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自衛隊から定着率0%の飛び込み営業に挑み掴んだもの

自衛隊レンジャー部隊から美容業界を経て、不動産の飛び込み営業に。佐沢さんが歩んできたキャリアは実に多彩だ。飛び込み営業を続けられるコツは夢へのこだわりと家族への愛だった。佐沢さんのこれまでの人生と夢を語って頂いた。

 

営業:年収500万円以上の求人情報

 

飛び込み営業とはかけ離れた美容の世界で仕事をしたいという夢

子供の頃は、親の言う通りに生きていたかもしれません。
小学生の時に親のススメで野球を始め、リトルリーグに所属。
中学でも野球部に入りましたが、正直言って野球はあまり好きではありませんでした。
好きでもないものに一生懸命取り組めるはずはなく、ずっと万年補欠のままでした。
そして、高校は野球の名門横浜商大高校に進学。
一応野球部を見学したのですが、その部員の数に驚きました。
甲子園を目指して全国から集まった数150名。
中学時代、全国に名を轟かせたトップ選手も多数いて、私などにはとても太刀打ちできないと思いました。
父にこのことを話すと、「無理に野球をせずとも違うことをやってみろ。
スキーはどうだ?」と言われ、薦められた通りにスキーを始めました。
いざスキーを始めてみると、すっかりハマってしまいました。
個人競技のスキーにおいて、結果はすべて自分次第であり、団体競技の野球とは正反対の魅力がありました。
年間100日はゲレンデにいましたかね。
お陰で成績は急降下(笑) 私以外、周囲に競技スキーをやっている人などおらず、友達などから憧れの目で見られたりしてちょっと気持ち良かったですね。
3年間スキーに取り組んだことは、自分を大きく成長させてくれましたね。
まったくの初心者から、大会で優勝を争うまでに上達できたことは、やればできるという自信となりました。
高校時代、スキーのほかにもう一つ興味を持っていたものがあります。
それは美容の世界。
きっと母親の影響だと思いますが、毎日スキンケアなどを熱心にしていましてね。
化粧品などは自分でデパートに行って買い揃えていました(笑) また、当時はカリスマ美容師がブームになり始めた頃で、その華やかさに強く憧れましたね。
卒業後は美容学校に進み、美容師を目指したいと考えていました。

自分を成長させるために飛び込んだ仕事は自衛隊

将来は美容師を目指したいと父に告げると、猛反対を受けました。
何度か話合った末、進路相談の結果をもとにもう一度考えることにしました。
迎えた進路相談。
母親も交えて、求人票の中から良さそうな会社を3社ピックアップし提出したのですが、職種も業種もバラバラで明確な志望動機もなく、先生からは「もっとよく考えなさい」と言われてしまいました。
進路相談からの帰り道、たまたまスキーのコーチと会い進路相談のことを話しました。
すると「自衛隊はどう?」と薦められました。
その瞬間まで自衛隊という選択肢はまったく考えていなかったのですが、いろいろ話を聞いてみて自分を鍛えるには絶好の環境かもしれないと感じました。
そのままコーチに話を進めてもらい、自衛隊への入隊を決意しました。
入隊時、自分の中で期間は4年と決めていました。
この間に自分を十分に鍛練し、いずれ本当にやりたことをやろうと思っていました。
基礎訓練を経て一般隊員となり、自衛隊の精鋭が揃うレンジャーを志願。
過酷な訓練で徹底的に自分を鍛えてみたかったのです。
レンジャー訓練は前半50日・後半50日のトータル100日間の訓練で、前半は体力強化・基礎訓練を中心に行い、後半は実践的な戦闘訓練を行います。
レンジャー訓練で特に印象に残っているのは、青木が原樹海でのサバイバル訓練ですね。
12人で小隊を編成し樹海の中を進んでいくのですですが、食料として与えられるのは水800CCとご飯パック2個のみで、これで1週間を乗り切らなければなりません。
途中、補給物資として兎、蛇、食用かえるなどが入ったダンボ―ル箱が指定ポイントにヘリから投下され、それを調理し食べますが、満腹になる量ではありません。
訓練であってもあくまで実践を想定していますので、いつ敵襲の掛け声がかかるかわかりません。
食事が始まった瞬間に敵襲となり、結局食べられなかったこともあります。
自衛隊での4年間は、辛いことも楽しいこともたくさんありました。
慣れない団体生活でホームシックにかかったこともあります。
しかし、幅広い年齢層の先輩隊員の方々と腹を割って色んな話ができたことは貴重な体験だったと思います。

忘れられなかった美容という仕事への夢

自衛隊での過酷な訓練の中にあっても、美容師になりたいという気持ちは消えてはいませんでした。
オフタイムには録画したファッション情報番組やカリスマ美容師をフューチャーした番組をずっと見ていましたから(笑) 在籍4年の満期を迎え退職金の権利を獲得。
このお金を学資とし美容専門学校に入ることを決意しました。
当然父親は反対しましたが、自分の意思は変わらないことを伝え自衛隊を除隊。
そして美容専門学校に入学しました。
学校ではトータルビューティとしてヘア、メイク、エステ、ネイル、華道、茶道、着付けなど様々なことを学びました。
在学中に着付師の資格も取得しました。
カリスマ美容師を夢見て入学したものの、思うようにテクニックを身につけることができませんでした。
美容におけるアートの要素に付いていけなかったのだと思います。
それでも、超有名店の「Aqua」で働きたいと思っていたのですから、我ながら図太いなと思います(笑) 自ら応募の電話を掛け続け、何とか面接にこぎつけたのですが採用には至りませんでした。
「Aqua」と同時にもう一つの超有名店「ディメンション」の面接も受けていたのですが、こちらは奇跡的に採用となりました。
「Aqua」と並ぶヘアサロン界の横綱であり、美容師を志す者にとって憧れの店です。
誰もが入店するものと思ったようですが、私は辞退しました。
どうしても「Aqua」で働きたかったのです。
だから先生からはひどく叱られました(笑) 自分が働きたいと思えるサロンに入りたい。
それだけは譲れませんでした。
丹念に就職先を探していくうち、大手ドラッグストアがクオリティ重視の新しい店舗を展開しようとしていることを知りました。
ディスカウントをしないクオリティにこだわったお店というコンセプトが気に入りましたね。
1号店のオープニングスタッフ募集に早速応募。
唯一の男性スタッフとして採用されました。

キャリアの限界を知り 定着率0%と言われる飛び込み営業の仕事に

入社後は販売、カウンセリングなどの接客業務に就きました。
お客様と向き合うコミュニケーション力が重要であり、得意のトークが活かせることが楽しかったですね。
私以外のスタッフは全員女性という環境でしたが、それはまったく気になりませんでした。
しばらくして2号店がオープンし店長に昇格。
接客業務だけではなく、店舗全体のマネジメント業務を担当することになりました。
マネジメントを任されたことで視野が広がった気がしましたね。
経営の拡大戦略のもと順調に店舗数は伸び、私は全店を統括する統括店長を任されるようになりました。
主な業務は新店舗立ち上げとメーカーとの戦略づくりです。
メーカーとの関わりで言えば、担当者とともに販促プランや店舗全体のプロモーションなどを考えていくのはとても面白かったですね。
メーカーにとっても販売の現場とタッグを組む仕事に大きな意味があったのではないでしょうか。
入社6年目、主力事業である普通のドラッグストア部門へ異動となりました。
率直に言って、そこでの仕事にはまったく魅力を感じませんでしたね。
クオリティ重視の新業態への参入にこそ魅力を感じ入社したわけですから、ドラッグストアの運営には興味をもてませんでした。
入社から6年、将来のキャリアアップを考えるとそこには大きな壁がありました。
同族経営企業のため経営幹部への道は厳しく、収入も頭打ちに。
もっと稼いで、夢のある人生を歩みたいと思ってみても、このままでは厳しいだろうなと考えました。
「もっと稼いで夢のある人生を」そう決意し転職エージェントに登録し、転職先を探し始めました。
「今より稼げる仕事」が絶対条件でしたが、紹介される案件は年収ベースが下がるものばかりで、なかなか転職先が決まりません。
そんな状況において唯一、高年収を得られる仕事でオファーがあったのが現在働いている建設会社でした。
土地活用の専門会社で、土地オーナーに対しその活用を提案していく仕事です。
営業の厳しさには定評があり、年間3000名以上が入社してもほぼ定着率0%と言われる会社です。
面接を受けたところほぼ即決で内定を頂きました。
厳しい会社という評判の割には、採用担当の方は物腰が柔らかく親身に対応して頂きました。
営業未経験ということに不安はありましたが、唯一の稼げるチャンスを逃す手はないと思いました。

妻の涙に絶対に成功すると誓った 飛び込み営業を続けられる理由

建設会社への転職に妻は猛反対でした。
年収600万円の仕事を捨て、未知の世界に飛び込もうというのですから、妻が反対するのも無理はありません。
自分を試すチャンスとして、一度だけわがままを許して欲しいと粘り強く妻を説得し、何とか了承してもらいました。
入社前に、妻と短い旅行に出かけましてね。
これまで仕事ばかりでずっと家庭をおろそかにしていたので、ゆっくり旅行にでも連れて行ってあげようかなと。
転職後はまた仕事漬けの日々になるだろうから、今しかないなと思ったのです。
旅行している間妻はずっと不安気な表情のままで、時折涙を流して泣いていました。
この時誓ったんです。
絶対に成功すると。
入社後はひたすら飛び込み営業の日々でした。
100軒回って100軒断られ、恫喝されることもありました。
一つの仕事で億単位のお金が動くので、一件決まれば高額のインセンティブになりますが、断られ続ける日々においてモチベーションを保ち続けるのは簡単ではありません。
定着率0%の要因はそこにあるのでしょう。
私にとっては、あの日の妻の涙こそが絶対に諦めないという原動力になっていましたね。
継続こそ力なりですね。
飛び込み営業が実を結び、やがて契約が取れるようになると、営業の醍醐味を感じるようになりました。
初回の飛び込み営業でドア越しに断られたお客様が、足繁く通ううちにやがて話を聞いてもらえるようになり、土地活用のメリットをご理解頂き契約、そして最後には「ありがとう」という感謝の言葉が頂ける。
そうした営業のプロセスが面白いと感じました。
現在の年収はドラッグストアを退職した時の数倍です。
営業全体では平均的な金額です。
まだまだ満足はしていません。
億単位の金額を任せてもらう仕事には大きな責任とヤリガイを実感していますが、まだまだ成長したいと思っています。
もっともっと実績を挙げてキャリアアップしていきたいですね。
高校時代にスキーを通じて感じた「やればできる」という自信が、今の私の原点となっているのかもしれません。
なにより妻の涙に誓いましたから。

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プロフィール

佐沢 寿和(ひさかず)

佐沢 寿和(ひさかず)

(37)

経歴:

18歳 自衛隊に入隊

19歳 100日間の過酷なレンジャー訓練を終了

22歳 夢であった美容師を目指し美容系の専門学校に入学

24歳 大手ドラッグストアに転職 新しいコンセプトの新規事業に参加

29歳 異動を機に退職。現在の建築会社に転職

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