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目指すはクリエイティブな溶接職人。仕事であえて遠回りをした理由

子どものころから、いずれは家業(大田区 有限会社 共栄溶接)の溶接工場を継ごうと思っていたという波田野さん。あえてものづくりの世界から離れたところで社会人としての自分を鍛えたのだそうです。職人気質の経営者である父とときには反発し、ときには支え合いながら未来のものづくりを考える波田野さんにとっての「仕事とは何か」を伺いました。

大学に進学せず、ただ仕事をしたいと思っていた

学生時代はいつも友達に囲まれ、いつもその中心にいました。
高校のとき、誰も立候補しない生徒会長に自ら名乗りを挙げるなど、自己顕示欲の強い少年でした。
私の実家は小さな溶接工場を営んでおり、子どものころから父親の仕事ぶりを間近に見て育ちました。
ごく自然にものづくりというものに興味を持つようになり、レゴブロックや工場の中にある端材などで何かを作って遊んでいましたね。
中学のとき、進路相談の前に家族で私の将来について話をしたことがありました。
父は半ば冗談まじりに「お前を大学に行かせる金はないからな」と笑っていました。
父の真意はわかりませんが、私は「ふーん、そうなんだ」というぐらいにしか思いませんでした。
もともと勉強が好きだったわけではないので、大学に行く気などなく、工業高校へでも行ってから就職しようと思っていました。
なぜ工業高校だったかと言えば、PCをいじるのが好きで将来はゲーム開発などの仕事がしてみたいと思っていたからです。
工業高校の電気科ならばそれに役立つ勉強ができるかもしれないと考えたわけです。
高校での授業はゲーム開発に直結するものではありませんでしたが、PCのプログラミングの授業などは面白かったですね。
部活はずっとやりたいと思っていたテニス部に入りましたし、自ら生徒会長も引き受けました。
それなりに高校生活を楽しんでいたのではないでしょうか。
学生時代の友達とは今も交流を持っています。
お互いに仕事やプライベートの近況を報告しあったりして刺激をもらっていますよ。
高校3年になり、進路について考えるときがやってきました。
進路相談の席で私はかねてよりやりたかったゲーム関連の仕事に就きたいと伝えました。
しかし先生からは反対されました。
まずゲーム関連業界からの求人自体がなかったこと。
さらに就職先として業界全体のイメージが良くなかったことが理由だったようです。
まずは安定企業で社会人としての基盤を固めた上で、その先の将来を考えていけばいいのではないかというアドバイスをいただきました。
最終的には先生に薦められた大手オフィスビル運営・管理会社グループに就職しました。

社会人としての仕事と成長

入社後はオフィスビルの設備管理の仕事を任されました。
社会人となり、学生がいかに守られた身分であるかということを痛感しました。
仕事には大きな社会的責任が伴うことを知るにつれ、早く一人前の社会人にならなければと思いましたね。
新人時代はいろいろな失敗をしました。
今となっては笑い話ですが、センターベンツのスーツを購入し会社に着ていったのですが、センターベンツの仮止めをそのままにしていました。
先輩から「これは外さないと」と指摘され、常識のなさを笑われてしまいました。
また、資材の搬入に来た運送業者への対応が上手くできずに先輩に助けてもらったこともありました(笑)。
 失敗して学ぶことが新人の特権という風土の会社でしたので、先輩・上司からはたくさんのことを学びました。
背中で教えるタイプの人もいれば、まずはやってみて失敗から学べというタイプの人もいて、多くのことを教えていただきました。
その後本社へ異動となり、既存客フォローを業務とする運営担当を任されることになりました。
設備管理の仕事から、顧客対応へとまったく異なる仕事への異動です。
初めての仕事に当初は戸惑いもありましたが、持ち前の目立ちたがり屋精神が功を奏したのか、運営の仕事にすんなり順応することができました。
むしろ自分に合っていたなと思います。
運営の仕事が面白いと感じはじめた矢先、再び設備管理部門へ異動となり最初の勤務地とは別の拠点に勤務することになりました。
当時の心境としては、仕事は何でもいいと思っていました。
いろんな体験をして社会人として成長できればそれでよしという感じでしたね。

先輩からのプレッシャーに苦しんだ日々

異動先では人間関係に苦しみました。
直属の先輩から執拗なパワハラともとれるプレッシャーを受けたのです。
入社以来、先輩・上司に恵まれいい会社に就職したなと思っていたのですが、この先輩とだけはうまくいきませんでした。
つねに高圧的な物言いで、イジメなんじゃないかとしか思えないような命令を下されました。
何事も自分の成長のための経験と捉えてはいましたが、この先輩の振る舞いは明らかに度を超えていたと思います。
これ以上この会社にいても得られるものなどないのではないか? 日々いつ辞めようかということばかり考えていました。
上司に相談しようとした矢先、先輩の異動が決まりました。
これでやっと地獄の日々から解放されると思いましたね。
後任の先輩の下、もう一度仕事に向き合おうという気持ちを取り戻すことができました。
しかし運命とは皮肉なもの。
3度目の異動を命じられたのですが、異動先は何とあのプレッシャー先輩のところでした。
一旦は異動を受け入れ、上司に対し退職の意思を伝えました。
「もう少し頑張ってみたらどうだ」 上司は慰留しましたが、私に聞く耳はありませんでした。
退職したら家業を手伝うと決めていましたのでそのまま会社を退職。
しばらく仕事を離れ、心の整理をすることにしました。

クリエイティブな職人という夢

退職後は半年ほどゆっくり休みました。
旅行をしたり、友人と会ったりしながら職人としての今後の人生について考えていました。
子どものころ、父が私にこんな話をしてくれました。
「人と同じ仕事をしていたら、人と同じだけしか稼げないぞ。
だから人と違うことをやれ。
自分にしかできないことをやれ」 この言葉はずっと私の心に残っていました。
私がすぐに家業を手伝うことをしなかったのには2つ理由があります。
ひとつは、高校生だった私には、まだ自分にどんな適性があるかわかりませんでした。
ひょっとしたら家業とは違う仕事に適性が見つかるかもしれないと思ったのです。
もうひとつは家業の溶接工場そのものがダメになってしまうかもしれないと思ったからです。
そうなったとき、自分が自立していることが必要だと考えたのです。
そして職人としての人生がはじまりました。
子どものころから父の仕事を近くで見ていたこともあり、すぐに仕事を覚えることができました。
私たちが手掛ける溶接はTIG溶接と呼ばれるもので、アルゴンガスを使用し、気密性が高く美しい仕上がりが特徴です。
熱交換器などに使われる真空タンクなどを作るのにこの溶接法が適しています。
どれだけモノづくりの現場が機械化されようと、複雑な溶接をするには職人の技術が必要なのです。
工場には父の他に4人の職人さんがいます。
それぞれが始業時間になると現場に現れ黙々と作業を開始し、終わると父に次の指示を求めるというスタイルで、会社として生産管理などはしていませんでした。
また、父は従業員に指示をする際に「おい」としか声を掛けません。
父が声を掛けると全員が父の方を向き、手招きされた人間が父のもとに寄っていくのです。
さすがにこれはないだろうと思いました。
「せめて朝礼ぐらいやろうよ。
1日の予定ぐらいは確認したほうがいいだろ?」 「めんどくさい」 「おい!はやめてくれよ。
ちゃんと名前を呼ばないと失礼だろ」 「ああ」 その直後、父は私に向かって「おい」と叫びました。
無視していると父は激怒。
それから1週間ほどお互い口を効きませんでした。
職人としてずっと自分のやり方を貫いてきたという誇りがあるのは理解できます。
しかし、これからの未来を生き抜いていくためにはもう少し経営というものを考えて欲しいと思ったのです。
親子であるがゆえに、お互いが本音をぶつけあい対立することもあります。
しかし、少しでも会社を発展させたいという思いは同じはず。
いずれ私がこの会社を継いだ時、父に任せて良かったと思われる経営者でありたいのです。
現在はまだ経営に直接は関わっていませんが、顧問の税理士とはよく話をしています。
仕事量は安定していても財務の数字は決してよくないと指摘され、もっと利益を考えないといけないとアドバイスをいただきました。
取引先の拡大、営業力の強化、人員増などいずれ取り組まなければならないことがたくさんあります。
これは私の代になった時の課題ですね。
将来の夢は、唯一無二の職人として会社をリードしていくこと。
いま工場内に私が作ったステンレス製のバラと鉄の犬が展示してあります。
父の勧めで作ったものですが、これらの作品はお客様などにとても評判がいいんですよ。
溶接を駆使してクリエイティブなアート作品的なものを手がけていくのも面白いかなと思っています。
会社の知名度や技術信頼性のアップにつながればいいなと期待しています。
溶接職人の仕事は希少性が高く、職人として絶対の存在感があるものと信じています。
手作りでなければできないものを守り、その技術をさらに継承していく。
唯一無二のクリエイティブな職人として、自分にしかできない仕事を追求していきたいと思っています。
鉄のオブジェと作業風景

プロフィール

波田野 哲二

波田野 哲二

(29)

経歴:

18歳 不動産管理会社に入社し施設管理の仕事に就く

19歳 既存客のフォロー業務に異動

21歳 施設管理の仕事に再度異動し先輩からのプレッシャーに悩む

22歳 先輩が異動しプレッシャーから解放される

23歳 再度、同じ先輩の部署に異動を命じられる

24歳 退職を決意し退職

25歳 家業である溶接職人になる

 

 

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