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仕事も人生も、悩んで何もしないよりチャレンジして失敗するほうがいい。失敗や挫折があるからこそ人生は楽しくなる

21歳で実家を離れて以来、まるでロードムービーのごとく波乱の人生を歩んだ藤井さん。北海道、沖縄、福岡、愛知と放浪し、行きついた仕事は、立ち上げたばかりのベンチャー企業での営業。そのベンチャー企業でトップ営業となるまでの歩みを伺いました。

停学4回で高校を退学

中学1年生までは真面目な優等生でした。
成績もよく、勉強は得意なほうだったと思います。
しかし、いま振り返っても理由はわかりませんが、徐々に勉強をサボるようになり成績はどんどん急降下。
卒業するころにはすっかり遊び癖がついていました。
進学先選びもいい加減そのもので、バイクOKという理由だけで高専を受験するもあえなく不合格。
結局、近くの県立高校に通うこととなりました。
同じ高校に2つ年上の従兄がいて、いつも一緒につるんでいましたね。
校則がとても厳しい学校で、バイク・アルバイト全面禁止のほか服装なども細かい規制がありました。
靴下の折り方がどうだとか、何の意味があるのかと思いましたよ。
ある日従兄から、「お前アルバイトしない?」と言われました。
お金が欲しかったので、言われるがまま付いていくとそこは居酒屋でした。
初めてのアルバイトでしたが、やってみると以外に楽しくて、その後はほぼ毎日アルバイトに行っていました。
ある日父親に「居酒屋は凄く儲かるらしいよ」と何気なく話したところ、「じゃあやってみるか」と言い出し、1年後、本当に居酒屋をはじめてしまいました。
この辺のフットワークの軽さは私にも受け継がれているかもしれません。
従兄はとても悪戯好きで、私もよくそれに付き合わされていました。
ある日従兄が「写真部の廊下の柵は簡単に曲がるんだぜ」と言い出し、付き合って曲げてみました。
それが妙におかしくて友達に教えたところ、みんなでやり始め、柵はぐにゃぐにゃになってしまいました。
後日、「首謀者は藤井」ということが広まり停学処分となりました。
また居酒屋の次に寿司屋で接客のアルバイトをしたのですが、そこに校長先生がお客として来てしまい万事休す。
再び停学となりました。
その後も2回、同じような理由で停学処分を受け、ついに強制退学となってしましました。

営業仕事に出会うまでのキャリア

退学の翌日から父の居酒屋で働くことになりました。
アルバイトを経験していたので、即戦力として接客を任されました。
とりあえず父の手伝いをしながらゆっくり先のことを考えようと思っていたのですが、気が付くと3年経っていました。
ある日のこと、父と些細なことで口論となり、店を飛び出してしまいました。
そのまま家に帰り、店には戻りませんでした。
後悔しつつも頭を下げることができず、結局は店を辞めることになりました。
まだ将来について何も決めていませんでしたが、とりあえず家を出ることを決意。
どうせなら知らない土地へ行こうと思い、北海道に行くことにしました。
北海道に決めた理由は、牧場を舞台にした漫画の影響ですね。
その漫画のような劇的な出会いがあるかもしれないと考えたわけです。
まあ子どもの発想ですが、北海道での牧場の仕事にチャレンジすることを決めました。
北海道行きを前に、友人たちが送別会を開いてくれました。
みんなでカンパをしてくれたのですが、その金額は何と30万。
片道の旅費しか持っていなかったのでこれは有難かったですね。
北海道に到着し、すぐにハローワークで仕事を探しました。
藤井「すぐに働ける牧場の仕事をお願いします」 ハローワーク職員「それは無理です」 とりあえずその日はあきらめ、翌日また出直しました。
すると1件だけ紹介できる仕事があると言われ、紹介を依頼。
翌日の面接が決まりました。
牧場主の奥さんに迎えにきてもらい現地に向かうと、そこは札幌から車で2時間以上離れた山奥の牧場でした。
面接などすることもなく、そのまま牧場内の汚い小屋へと案内されました。
「ここがあなたの寝るところ。
じゃあ15時から仕事だからよろしく」それだけ言って奥さんは去っていきました。
こうして私の牧場での生活がはじまったのです。
牧場の仕事はかなりきつかったですね。
朝4時から夜10時過ぎまでずっと動きっ放しで、宿舎に戻るともうクタクタでした。
条件面の説明などされることなく、給与がいくらなのかさえ知らぬまま迎えた初めての給料日。
給料袋に入っていたのは75,000円でした。
これには心が折れましたね。
もう辞めようと思ったのですが、すぐに逃げ出すのも悔しくてあと少しだけ頑張ることにしました。
それから2ヶ月が過ぎ、だいぶ仕事には慣れましたが、精神的には限界が近づいていました。
あまりにも偏屈な牧場主に付いて行けなくなったのです。
3度目の給料を貰ってすぐ、父が危篤だと嘘をついて逃げるように牧場を辞めました。

営業との出会 放浪の末に出会った仕事

牧場を抜け出した後は札幌へ向かいました。
そのままレオパレスの店舗に直行し、とにかく安くてすぐに入居できる部屋を探してもらいました。
5ヶ月分の家賃を前払いしてその場で契約。
部屋さえ確保しておけばとりあえずは安心だと思ったのです。
牧場にいる間まったく金を使うことがなかったので、友人からのカンパの残りと3ヶ月分の給与を合わせて50万近くの現金を持っていました。
部屋代に20万使ってもしばらくは遊べるなと思いました。
牧場生活からの解放感も相まって、あっという間に所持金は減り、仕方なく日雇い派遣の仕事をはじめました。
解体の現場や引越など毎日違う現場に行かされたのですが、冬の北海道の寒さはこたえましたね。
どうせなら暖かいところで仕事をしたいと思い、新規オープンの居酒屋でアルバイトをはじめました。
これが約半年ほどですかね。
その後、一旦地元へ戻り、短期間プールの監視員のアルバイトをしてから沖縄へ。
宿泊先のドミトリーで知り合った女の子と沖縄観光を楽しんだあと、今度は福岡へ。
ハローワーク近くで大手自動車メーカーの採用担当者に声をかけられたことをきっかけに、愛知の自動車工場へ。
期間工として6ヶ月働きました。
じつはこの間に初めてパソコンを買いました。
就職サイトに登録して次の仕事を探していたのですが、そこで何となくスーツを着る仕事にチャレンジしてみたいと思いついたのです。
期間工を終えそのまま上京。
スーツの仕事を夢見ての就職活動をはじめました。
1社目はあえなく不採用でしたが、2社目の不動産会社に営業職として採用されました。
どんな業種で何の仕事なのかもよく理解せぬまま、入社を決めました。

営業、仕事、人生でチャレンジすることの面白さ

入社初日。
出社するとすぐに小会議室に連れていかれ、何冊かの本を読むように言われました。
夕方になり、今度は営業マニュアルを渡され電話でアポ取りをするよう指示されました。
「とりあえず先輩のやり方をよく見ろ」と言われ、マニュアルとにらめっこしながら先輩たちのトークを聞きました。
見よう見まねでリストの番号に電話をかけはじめたのですが、まったく会話は続きませんでした。
翌日から、朝からひたすら電話をかけ続ける日々がはじまりました。
数をこなすことで徐々に会話をもたせることができるようになり、きちんと営業トークもできるようになりました。
やがてアポが取れるようになると、仕事が楽しくなってきました。
何本目かのアポがついに契約に結び付き、ついにやったという達成感に涙が出そうになりましたね。
これまでまったく経験したことのない仕事でしたが、自らチャレンジして結果を得られたことが本当に嬉しかった。
営業スタッフには20代の若手が多く、すぐに仲良くなりました。
仕事のあと飲みに行くことも多く、仕事の愚痴を言い合ったりすることで仲間としての連帯感が生まれた気がします。
入社2年目になるとコンスタントに数字を挙げられるようになり、それに比例して収入もグンと増えていきました。
この仕事は成果がダイレクトに収入に反映される仕組みで、受注件数に応じてボーナスの金額が決まります。
私も20歳そこそこなのに最高で100万円以上のボーナスをもらったことがあります。
やった分だけ稼げるところがこの仕事の魅力でした。
入社3年目のリーマンショック直前の時期、金利がどんどん上昇し続け不動産投資は厳しくなってきました。
利益の出ないものが売れるはずはなく、なにより相手にメリットがない物を売る事に嫌気がさし、もうこの仕事は無理だと悟りました。
そしてリーマンショックの直前に仕事を辞め、大検の資格を取りながら気楽な仕事をしようと決意しました。

Webの世界で営業と仕事の楽しさを再認識

退職後、広告系ベンチャー企業を立ち上げた友人から遊びに来ないかと誘われ、見学のつもりで訪問しました。
するといきなり面接の雰囲気となり、うちでやってみないかとスカウトされました。
友人の会社ならば気楽に仕事がやれるかもしれないと思い入社したのですが、実際に広告の営業をしてみると以前の不動産営業にはない魅力を感じ、いつの間にか本気になっていました。
紆余曲折ありましたがもう7年が経ちます。
全く同じ状況のお客様はなく、上司や担当者との関係性を見極めながら行動し、営業していくのは面白いと感じています。
今後の課題としては、まだまだ会社として独自のサービスが確立されていないことですね。
営業の立場から何らかのアイデアを提案していければと考えています。
私個人の課題としては、問題発見・解決能力の強化ですね。
お客様に刺さる提案をするためには、1度のヒアリングでどこまでお客様の課題・ニーズを掘り起こすことができるかが営業では重要だと考えています。
先日、何度訪問しても明確なニーズのつかめないお客様を訪問した際のことです。
担当者がいつも忙しそうにされているので、「●●さん、なんでいつも忙しそうなのですか?」と素朴な疑問をぶつけてみました。
すると、これまで語られなかった課題・ニーズについて話していただくことができたのです。
角度を変えた質問こそが大事だなと思いました。
今後もこの仕事を通じて営業とは何かを考え、チャレンジし続けたいと思います。

プロフィール

藤井太一

(34)

経歴:

18歳 高校を退学になり居酒屋でキャリアを開始

21歳 居酒屋を辞め、単身北海道へいき牧場で働きだす

24歳 投資用不動産営業に転職

27歳 広告系ベンチャーへ転職し今に至る

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