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公務員から転職。多様な働き方をすることで人生を楽しく生きる

有線通信会社から国家公務員へ、さらに人材派遣会社への転職など、多様な働き方を経験してきた秋野さん。「働く」という行為によって、人生に多様な彩りを見出し、現在は生命保険の営業を本業としています。働くこと、転職をすることで見えてくる喜び、やりがいなどを多くの人々に広めるためのイベントを活発に行っていきたいという夢を持つ秋野さんにお話をお伺いしました。

初めて飛び込んだ、営業の厳しい世界

私の最初のキャリアは、音楽の有線通信会社の営業です。
ただそれは希望して入った訳ではなくて、滑り止めとして受けた会社でした。
就職活動中に大きな交通事故に遭ってしまって、そこしか内定が貰えなかったんです。
入ってみて、会社の方針など、少し合わない部分があって。
当時、音楽の有線といったら、飲食店など、お店に入っているイメージがあると思うんですけど、当時は個人宅に取り入れてもらおうという動きがあって、いわゆる飛び込み営業を担当することになりました。
飛び込みオンリーです。
静岡県全域を担当していましたが、毎月キャンペーンと銘打ってエリアを決められ、1週間そこで5件契約をとってくるまで帰ってくるな、みたいな相当体育会系のすごい営業でした。
それとやっぱり若い女性の個人営業となると、「色」を求められるような感覚がありました。
要は、おじさんだったりお兄さんだったり、訪問してお話をして、「契約したらデートしてくれるの?」とか「今度お茶に行きましょう。
」とか。
私はそういうのが本当に嫌で、転職を決意し半年で辞めてしまいました。
もともと営業に興味があった訳ではなくて、マスコミ志望でアナウンサーになりたかったんです。
静岡の地方局を受けていた途中で交通事故に遭ってしまったので、夢を諦めるしかなかったのですが。

その時は、そんなに絶望感という訳ではなく、世の中には仕事はまあいくらでもあるし、というスタンスを保てていました。
ただ、ここでの営業で、利益をひたすらに求める考え方に嫌気がさしていきました。
利益を求めないものを追求していった結果、公務員という役職にたどり着きました。
当時、情報が少なくて、「利益を求めない=公務員」といった考えしか思いつかなかったのです。
夏に営業が嫌になり、ちょうどその9月に公務員試験があったので、それなりに真剣に勉強して受けてみたら合格して会社を辞めました。

公務員としてのキャリア

公務員は試験に受かったらすぐに働けるわけではなく、試験に合格したので、面接してくださいという風にアクションを起こさなければならないんです。
成績上位者はそうではないですが。
そして私は、今でいう労働局の内定を貰いました。
「働く」ということに大きな興味をもっていたので期待でいっぱいでした。
ここに行き着くまでが社会人になって1年未満の出来事です。
配属されたところはハローワークを総括しているところで、総務を担当しました。
職員の福利厚生だとか、お金の貸付など、共済関係を取り扱いが主な仕事です。
私が配属された課は優秀な人材が集まっていた所でした。
ラッキーだったのは、私の教育担当の優秀な女性が愛情たっぷりの厳しい方で、社会人としての常識や謙虚さ、コミュニケーション力をしっかり教え込んでくれました。
3年その部署にいて、4年目に個人的な事情で、関東圏に異動を申し出たんです。
そこで霞が関の本省に異動が決まりました。
大臣官房秘書課秘書係に配属になり、公設秘書として、そこで2年働きました。
地方からのそのポジションへの異動はかなり異例なことだったそうです。
当時の教育担当の先輩のおかげと、新人研修のときの公務員の枠を超えた行動が、異動当時の人事決定者の印象に残ったようです。
厳しい教育も自分が正しいと思って取った行動も、すべてが繋がっているんだなと実感した出来事でした。
秘書としての具体的な業務は、大臣のお世話係です。
お食事をどうするか、スケジュール管理、SPや運転手の動きの調整、手配などかなり細かい仕事をしていました。
総務時代と通ずる仕事はたくさんあったと思います。
自分の仕事が国家の動きに関わることは一切ないんですけど(笑)、そこで話している内容がその日の夕刊に載ったり、国会で話す答弁の内容を幹部の人が審議している場面を身近で見たりなど、特有の面白さがありました。
私がいないと回らないという充実感もありましたね。
替わりはいくらでもいるかもしれませんが、今このポジションでその場を管理するのは自分でしかないという気持ちで頑張りました。
それまでは割と体を壊すこともあり病気で有給をつかうことがよくありましたが、その2年間は1回も休みませんでした。
週に2、3回は朝の6時出勤で夜も遅くなることが多く、気を張っていましたが、刺激的な環境が私を元気にしてくれていたようです。
働く上での価値観としては、その当時はそこまで真剣に物事を考えていなかったように思います。
もともと音楽と舞台をやっていて、社会人になってアナウンサー職などの仕事につけたらそこでゴールだと思っていたんですが、それが叶わなかったから自分の趣味も続けようと思っていて。
実は公務員の仕事は自分の仮の姿だと思っていました。
いずれは音楽で食べていきたいなという野望があったんです。
バンド活動をやったり、お芝居をやったり。
ちなみに舞台は18歳から23歳くらいまで続けましたが、音楽は高校1年から28歳までプロを目指していました。
今でも時々昔のバンドメンバーとライブを楽しんだりしています。

公務員からの転職。
もっと貪欲に働き尽くしたい!

大臣秘書の次の異動では、普通の業務、いわゆる世間一般でいう公務員の仕事に就いたんです。
ただ、ここでは仕事量が少なく月に2日くらいしか「頑張ってる!」という感覚を得られなくて、このままこの仕事を30年も続けていたら、刺激もなく、私は腐ってしまうと感じ、辞める決意をしました。
そのときの上司に相談して、転職を決意し次の年の夏に辞めました。
そのときには、次に何をやるかは決めていなくて、アウトローに生きれたらなと(笑)。
辞める口実が欲しかったので、前々から行きたかったニューヨークに行くことを決意しました。
2か月間とりあえずニューヨークに滞在したんですが、ただ楽しすぎて、浪費ばかりしていました。
お金が無限にあれば良いんですけど。
でも自由にやりたいことやってやった!という充実感いっぱいで帰国しました。
余談になりますが、振り返ると大前提として、私は「働く」という行為に対してすごく貪欲だったと思います。
高校生のときには、全部で36種類のアルバイトをしてました。
基本ラインで3つほど掛け持ちをしていて。
というのも、私は1つのことに縛られる人生が嫌だったんです。
女優になりたかったのも、色んな人生を味わえるからで、色んな経験や考え方、多様な働き方をすることに喜びを見出していたんです。
夜、友達と集まってマックでおしゃべりするよりも、私にはバイトの方が楽しかったんですね。
その気持ちが、私が働くことの原点です。
バイトで1番印象に残っているのは、電話のカウンセリングつきの家庭教師のアルバイトです。
もともとカウンセリングみたいな、人の話を聞くことは得意な方で、面白かったです。
ウェイトレスは鉄板で、大体常連さんと顔見知りになって、私に会いに来てくださる方もたくさんでした。

多様な働き方を通じてベストな働き方を模索していく日々

ニューヨークから帰ってきて、今に至るまでは大きく分けて3つあります。
まず、会社員として通用するために修行する時代、次にフリーランス時代、そして現在という感じになっています。
会社員時代は、その当時派遣社員という働き方が流行り始めたときで、事務職の派遣社員の時給が1800円くらいの売り手市場でした。
当時できたばかりのベンチャー会社に入社し、営業企画などの仕事をしました。
ちょうど1年くらい働いた頃に、わりと責任ある仕事を任されるようになっていて、晴れて正社員として働くことになりました。
3年くらい働き続け、会社って4年くらい経つとしっかりまわるようになるんですね。
いわゆる運用がメインになるんです。
私は「つくる」ことは好きなんですが、運用がどうやら好きじゃなかったみたいで。
これなら私でなくても引き継ぎして出来るかなと思ったので辞めることにしました。
もともと多様な働き方をしたい人間なので、仕事を変えることに抵抗がないんですよ。
ベンチャーで働いたことで感じた喜びは、自分がこうした方が良いんじゃないかと思ったことが通りやすいということです。
公務員の仕事は、慣習だけで作成している1枚の紙をなくすのに何年もかかるような業務なので。
物事がかなりスムーズで、新しい技術を活かすチャンスや場面にあふれているなと思いました。
その喜びを求めて再び転職活動をしているうちに、ご縁があって人材派遣会社に正社員で入ったんです。
ここで自分のやりたい道が見えてきました。
人材派遣会社の立ち上げに携わることになり、当初人材コーディネーターとして採用されましたが、営業が不在という・・・早く事業を軌道に乗せたい一心で、自ら手を挙げて法人営業をスタートしました。
教えてくれる人がいなかったので、自分で本を読んで勉強してあれこれ実践しながら売上を伸ばしてきました。
営業先で働くスタッフさんの悩みを聴いたり相談を受けたりするうちに、キャリアカウンセラーという資格に興味を持ち、勉強を始めます。
結局行きつくのは、「働く」ということに圧倒的関心をもっている自分の姿でした。
しかしその頃、時間的なオーバーワークや人間関係の調整などで体調を崩し、半年間休職します。
復帰はせず会社を辞め、せっかくだから資格を生かしてフリーランスとしてやってみよう、と決めました。
キャリアカウンセラーになったとき、今までの自分の選択はここにたどり着くまでの回り道だったのか!と感じましたね。
とはいっても、すぐに仕事が来る訳ではなかったんですが、なんせ自分で仕事を探すことがすごく得意だったので。
社会的事業を行う社団法人の求人を見つけて、そこでニート・引きこもりのカウンセリングを週3回始めました。
次第にそういった層に関心が出てきて、その層の支援を行うNPO法人にも所属し週1回働くようになりました。
企業講師のアシスタントから始めて、研修講師としても少しずつ仕事を増やしていきました。
もう何でもやります状態で、求められればイベントや結婚式の司会など、休みなしで働きました。
そんなフリーランス時代に、離婚を経験したんですね。
その離婚から2年くらいして知り合った今の夫と結婚をして、ちょうど妊娠したんです。
当時39歳だったので、仕事をトーンダウンして、出産に控えました。
しかし残念ながら流産になりました。
気力もなくなってしまって、どうしようと思っていたときに、当時から加入していた生命保険会社の私の保険担当者が、営業所長になり採用する立場になったと相談を受けました。
うちの研修は本当に素晴らしいし勉強になるから、とりあえず研修だけ来てみなよと言われて、行ってみたらすごく良い会社で。
世の中を良くしよう、保険業界を一新しようという意思の感じられる人たちのエネルギーであふれていたんです。
そうして2012年から保険営業をスタートしました。
ほぼ40歳からのスタートです。
ここで頑張れば、人は40歳からでも再チャレンジできるよ、と世の中に伝えられる機会を得られるとも考えました。
実際入社してみると、本当に営業教育が素晴らしかったです。
時間も働き方もかなり自由で、やることが煩雑にならないことが自分にとって良かったです。
本業を定めることで、信念をもって取り組めることが大きな魅力でした。
昨年は子供を授かり、元気な1歳児を育てながら自分のペースで働けています。

多様な働き方を広めることで、人々に勇気と元気を与えたい

現在は1つ夢があって、私みたいに色々な職種を経験する生き方って日本ではあまりポジティブに捉えてもらえないというか、良くないと思われがちだと思います(笑)。
でも、嫌な会社で、自分がストレスを感じているのに、とりあえずしがみついて、というよりは多様な働き方を通して、楽しくやりたいことに貪欲になっても良いんじゃないか、と私は思います。
それは、決して「ラクして、がんばらない」と言うことじゃないんです。
多様なスキルや働き方をして、様々なスキルや考え方を身につけながら積み重ねていくキャリア、人生は、彩り豊かで面白いものだと思っています。
自分の人生を、ドラクエみたいに楽しもう、と。
今の日本では、仕事が原因でうつ病を発症する人が多くいます。
またそれ以前に、大学卒業時にいわゆる良い会社に入れなくて、就職浪人をすることになり自殺してしまう学生もいます。
画一的な社会構造に対して働くことに閉塞感や絶望感を持っている人に夢を与えたいなと思うんです。
具体的には転職をしてこれからの夢や希望にあふれている人や人生を楽しんでいる人に、登壇してもらってプレゼンテーションしてもらうイベントを年に1回くらいやりたいなと考えています。
プレゼンテーターにも自分を掘り下げたり、プレゼンを研究したり、ノウハウの修行期間を数ヶ月設けてもらい、改めて自分の軸を認識してさらに飛躍してもらいたい。
見に来る人、見せる人、双方モチベーションを高めていってほしいんです。
大学生や高校生に対するキャリア教育としても活用してほしくって。
それをボランティアでやるというのが、私の今時点の最終形態の目標です。
働くことは、自分の人生を楽しくさせる要素であって、こんなに働き尽くしたぞという人生にしたいという思いがずっと根底にあります。
「こんな生き方も楽しいんだよ!」と、性別・年齢に関係なく、人々に勇気や元気を与えたいという信念を持ち続けています。
最近は出産も経験し、母親としての働き方、悩み、子供の成長の喜びというものも加わってどんどん面白い人生になってきました。
多くの人が、自分だけの人生を工夫して作り上げて、もっと楽しむことが可能な社会になるようにと、強く願っています。

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プロフィール

秋野 由佳

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経歴:

20歳 新卒で大手有線放送社に入社 営業を担当 同年9月に退社

21歳 国家公務員へ転職 静岡にて3年間総務事務を担当

24歳 本省(霞が関)に異動 2年間大臣の公設秘書を担当

26歳 本省内で異動 2年間事務業務を担当

27歳 国家公務員を退職

28歳 ベンチャー系通信会社に入社 4年勤務

32歳 人材派遣会社に入社 3年半勤務

35歳 フリーランスへ転身

 

39歳 外資系生命保険会社へ入社 営業として勤務

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