やりたい仕事へのチャレンジ

起業家、経営者として自分に発揮できる価値とは?自問自答の中での奮闘記

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エンジニアとしての会社勤務を経て、大学時代の仲間と、夢を追って起業を達成した中島さん。起業したものの、チームの中での自分のバリューを見出せなくなり、自問自答の日々。1年間の休職によって自分なりの価値の発揮の仕方を模索し、現在も当時起業した会社で、初心を忘れることなく、仲間と新たなwebサービスを開発し続ける中島さんにお話をお伺いしました。

エンジニアとしての勤務、起業への準備期間

まず新卒で、アウトソーシング会社に務めました。1年間プログラミングを本格的に学び、エンジニアとして半導体を取り扱いながら、主に回路図なんかを作っていました。入社のきっかけは、もともと大学で情報科学を専攻していて、なんとなくなぁなぁな気分でエンジニアを選んだ感じです。就職活動においては、ちょうど団塊の世代がいなくなった時期だったことと、自分が英語を流暢に使えるということから、会社に入るということ自体は割と余裕でした。

僕は高校1年の夏まで、9年間アメリカにいたんですよ。当時日本とアメリカのどちらの文化にも染まりつつ、どちらにものめり込めないもどかしさみたいなものを感じていました。そのためか小学校4年生のときに、アメリカ気質で誰に対しても何でも本音で話しすぎる癖があって、そのせいでクラスの中で村八分のような経験をしたことがありました。

自分が慣れ親しんでこなかった日本語で世界が回っていたので、理解できないことがとにかく多かったんです。本音と建前を使い分ける、とかですね。そんな小学校時代の経験もあって、大学に入ってマジョリティに入っておかなければという意識をどこかで抱いていたように覚えています。

国際基督大学(ICU)に入学したのですが、ICUは校風や文化の雰囲気がゆるく、好きなことをしている学生が多い大学でした。自由意志を尊重していて、そのときに日本もアメリカもどちらの文化も平等に肯定してよいのだなと感じて心が楽になりましたね。

当時の大学の同期がすごく波長が合って、彼らと話しているうちに、いつか一緒に起業したいという話が出るようになりました。4年の夏頃だったと思います。そのころには内定を頂いていたのですが、当時もう少し遊んでいたいなという気持ちがあって、大学院に行きたいという思いがあったんです。そして、院の試験を受けたんですけど、それがうまくいかなくて。

当時ゲーム理論で有名な東大の教授との面接だったのですが、いざ面接を受けてみると自分が考えていた理論と少し食い違いがあって、持論を強気に展開していたら、喧嘩みたいになってしまいまして(笑)結局、院試には落ちてしまいました。そこで残った選択肢が、内定をもらった会社で働くか、仲間とすぐに起業するか、だったんです。僕を含め3人で話を進めていたのですが、2人は大学院に進学が決まっていました。

なので、自分はまず会社で働いて、出資金を集めようと考えたんです。大学4年の終盤に、それを決意しました。具体的には、「日本発、世界一のサービスを作りたい」という目標を掲げました。基本的にweb世界で、日本は世界の二番煎じになることが多いじゃないですか。その世界で、日本を1番にしたい、そしてそのサービスを自分達で作り上げたいという夢を抱いたんですね。

そして会社勤務が始まるんですけど、そんな気持ちの中で会社に入ったので、やはり業務に対して全力になれないんですね。いわゆる「こしかけ状態」って感じです。資金調達のためと考えると、気持ちが中途半端になってしまって、力を出し切れない。当時僕の両親が台湾暮らしで、働きだしても僕の家賃を支払ってくれていました。そのおかげで手取りが自分の懐にそのまま入ってきたので、あまり苦労せずにそれなりの資金を集めることができました。結果2年弱働いて、軍資金を貯めることができました。

自分の価値を発揮しきれず、自問自答したスタートアップ

そして起業に至ります。残りのメンバーの2人は、どちらもwebプログラマーとして、それなりにスキルがある人間でした。デザインを担当してくれていたメンバーは、本当に物知りで、かつ理詰めが得意で、自分にはないものをもっていると常々感じました。僕は直感型で、理論を突き詰めるのが苦手な方だと自覚していたので。起業したての頃は、事業といっても、検索エンジンみたいなものをつくろうというかなり漠然としたものでしたね。

お客様からの依頼を受けて、下請けバイトみたいな感じで仕事をつないでいたんですけど、まず儲からないということ、そしてお客様の要望とのすり合わせがうまくいかないことなどがあり、なかなかうまくはいきませんでした。当時は「何かやりたい」という気持ちだけが先行していて、「何をやりたい」かまでは具体的ではなかったです。

また、自分自身の能力発揮という点でも、残りのメンバー2人が、デザインとコードを担当してくれていて、自分には何ができるんだろうと悩むことが多かったです。最初3年間は自分のバリューを全く出せなかったと思います。どうバリューを出すかという自問自答の繰り返しでした。

そんなときに少し大きな仕事が舞い込んできたんですね。プロダクションIGの社長と直接知り合いだったんですけど、起業2年目のときに、プロダクションが国分寺から三鷹に移転することになって、そのテナントの一部を使わせてもらえることになったんです。そんな関係もあって、ホームページの管理や保守を頼まれるようになっていって。3年ほど開発系の仕事を請負ながら暮らしていました。

IT業界の人間って、外に出ないというか、その業界しか見ないというか、コミュニケーションが苦手じゃないですか。そこを克服したいなともいつも思っていて、そのときに、バーのサイトを1から作ってみろという指令を受けたんです。当時うちのメンバーは5人に増えていました。

その指令において、自分に課されたのは、会社全体の人を動かすことと、スケジュール管理でした。ひとつのプログラムを完成させるという大きな目的を、とにかく1から作ることに挑戦したんです。ですが、、、結論から言うと、その仕事は大失敗に終わったんですね。まず、ワイヤーフレームの作り方がわからない、そしてスケジュール管理の杜撰さ、無知さ、アバウトすぎる計画が失敗の最大の原因でした。メンバーからもかなりのバッシングを受けました。

自分の無責任さが態度と行動に、はっきりと現れてしまった結果です。一部分だけは自分の作業で、あとは他人任せ、会社全体で何かをプロジェクトを成し遂げる、という想いが一切なかった。プロジェクトは一応完成しましたが、そのときにはもう疲弊しきっていました。そして、そこから仕事に向き合えなくなったんです。

経営者としての自分の器と自問自答、1年間の休職

そして1年間の休職がスタートしました。その間、自分がこの会社に存在する意義って何なんだ?自分は果たして経営者で足りえるのか?そんなことばっかり考えていました。そこから半年、本当に何もできなかったです。ベッドからも出られない、人にも会わない、そんな状態だったんです。食事を作るのも面倒くさくて、夜一食だけ、みたいな生活をしてました。

夜にラーメン屋をはしご、みたいな生活をしていて、そのせいで体重は100キロを超えました。そんな感じが6月まで続いて。このままじゃいけないと思って、その夏にジムに通い始めました。自分の運動という行動が、数字として成果に表れるという喜びをそのときに実感したんですね。ストレートに結果がでる、そういう経験を久しぶりにした気がします。

結果108キロから3か月で75キロまで減量しました。身体と同時に精神も回復させることができました。そこで、外に出てみよう、という気持ちが徐々に湧いてきました。そんなこんなでひょんな縁から1つ仕事をもらって、会社にもっていったんです。会社のメンバーとはずっと音信不通だったんで、びっくりしたと思いますよ。そのときに、すごい感謝されたんです。

外からみていても分からなかったんですけど、実は自分が休んでいた間、会社もうまく回っていなかったみたいなんです。もう、潮時かなとみんな思っていたくらいの状態だったそうで、僕が持ってきた仕事についてとても感謝されました。

この体験から自分の中で色々変わりましたね。仕事に対する考え方や自分のあり方というものを、考え直しました。自分のスキルに見合った仕事ではなく、現場をみて、サポートできる点はどこか?という視点になっていきました。とにかく色んな業界をみて、たくさんの人に会って、そしてその会社、その人のために何かできることはないかという物の見方をするようになりました。そうすると、途端に人に会うことがすごく楽しくなって、自分の中の成長につながっていきました。

現在は、もう一度webサービスを新しく作っています。昔とは違って、長期的な仕事もとれるようになってきて、安定した収入も見込めるようになってきました。今までは、会社の中で、メンバー同士に会話がなくて、互いに他人依存していたような部分があったように思いました。問題が起きたら、その後で問題の発生源を責め立てるような。そうじゃなくて、問題が起きる前にみんなで話し合えるような環境が作りたいなと思いました。

自分が変わったことで、会社も変わってきたなあということを肌身で感じます。「小さな組織のチームデザイン論」などを学びながら自社の組織で取り入れて、ツールをつかったチームづくりに取り組むようになっています。半年で、社内のコミュニケーションが良好になっていったように思います。自分の会社以外の団体や組織もたくさんみていく中で、仕組みを変えても人の心をかえないと組織全体は変わらないなと強く感じました。1から10をつくることでなく、0から10をつくることの難しさを本当に実感しました。

専門分野がバラバラの小集団は、それぞれに有用な情報を持っている。それらを集わせ、学び共有し合うことで自身の生活に有益な知識に転換する場所にしたい

最近は自分自身の休職中の思いや自問自答もあり、人が集まって、そこから仕事が生まれていくような場をつくっていきたいと思うようになりました。そんなときに丁度、かつてサイト作成の依頼を受けたバーのオーナーさんに、空き店舗を格安で貸してもらうことができたんです。

温かみのある、かつ学びもある空間づくりをしたいという気持ちから、そこでカフェを始めることにしました。人が集まって何かを学び取る場所を用意したくて、フラワーアレンジメントや英語を学ぶイベントなどの勉強会や交流会みたいなものを開催しています。

去年の12月から開設したので、現在で約1年間ですね。とはいっても、カフェとして経営するにはもっとメニューが必要だし、集客の仕方も考えねばとやるべきことは山積みです。やはり、「何かをやりたい気持ち」だけが先行して、具現化する力をもっとつけていきたいですね。今後も色々な分野に挑戦していこうと思っています。

nakajima
中島智洋 (31)
経歴:

22歳 新卒でアウトソーシング会社に入社 エンジニアとして勤務

24歳 webサービス系のベンチャー企業Scivone合同会社を起業

29歳 Scivone イベントスペース設立

現在はlearning cafe bar金魚barの経営をしながら、ベンチャー企業勤務


充実度

充実度: 78点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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