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一度きりの人生、毎日が悪戦苦闘。それでも自分をあきらめないで前へ。

人材派遣、教育産業、ITファームと多彩なキャリアを重ねてきた渡辺さんは今、MBA取得、現職での仕事、NPOでの非営利活動、公益財団法人での勉強や育児など多様な活動に取り組んでいます。彼がこれまでのキャリアで掴んだものとは何か?じっくりお話しを伺いました。

幼少期からの新卒入社まで。
振り返れば、幼い自分

物心つく頃には、父に「坂本龍馬ってすごいよな。
やっぱり広い世界に出たほうがよいよな」と刷り込まれてきました(笑)僕がやりたいと言ったことを基本的には肯定し応援してくれたし、いつでも子どもの可能性を信じる態度を示してくれた父にとても感謝しています。
新しい場所に飛び込むことや挑戦することに対して恐怖心の少ない子供に育ったと思います。
中学から高校にかけてはバンドに夢中になりました。
コピーバンドから初めて、曲を作ったりもしました。
高校時代には地元岐阜県で活動する高校生バンドに声をかけて、オムニバスCDを制作したこともあります。
これが子どものやることにしては、結構売れました(笑) モンゴル800の岐阜ライブ前座を務めたこともあります。
今はまったく楽器はできません(笑) 高校卒業後は1年浪人して明治学院大学に進学しました。
実は浪人時代に上京させてもらって予備校の男子寮に入ったのですが、(ここも親に感謝)そこで出会った友人の影響でストリートダンスに魅了されてしまいました。
浪人から大学時代はすっかりダンス一色。
授業中もバイト中もずっとダンス。
人生がダンス!ダンスは素晴らしいのですが、僕は本当にダメな学生というか不良だったと思います。
大学3年まではずっと踊って、遊んでいるだけの生活でした。
今、いろんな学生と付き合いもありますが、志が高いなあと尊敬します! 4年生になり、否が応でも進路について考えざるを得なくなりました。
特にやりたいことはなく、とりあえず就職しなくてはいけないという漠然とした気持ちだけがありました。
選考を受けたのは3社だけでしたが、2社から内定をもらい就職活動は終了させました。
志望動機は、アパートから原付で面接に行ける場所。
でした(笑) 就職先として選んだのは当時、ジャスダック上場にしていたバックスグループという人材派遣会社。
今は博報堂グループになっています。
 

仕事の内容に悩んだ1社目

入社後担当した仕事は、家電量販店・携帯電話ショップで働くスタッフの採用・トレーニング・派遣です。
販売店のキャンペーンに合わせて必要な数の人員を派遣するわけです。
販売店によってはスタッフの人選に厳しい条件を求めることもありますし、朝が弱くて遅刻や欠勤をしそうな学生は遠方の勤務地は無理です。
人の特性や地理的条件、お店の要望など、考えられるあらゆるリスクを考慮して、週末のキャンペーン本番に向けて計画を立てます。
週末をトラブルなく終えると快感で、自分にとってはある種のゲーム感覚のようなものがありました。
派遣するスタッフは大学生やフリーターの若い子たちが中心でしたので、そうした年齢の近い子たちと仲良くなれることも楽しかったですね。
しかし、販売店のオーダーに対して勤務予定スタッフの数が不足している場合は、勤務予定外のスタッフに無理を言って勤務してもらわなければなりません。
働きたくない子を働かせるわけです。
ちなみに、シフトでNGを出しているスタッフさんにネゴって出勤してもらうのは得意でした。
人材派遣の売上は人を動かすことで生まれます。
働きたくない人を無理やり働かせることに虚しさを感じて、入社1年半で転職を決意しました。
ただ、今でも当時の職場で出会った人はみんな大好きですし、付き合いもあります。
仕事に向かう姿勢も退職の理由も当時の僕は稚拙だったと思います。
ご迷惑をおかけしたことを詫びたいですし、今では本当に感謝しています。

心が試される仕事の喜びとむずかしさ

転職を志し、すぐに活動を開始しました。
人材派遣会社でスタッフを教育することに面白さを感じていたことを理由に、教育関連産業に絞って活動を行いました。
面接は得意だったので3社受けて、3社から内定を頂きました。
教育関連の出版社(名前は忘れましたが、大学のシラバスを作っている中小企業でした)、個別指導の学習塾大手のTOMAS、最後にベストベンチャー100にも選ばれていた中堅の学習塾チェーンの3社です。
就職先を決めるときかなり迷いましたが、社長のユニークさと幹部候補という響きからベンチャーの学習塾に入社しました。
入社後はスクールマネージャーとして、入塾営業、アルバイト講師の管理、夏季・冬季講習の運営など、ひとつの塾の運営に関する仕事は経理以外は全部、担当しました。
塾長ですね。
講師が足りない場合、自ら講師として生徒を教えたこともあります。
生徒たちと接する中で、人相手の仕事の楽しさと難しさを感じました。
ある男子生徒は顔を合わせても全く挨拶せず、授業もまったく聞かず、何のために塾に来ているのかわかりませんでした。
声をかけても彼は無反応。
「おまえなんか相手にしてねぇよ」という表情でした。
たかが仕事、たかが子供と思っていても、理由もわからずにずっと無視されたりすると、大人でも凹みますね(笑) 学校での「先生いじめ」とか、あれはきっと深刻なんだと推察します。
それでも、僕がその子に接するときの心構えを変えると、ふっと自然と距離が縮まることがあったことを今でも覚えています。
不思議ですね。
子どもには大人をよく見ている子もたくさんいますね。
筋を通さなかったり、迎合したり、機嫌を取ろうと適当に取り繕うと信用されない。
不良に限っては、すぐなめられるし、つけあがることを実感しました。
アルバイトの講師も、社員の人柄や人格をよく見ています。
先生という立場で、子どもやアルバイト講師たちと接することは、彼らはもとより「自分との対話」の連続で、大変に良い勉強になったと思います。

脱獄

入社前はユニークな社長と好意的に解釈していたものが、1年くらいが経過する中で、間違いであったと確信しました。
会社の実態は超ワンマン経営で、社長が絶対君主として君臨する王政組織、共産主義状態の組織だったのです。
言論統制、非民主主義、宴会芸の強制やパワハラ、女性社員へのセクハラ(社長が浴衣の女性社員の胸元に1万円札挟んでいました。
)もう時代錯誤と経営陣のエゴ丸出しで大変でした。
迷いなく転職活動を開始。
幸い、塾の仕事の本番は子どもが下校する夕方以降で、毎日行われる昼間の本部ミーティングは、長期にわたる深刻な精神疾患(笑)ということで欠席して、転職活動をしました。
入社2年が過ぎようとしていました。
予備校時代にダンスを教えてくれた先輩に再会し、彼に転職を考えていることを打ち明けると、「うちの会社受けてみる?」と誘ってくれました。
日系のITコンサルティングファームで、猛烈な勢いで伸びていた会社です。
手に職をつけたいという想いがあったので、彼の紹介で試験・面接を受けました。
IT未経験ながら何とか採用となり、新卒扱いとして転職することができたのです。
あとはゲイングループという会社にネットワークエンジニア枠で内定をもらいましたが、先輩に紹介してもらった会社に入社を決めました。

脱獄後、再び地獄。
振り返れば仕事の基礎を作ってくれたファーム時代

入社した会社は創業10年程度の会社で、従業員数1000人程度でしたが、順番に振られるはずの社員番号で私の番号は1900番くらいだったと思います。
10年で1000人ちかい数の退職者が出ている会社。
強烈に厳しい会社でしたが、今はいい体験をさせてもらったと感じています。
会社は超フラット組織で、営業部の営業マンが10数名、その10名が社長直轄で強力な権限をもっていました。
その他、1000人近い社員のほとんどが、コンサルティング&IT部門配属となり、お客様先のプロジェクトに常駐になります。
私もその一人でした。
コンサルタントには、ひとりずつ担当の営業マンがついて、パートナーとして仕事をしていく仕組みです。
私は、横田さん(仮名)という営業マンがパートナーになりました。
その日から、4月下旬から6月初旬まで、私のコンサルタントのイメージとは、まったく違った生活が始まりました。
4月下旬。
新卒研修が終わり出社をすると、横田さんからは特に何も指示がありませんでした。
どこのプロジェクトに参加しろとも、社内の何を手伝えとも、何も指示がない。
横田さんに、指示を仰ぐも、取り扱ってもらえません。
パソコンを渡されるわけでもありません。
私は、しかたなく、オフィスの隅の椅子に座って、システム関連の書籍を読み始めました。
会社からの指示で、資格取得が義務付けられていたためです。
すると、どすのきいた静かな声が聞こえました。
横田さんです。
「おい、おまえ何してんだ?」 「あ、基本情報技術者試験の勉強を。
」 「おまえ何しに会社きてんだ?勉強しにきてんのか?」 「…」 「仕事しにきてんだろが。
」 「…でも、いったい何をしたらいいのでしょうか?」 「自分で考えろ!仕事探せ!渡辺な、コンサルやりたいんだよな?でもなコンサルとかっていう前に、俺たちはサービスマンだよな。
」 「お客さん先に出るには、コンサルっていうより、まずサービスマンとして大丈夫か?ってとこだよな。
」 「だから、まず渡辺商店を繁盛させなきゃだめなんだよ。
渡辺商店をなっ。
ノソノソ動いてないで、ニコニコ・ハキハキ・テキパキやれ。
」 「わかったか?わかってないのに、わかったって言うなよ?あと言いたいことがあるなら言え。
迎合するな。
」 「…」 その日から、社内の人に、「何か仕事が仕事ありませんか?」と聞きまくり、雑用をもらってこなす日々が始まりました。
朝早く来てオフィス内の掃除。
営業担当の猛烈に汚いデスクの上の書類を整理しておいたら、 「これはこれで、場所考えておいてるんだ、ボケ!」と怒られたりしました。
会議室の設営や書類のコピー プロジェクト慰労会の会場手配 役員のクリーニングの受け渡しに、1キロほど先のクリーニング店までスーツでダッシュ。
書類を渡しにお客様先までお遣いへ。
オフィス内の営業成績の張り紙交換。
名刺の整理。
横田さんの鞄持ち。
横田さんが怖かったので、半歩後ろを一切無駄口を叩けない雰囲気の中で歩きました。
都庁前から大門までの大江戸線。
今まで乗ったどんな長距離列車よりも時間がゆっくりに感じたことを覚えています。
コンビニに先輩社員の昼飯の買い出し。
菓子パンの具が間違っていたりして、怒られたことを覚えています。
(わたし、ITコンサルタントとして入社した、、、は、、、ず、、、) それでも、渡辺商店は必死に営業しました。
私は典型的なホワイトワーカーとして入社をしたはずなのですが、2ヶ月間で運動不足が解消されてかなり痩せました。
初夏の日差しで肌も健康的な色黒になっていました。
最初は、本当の雑用しか任されなかったわけですが、少しずつ様子が変わってきました。
社内の情報システム部門の依頼で、リース端末の棚卸を手伝うようになったのです。
大型案件でした。
渡辺商店は、なんとかスタートアップ期の荒波を超え、存続が許されたのです。
私は、とくに横田さんの指示を受けたり、行動を共にしなくとも、なんとなく、社内では、(あいつ、いつもいる。
あいつに頼めば、なんかやってくれる。
)という存在になってきたことを実感しました。
すると楽しくなったことも覚えています。
6月下旬。
携帯電話がなりました。
横田さんからの電話でした。
「渡辺、すまないけれど、○○ホテルの地下にサウナがある。
そこに、俺のデスクのところにある携帯の充電器もってきてくれない?」 私は、いつものとおり、スーツダッシュで走りました。
ホテルのサウナに到着すると、完全なる二日酔いに見える横田さんが、真っ白なガウンに身を包み、横たわっていました。
「すまないな、ありがとう。
あとひとつ、課題出しておく。
電通「鬼十則」って本があるからそれ読んでサマリーを書いておくように。
3日後提出で。
わかった?」 初めて、書き物の宿題が出されました! 「わかりました!」 「何時に提出すればいいのかわかった?」 「わかりません。
」 「わかってないのに、わかったっていうなって言ってるだろう」 3日後、資料を横田さんに提出し、サマリーの説明をしました。
緊張しました。
「いまなら、この本で言ってる意味わかるだろ? やっと多少は動けるようになったみたいだし。
俺の案件で○○システム拠点の移転のプロジェクトがある。
明日、プロマネと顔合わせしてもらう。
9時に現地の社員専用口前にいるように。
」 私の、現場デビューが決まった瞬間でした。

電通鬼十則 1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

そのときには、これらの意味が体感的にわかりました。
その後も、会社の徹底した教育で、流儀を叩き込まれました。
結局、私は、知的・精神的・身体的タフネスが足らず、燃え尽き、(正直、逃げ出すようにして)2年で退職をすることになってしまいましたが、「毎日、200%の真剣勝負で仕事する」ということを学ばせて頂きました。
今では感謝しています。
振り返れば、仕事の基礎はその2年の地獄で身体に染み付いたものが大きいと感じるのです。

人生最大の試練:プロジェクトでの挫折と再転職

某電機メーカーのシステムリニューアルのプロジェクトは想像以上に過酷でした。
初めての仕事かつ、自分の能力を大きく超えてプロジェクトが難解であったことと、別会社からきているプロジェクトのキーマンの方と人間関係がうまくいかなくて、精神的にも肉体的にも疲弊していきました。
キーマンに聞かないとわからないことは山積み。
聞けない。
納期だけが迫る。
この、わからないことが解決できないまま納期が迫ることの恐怖は、本当にしんどくて、品川駅のホームで涙が止まらなくなり、足が線路に向かって一歩前に出て我に返ったことを覚えています。
人はそれくらい仕事で追いつめられることがあるんですね。
仕事ごときで死んじゃいけません。
死ぬくらいなら仕事なんて辞めてしまえばいい。
そんなことすら考えられないくらい、本人を追い詰めることはできてしまうんですね。
そんな時、以前お世話になった取引先から飲み会に誘われ、「若手人材が欲しいのだけど、おまえこない?」と話をもらいました。
私は藁をも掴む気持ちで採用試験を受けました。
プロジェクトに一通りの目途がついたところでITファームを退職。
現職の会社に転職をしました。
大手コンテンツ企業の情報システム部員として仕事をさせてもらっています。
心身の健康や働き甲斐をもって、仕事をできています。
その後もいくつか、人生の大きな出来事があります。
社内の先輩の勧めがきっかけで、多摩大学経営大学院に入学することになりました。
2015年の秋に無事に修士号を取得しています。
多摩大学大学院はとても素晴らしい場所で、大手企業や中小企業の社長や役員、中間管理職の方々、公官庁の方、事業主など、会社にいるだけでは出会えないような多様な出会いがあります。
教授の皆さんも産業界の第一線で活躍されている方ばかりで超一流の知性に触れることができます。
MBAというと経営を習うというイメージの方も多いと思うのですが、それだけではなく、世界の歴史や宗教、哲学、語学、ICT、日本文化、社会学や人間学など、大切な一般教養を学びます。
本当に入学してよかったと思っています。
大学院は卒業しましたが、今でも院生のネットワークが続いていますし、当時の研究課長が専務理事を務められる公益財団法人ELPASO会での勉強と交流も行っています。
また今現在ですが、エドテックグローバルというNPO法人で民間企業との提携推進の仕事も行っています。
エドテックグローバルは、発展途上国の子どもたちに、無償でリーダーシップやICTの専門教育を授けることで、戦争や紛争、飢餓の原体験を持つ青少年から世界平和を実現する「未来のリーダー」を育成することを目指すプロジェクトです。
(URL: http://edotec.org/) 結婚もして、2015年の年末には第一子を授かり、2016年は育児休暇も取得予定で育メンとしても大活躍を予定しています(笑)父親としても成長をしていきたいと思っています。
子を持つと、自分の親との関係においても考えるところがあり、子どもとしてもこれから成長していきたいです。
このように人間には多様な側面と役割があります。
金銭をもらえる仕事のキャリアは人生の断片であっても人生ではありません。
様々な立場での自分の歩みを楽しみながら、キャリア形成ならぬ人生形成をしていくつもりで過ごしています。

一度きりの人生

今までの紆余曲折を通して学んだと思うことですが、転職に限らず人生について思うのは、自分の可能性を自分で限定しないで、何でもいいから、自分の心に従って一生懸命に進んでみるしかないと思っています。
目的目標がある人はもちろんそれに向かって!進んだ先に不満はありますが、それをまた変えていくプロセスの連続ですね。
もちろん、怠いときや面倒くさいときはありますし、壁や試練も必ず訪れます。
人生もキャリアも、どうせ計画通りになんて進みませんね。
サラリーマンも事業主も大企業の社長だって好きな仕事だけなんてできませんし、人生の7割は、予期せぬ事態、理不尽、思わぬ出費といった困難ではないでしょうか?それでも、今を一生懸命に、自分をあきらめずに進むしかないんですね。
結果は向こうから降ってくるもの。
もちろん、何にしろ成功を狙いますが、結果は諦め半分くらいで構えておきます。
失敗したときに凹みますから(笑) 今までを振り返れば、辛かったときや試練の時のほうが、自分は成長していますし、自分を諦めないで多くの挑戦に身を投じてきたことを心からよかったと思います。
(振り返って言えることであって、渦中にいるときは必死なわけですが。
)めげる時もありますが、きっとこれからもそうしていきます。
あとは、人との出会いを大切にすることが何より大事だと思います。
振り返れば、人生の重要なポイントでは、必ず誰かとの出会いが自分を導いてくれたと思います。
そして、本当に嬉しいときも本当に悲しいときも、たいてい一人ではなく誰かの存在が関与しています。
恩師からも「人生は人との出会い」と教わりました。
最後に、これも自論ですが、 キャリア選択には正解がないのですが、決めるときの心がまえとして大切にしたほうがいいと思うのが、他人とではなくて、自分自身の心とよく対話をすること。
結婚したり子供がいると、家族との対話は必要な時はあるのかもしれませんが、あんまり他人に相談とかしても決め手はなかったように思います。
そして自分で決めること。
最終的には、自分の決定に関する周りの声など受け付けないこと。
そのほうが、自分が自分自身の生き方や人生に責任感と納得感をもてるのではないでしょうか。
長々と書きましたが、私自身、本当に毎日がうまくいかないことだらけ。
弱い自分と格闘中。
これからも、皆さんと同じように日々と悪戦苦闘を続けていきます。

プロフィール

渡辺 順平

渡辺 順平

(32)

経歴:

明治学院大学経済学部卒

某コンテンツサービス企業に勤務

多摩大学経営大学院卒(経営学修士)

NPO法人エドテックグローバル ジェネラルグループパートナー推進担当

公益財団法人ELPASO会一般会員

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