・物怖じしないということも身についたと思います。

けれど入社時から3年働いたら進路を変えようと思っていました。将来のことも視野に入れて、一つのところに長くということはあまり考えてなかったということもありますが、私はもともと国際開発に関わる仕事に就きたかったのです。就活時、JETROやJICAなどにも興味があったのですが、私には能力とバックグラウンドがありませんでした。

そういうところを志望する人は、例えばずっとトルコ語専攻でしたとか、わかりやすいモチベーションの源泉と原体験があったりするのですが、私にはなかったので、どこかで経験を積んで、それでもやりたい気持ちがあれば挑戦をしようと思っていました。

それが3年の期限の意味です。幅広くお金や経済を勉強できるということもあって、証券会社を選んで、その後も自分が続けられそうだったら続けようと考えていました。けれど国際支援への思いはずっと持ち続けていて、あるターニングポイントがありその思いはますます強まることになったのです。
 

仕事の外で得られた刺激と仲間

証券会社に勤務しているときも、働きながら平行して自分を磨かなければならないという意識があったので、WFPボランティアや開発系の研修などに足を運んでいました。国際支援の活動をするといっても、本業としてではなく、空き時間に趣味として満足できればいいかな、とも思っていたのですが、ソーシャルな課題に興味のある若手社会人のための勉強会「コンパスポイント」に、大学の友人に誘われて参加してみたことが転機となりました。

コンパスポイントに参加した際に、世界の食の不均衡を考える団体である「Table For Two」の代表のお話を聞く機会があったのですが、そこから、コンパスポイントの仲間とTable for two をプロボノとしてお手伝いすることになりました。その活動やコンパスポイント自体を通じて、情熱を持って社会課題に挑戦しようとしている人々に出会うことができました

仕事の外で、利害関係なしに、同じ目標に向かっていける仲間と場所を得られたことはとても幸せなことでした。充実感を得ることが多く、コンセプトには共感できていましたし、非常に面白いことはできていたのですが、日本でできる活動だけでは現地の人の役に立っているという実感がなかなか得られませんでした。次第に実際に現地に行って自分の目で現状や問題を見たいと思うようになり、国際開発の道へキャリアチェンジしたいという志向が強くなりました。同時に好きなことを仕事にしたいという気持ちもありました。

ウガンダで学んだ信頼の大切さ

そのような思いの中、早速行動を起こしました。TFTの影響もありアフリカに行きたかったので、青年海外協力隊に応募、ウガンダに2年派遣されることとなりました。生活基盤に関わることがしたいと思っていました。ウガンダ現地での活動は、なんでも屋さん的な資格で、井戸の修理、井戸のコミュニティでの運用法、ごみのリサイクルなどもやりました。なぜ井戸を使わなければいけないかという衛生教育も並行してやっていました。

そこでの仕事は、県庁に所属しながらひたすら村落をまわるなど、対峙する場所や人は違えど、人と話し、いかに信頼関係を築くかというのは前職と同じ点でした。一番苦労したのは、常識の違いですね。新しい習慣を身につけるのは誰にとっても難しいことです。ウガンダは湿地帯が多く(汚い)湧き水もあるので、井戸の有用性を説明するのが困難でした。

村の人も県庁の人も、目に見えるインセンティブを求めるので、お金がないと動かないことも多々ありました。どうなるかわからない将来よりも、今日を明日をどう生きるかに重きをおくため、「清潔さ」など目には見えない、長期間で実感するものを馴染ませるには多くの苦労がありましたね。

そのなかでも、直接やってみて、私の考えに同調してくれる人がいると実現したいと感じましたし、いつもではないにせよ、純粋に感謝されるというのがとても嬉しかったです。全員が賛同してくれるわけではなかったですが、賛同してくれそうな人にどのようにアプローチするか。そこにアプローチして、いかに広まっていくかというのは前職にも通ずるものだったように思います。

ウガンダで仕事をしていると、実際には自分たちが教えてもらうことの方が多いんです。アフリカでは本来の人間らしい自然の生活をしていて、人と人との信頼関係も純粋なものでした。一見無駄に思えるような何でもない時を一緒に過ごすことも、必要な時間であって、ウガンダ特有なのかもしれませんが、そこから信頼関係が芽生えるということを学びました。非常に時間軸の長い仕事ですね。

日本信号の財務職への転職。一歩下がって見えてくるもの

2年間、いわば開発援助の草の根に身をおく中で、現地での自分の役割は本当に必要なのか?と疑問が残ることもありました。ウガンダでの生活では、援助という目線よりも、ビジネス目線で彼らと関わっていきたいという思いが日に日に増していき、帰国後の進路を考えました。

現在の日本信号は、信号や踏切、改札、券売機、駐車場システムなどを扱う会社で、これから海外展開に力を入れていくところです。日本信号は、民間企業であること、途上国に展開していること、形に残ることがしたいという私のメーカー願望を満たしてくれること、草の根視点ではなく、大きな視点でできることが魅力となり、転職を決意しました。

海外営業での募集だったのですが、ひょんなことから最初は財務職に就きました。海外に多く出られないというもどかしさはありますが、物事を俯瞰して見られる部署という点で、今までとは違う大きなやりがいを感じています。ウガンダでの活動では、いかに思いをぶつけて人を巻き込むかが軸となってくるので、自分主体な部分がありました。しかし財務の仕事を任されて、「ひとつのプロジェクトが、今の行動が、組織全体で見た時にどうなのか」ということを考える視点が身に付きましたね。

自分の「最終目的地」に向かって

今までの経歴からしても、私は、一応の軸としてやりたいことはあるけど、何か他に魅力的なことが降ってきたら、流されてしまう感じですね。(笑) 好奇心が強いんだと思います。好きなことだからすべてが楽しいわけではないけど、好きこそものの上手なれという言葉もあるように、好きなものだからこそできる部分はあると思います。そんな風にやりたいことにいろいろ手を出しているのですが、自分の最終的な目的地をぶれないで持っておくことで、そのときどきの選択も必ず意味を持ってくるんです。

その選択をいかに自分の中にとりこんでいくかは、自分の軸を強く持つということに関連してくると思います。選択というのを一個一個の点として、その点をなぞりながら最終的な目的地にたどり着くわけですが、自分だけの、自分なりのいい線を描くということができればいいなと考えています。少し自分の行動の正当化に使ってしまってたりもしますけど(笑)。

私の目的地はまたアフリカで仕事をすることです。現在の仕事は、一見すると途上国にも滅多に行けませんし、いわゆる現場にいるわけではありません。けれど、現在いるこの「点」が、自分の目的地への線上にあると思っています。

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吉村歩 (29)
経歴:

22歳 大手証券会社に入社し、リテール営業を担当

26歳 JICA青年海外協力隊にてアフリカでボランティアに従事

28歳 日本信号にて財務部門に配属


充実度

充実度: 69点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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