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人とは違うキャリアを築く仕事の選び方

仕事の選び方が"ベンチャースピリットが軸にある大企業"だったという角野さん。大手メーカーにて次々とビッグプロジェクトを手掛けてきた角野さんが、あることをきっかけに経営の本質を学ぼうと志した時、彼は夢を追いかけるベンチャー起業の代表と出会った。いま角野さんが見据える未来についてお聞きしました。

大企業に就職することが目的ではない

子どもの頃の体験で自分の人生に影響を与えたものを挙げるなら、それは挫折です。
実は小学校から大学までずっと受験というものを経験しましたが、何度も失敗しています。
入学したい学校で学びたいことは明確なのに、あの暗記中心の受験という制度がとにかく苦手でした。
ただし、この失敗の経験から「俺は独自の価値観でキャリアを築いていく」と自分の方向性を強く意識したことは確かです。
まあ、他にも色々ありますが、学生時代までのことでお話しできるのはこのぐらいですね(笑)。
では大学時代の就職活動あたりからお話ししましょう。
就職先として選んだのは、ベンチャースピリットが軸にある大企業。
ベンチャーとして立ち上がり、大企業へと成長した後も、次々に世の中をあっと言わせるようなチャレンジをしていた企業で、世の中を変える仕事がしたいと思っていました。
2社ほどに絞り込み、この2社のどちらかで内定が出なければ、音楽関連の道に進むつもりでした。
サラリーマンとして大企業に就職することが目的ではありませんでしたから。
そして2社のうちの1社である、大手電機メーカーから内定をもらい、予定通り入社を決めました。
その頃、この会社は大手の電機メーカーにしては珍しく、とてもユニークなビジネスを新規事業としていくつも展開していました。
その中の一つに、駅の改札を通過した瞬間に位置情報が送られ、周辺エリアの情報がメール配信されるという仕事がありました。
スマホがある現在では驚かないサービスですが、これは15年前の話です。
斬新な発想で画期的な社会システム事業を進めているところに、とても魅力を感じました。
それでこの会社で内定が出た頃、会社の人事部に対し社会システム事業部への配属を何度も直訴しました。
新人内定者の分際で、後にも先にもそんなことをしたのは私ぐらいでしょう(笑)。
私のあまりのしつこさに根負けしたのか、人事担当者の方が、本社にて私と役職者との面談機会をセッティングしてくれました。
与えられた時間は1時間ほど。
「新人にやらせるからこそ面白いんじゃないですか!」と、熱弁をふるって伝えました。
「もちろん、何も約束はできないが、君の熱意はよくわかったよ」 そして入社の日を迎えました。

俺がやりたい仕事はこんなことじゃない

無事に入社し、3ヶ月の新人研修を経て、配属先が決定しました。
まさかの社会システム事業部への配属です。
これは奇跡だなと思いました(笑) 。
配属されたのは、国内最大手の電鉄会社との共同プロジェクトへの参画でした。
これ、今じゃ日本人の大半が毎日使っているほどのインフラにまでなった国家プロジェクトクラスのビッグビジネスですが、プロジェクト自体はすでに第4コーナーを回り、最後の仕上げにかかっていたところでした。
新人1年目で知識も経験も圧倒的に不足していましたが、細かいトラブル対応とか、急な仕様変更への対応などなど、容赦ない仕事の嵐に巻き込まれながら、必死でこなしていました。
一つひとつの仕事は正直楽しいもではないものの、新人で国家プロジェクトクラスの仕事に従事していることが誇りに感じられ、何が何でもやり切るんだという思いですべてを仕事に注ぐ毎日でした。
ですがそれから3年、決められたプロジェクトを粛々とこなすだけの毎日に、どこか物足りなさを感じ始めていました。
そんな入社3年目のある日、大型の新規事業プロジェクトを立ち上げることが発表されました。
それも、大手コンサルティングファームも参画してやるくらいのビッグプロジェクトです。
社内の優秀な人材に加えて、社内公募で何名か若手も選抜するとのことでした。
仕事の選び方がベンチャースピリットである私は、もちろん手を挙げました。
こんな仕事は滅多にないチャンスですからね。
経験豊富なベテラン中心のメンバーと公募で選抜された若手メンバーが会社側のメンバーとして決定、本格的にプロジェクトがスタートしました。
プロジェクトでは企画営業を担当しました。
スタートダッシュとはいきませんでしたが、1年が過ぎたあたりから感触は良く、その後の受注も順調でした。
正直、個人としての営業成績はトップレベルを維持しましたし、事業規模も10億円規模まで伸びそれなりの実績を残せたという手応えはありました。
そしてプロジェクト5年目の終わり、経営方針が見直され、立ち上げ当初のビジネスモデルからの路線変更が決定しました。
それに伴い組織の再編も実施されることになりました。
そのまま異動かと思ったところ、別の事業部への異動を命じられました。

仕事への不満、経営とは何だ?

入社8年目、2度目の異動先も、新規事業の立ち上げでした。
顔認証など画像アプリを活用した新しいビジネスを創出していく仕事です。
現在ではそうした顔認証を使ったアプリが世の中にたくさん登場していますが、当時はまだまだ少なく、これは要素技術も含め面白くなりそうだなと思いました。
しかし、事業としてのカタチが見えてきた頃、またもや経営方針が見直されました。
今回は外的要因もあったようですが、正直またかという印象でした。
もちろん失望しましたよ。
最初は、経営を批判する気持ちも正直ありました。
中途半端に立ち上げ、短期間で結果が出なければ撤退。
そんな考えで事業が育つわけがない。
不満でした。
私の仕事の選び方が悪かったのか。
でも、その過程であることに気づきました。
経営って何だ?です。
当たり前のことですが、少なくともこの会社は一部上場の大企業であり、その役員クラスの意思決定です。
彼らは現状をどのように把握し、どういうプロセスを経て意思決定したのか。
そして、その意思決定に至るプロセスにおいて、自分たちはこれ以上やれることはないというくらいにまでやり切ったのだろうか?自分には何が足りなかったのだろうか?ということを考え続けました。
経営陣が苦渋の決断をせざるを得なかった理由は、何だったのだろうか、と。
自分は経営とは何か?を理解しなければいけない。
2011年4月、大学院にて本格的に経営について学び始めました。

夢を共に追いかける仲間との出会い

結果として、大学院での学びは非常に有意義でしたが、それ以上に大学院は私にとって新たな出会いの場となりました。
ここでの出会いがなければ今の私はないと断言できます。
現在、私はP.G.C.D.JAPANで役員をしていますが、同社代表の野田とは、同期入学です。
知り合った当初から、彼と私は様々なテーマで語り合いました。
彼は自身が経営する化粧品会社についてや夢について。
私は自分の生き方やビジネスへの取り組み姿勢やその過程で苦労してきたことについて。
立場も業種業態も、そして性格も全く違ったのに、不思議と気が合いました。
彼と話すたびに、仕事だけでない多くの刺激をもらいました。
大学院2年目の4月のこと、大学院のクラス前の勉強会で、野田を含めた数人と雑談をしていた時、会話の流れの中で野田から「角野さんは将来、某大手電機メーカーの社長になる人でしょ?」と言われました。
私は「まったく考えてない」と答えました。
この頃の私は、所属する企業にしがみつき、その企業の枠内で物事を考える自分に疑問を感じ始めており、今後のキャリアや仕事の選び方について真剣に考え始めていました。
野田と話をすればするほど自分が忘れていた価値観を再認識させられることが多く、彼が描く未来に共感していました。
また、P.G.C.D.JAPANのビジネスや仕事にも魅力を感じました。
野田と同じ船に乗ろうじゃないか。
そう決意し、電機メーカーを退社。
P.G.C.D.JAPANに入社しました。
入社というよりは、ベンチャープロジェクトに参加した感覚ですかね。
おかげさまで当社の主力商品であるスキンケアアイテムは、国内外で各種受賞実績をいただきました。
また、業績も順調です。
化粧品市場はすでに成熟した市場ですが、そこで当社が提唱する「ファンデーションが要らないスキンケアメソッド」を武器に、プレミアム感のあるアイテムを提供し続けることで、将来にわたり社会的に高い支持を得られるという確信を持っています。
現在、取締役COOとしての仕事は、経営企画、経理財務、人事総務などを統括しています。
将来のIPOに向け、課題山積です。
成長戦略、資金調達、社内体制構築など、やることはたくさんありますが、頼もしい仲間たちとともに未来に向かって進んでいきますよ。

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プロフィール

角野正樹

(39)

経歴:

23歳 大手電機メーカーに入社

様々な新規事業や巨大プロジェクトの経験を経て

36歳 P.G.C.D.JAPANに転職

39歳 COOとしてIPOを目指し、経営企画、経理財務、人事総務等の幅広い業務を担当

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