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日系の企業から外資系の営業パーソン、そしてNPO活動へ。常に「やりきること」を大切に

大手システムインテグレーターで順調にキャリアを積んでいた平松さんは、なぜ外資系企業へと転職したのか。そんな平松さんが「若者には外資系企業で働くことを勧める」のはなぜか。 日系企業から外資企業、ビジネススクールとNPO活動の両立、やりたいこと全てに貪欲に、常にやりきる姿勢を大切にする平松さんにお話を伺いました。

根性と泥臭さ、営業のいろはを学んだシステムインテグレーター時代

1996年に社会人生活がスタートして、システムインテグレーターで直販の営業パーソンとして働きはじめました。
システム営業という部門に配属され、サーバー、PC、プリンター、グループウェア等のIT機器を取り扱いました。
入社後、最初の3ヶ月間の合同研修では、営業に強いと言われている会社の企業文化、営業魂みたいなものを刷り込まれました。
新人ながらも担当エリアを決められて、名刺をたくさん持ち、雑居ビルの上から下まで、新規開拓の飛び込みで自社製品の売り込みを行っていました。
当時システム営業は、同社の中でもこれから事業の立ち上げをする部門で、選抜された者が手厚い研修を受けて配属されていました。
入社したばかりの私はパソコンを触るのもはじめてで、とにかく無我夢中で頑張ったのを覚えています。
同期内では一番の成績で研修を終えました。
そのときは全然分かりませんでしたが、初めて会う人にも度胸をもって懐に入っていったり、積極的に新しいものを切り開いたりすることで、力が身についていったのだと思います。
それらは、お客様のエグゼクティブ層への新規アプローチや、新規の部門開拓など、今でも活きているように感じます。
元々、根性とか気合で頑張るようなことは学生のときに無理やり鍛えられました(笑)。
特に高校生のときですね。
小学校から中学校まで、ずっとサッカーをやっていました。
小学生のときにサッカー少年団に属していて、選抜チームに選ばれて韓国へ親善試合にも行ったことがありました。
ですから、高校でもサッカー部に入ろうと思っていました。
しかし、高校が家から遠く、さらにサッカー部の練習時間は、朝早く、夜遅かったので、家に寝る為に帰るような状態が仮入部の時期に続きました。
悩んでいたところ、友人から空手部は18時に帰れるらしいぞ、と聞いて、やったことのない武道への興味もあったせいか、空手部に入りました。
しかし、いざ入部をしてみると、そんなことはなくて(苦笑)。
しかも、誰かが辞めようとすると1年生全体の連帯責任だ、と上級生が言いだして、1,000回腕立て伏せ、1,000回スクワット、グラウンド100周などの先輩のしごきがはじまるんです。
理不尽なしごきに耐える青春時代でした。
そういう環境下で、最後までやり切るという根性というか、粘り強さだけは身についたと思います。
大学に入ってからは、塾講師のバイトに打ち込んでいました。
高校受験の英語の授業を担当として、毎晩深夜まで、ときには徹夜もして手書きのオリジナル教材を作ったり、模擬授業みたいなのを仲間と練習したりして、生徒のために全力を尽くしていました。
大学入学時から卒業まで、塾講師のバイトに大半の時間を注ぎました。
大学に行くより塾に行く時間の方が多かったと思います(笑)。
純粋に人のために役に立つことが好きで、何か人のために尽くすとか、そういう部分に喜びを感じていました。
大学を卒業するときに、銀行など含め4社程内定をいただいて、どこにいこうか迷ったのですが、Windows95が発売されて、これからコンピュータの時代が来るという流れを感じて、システムインテグレーターに決めました。
先ほど述べた研修を終えた後、本配属になりました。
1年目は、先輩から営業のイロハを丁寧に教わりながら、一部上場企業を中心としたメジャーアカウント(以下MA)担当として、営業活動に励みました。
同社の営業の手法はよく出来ていて、営業の虎の巻のようなものがありました。
虎の巻だけでは足りず、現場の営業経験を盛り込んで、自分オリジナルの虎の巻を生み出していくのが楽しかったですね。
まずは、自分という人間を認めていただけるように、お客様の業務を理解することに懸命に取り組み、困りごとはないか、役に立てることはないか、と努力をしていた記憶があります。
当時は、本当に無我夢中でした。
MAの中でも金融の担当は特に厳しくて、朝の7時半から夜の11時半くらいまでは働いていました。
大変でしたが、先輩や周りの人にとても恵まれていて楽しかったです。
当時はまだパソコンを1人1台使えるかどうかの普及期だったので、アナログ的な業務手続が残っていました。
例えば、手書きで複写伝票を書いたり、取引先へFAXで発注書を送ったり、保管倉庫のある平和島まで社用車を走らせて商品を取りに行って、お客様のところへ納品もしました。
泥臭くて地味な仕事ですが、営業活動の一連の流れを最初から最後までを体験して、体で覚えられたのは良かったです。
倉庫では、神業のように整理整頓した状態で商品を保管しているベテラン社員の方々などの存在を知り、縁の下の力持ちとして働いている方々の姿が目に焼き付いています。
若いころに、会社のヒト・モノ・カネの流れの全てを一通り経験して、理解できたことはその後のビジネスパーソンとしての大きな糧になりました。

IT時代の到来を敏感に察知。
ネットワーク分野No.1の外資系企業へ

そして2000年の6月から、外資系のシスコシステムズに入社しました。
当時、営業の現場でPCが1人1台支給されて、グループウェアの導入案件を多く手掛けていました。
ITの時代の流れは速く、コンピュータをネットワーク環境につなげて、業務効率を上げるようなネットワーク構築の商談が増えてきたのを肌身で感じていました。
2000年ころは、米国でもITバブルの真っ只中であり、現場の肌感として、この波はますます大きく来るな、と。
どうせチャレンジするなら、ネットワークの世界で世界トップシェアの会社のシスコシステムズに行きたいなと思いました。
外資系という部分に新境地への不安もありましたが、当時は28歳で、失敗してもやり直しがきく、と。
当初はハイタッチ営業(エンドユーザーである、お客様担当)を希望して応募したのですが、パートナー営業(販売代理店の担当)役員の方と面接をして、前職での経験(トラブル対応で、強面のお客様に深夜2時まで軟禁された苦労話等)を披露しましたら、あなたはパートナー営業の方が合っていると言われ、そのまま配属になりました。
パートナー営業というのは、案件毎の短期のお付き合いではだけではなく、長期の関係性構築が大事になります。
人のために尽くす、最後までやりきる、粘り強くやりきることを大切にしてきた営業の姿勢を評価していただいたようです。
入社後、シスコシステムズでのパートナー営業の仕事は、狩りというより、田植えのような農作業と同じで、お客様との関係を一つひとつ根気強く作っていく、というイメージを持ちましたね。
パートナー営業の主な仕事は、パートナー様が「シスコ製品が売れそうだ、売りやすい、売りたい」と思っていただく為の販売戦略の立案を一緒につくり、プログラムやトレーニングを通じた販売促進を促して、実行面までの全てをカバーしています。
また、パートナー様がモチベーションを高く、シスコ製品を売っていただくことができるか、など営業現場へのフォローも大切な仕事です。
シスコ入社後、メーカー系、商社系、独立系の企業など、多様なパートナー様を幅広く担当させていただきました。
パートナーの強みや特長を深く理解して、持ち味を引き出し、シスコの製品と組み合わせて、大きなビジネスをつくり育てていくところがおもしろいですね。
直接エンドユーザーへ営業に行くのではないので、人に動いていただき、人を動かして結果を出していくところに、パートナー営業の難しさと面白さが凝縮されていると思います。
シスコシステムズの良さは、良くも悪くも自由なところです。
何かやろうと踏み出す人には、大きなチャンスがあります。
小さくまとまってしまうことも可能ですが、そのままで何年も生き残ることは難しいかもしれません。
ルールに縛られすぎず、自由と責任がはっきりしています。
一人ひとりの権限が明確になっていて、年齢に関わらず、若い世代でも可能性が広がっていると思います。
日系の会社を4年、外資の会社を15年経験していますが、若い人達には外資系を薦めますね。
日本の会社にも良い部分はたくさんありますが、外資系トップ企業では、オリンピックで言う金メダルを取る戦略のもと、組織が動いています。
グローバル市場のトップであることが使命の会社の経験を体にしみ込ませることは、とてもストレスが大きいですが、一方でビジネスパーソンとして、多様性や異質性への順応や寛容への成長速度は、非常に速くなると思います。

東日本大震災を契機に、外資系だけではなくソーシャルの軸を

2008年にChairman’s Club(グローバルで、社内営業トップ1%の層が受賞する賞)をもらったんですよ。
そのときに、営業のプロフェッショナルになりたい!と強く感じました。
報奨旅行で、ハワイのラナイ島に行かせていただきました。
グローバルのトップ1%の人々とディスカッションをする場面があって、自分の中で足りない部分を模索したことがきっかけです。
営業パーソンとして自社の営業目標の数値を達成するだけではなく、お客様の財務諸表の数字にも貢献して、組織文化の変革も良い影響をもたらすことの出来るプロフェッショナルな営業パーソンになりたい、と。
その為には、会社の経営者の目線で、経営とは何かを知らなければならないと感じました。
しかし、当時の自分は財務や組織を含む経営全般について知らないことが多いと痛感して、2011年4月にグロービス経営大学院に入学しました。
経営者として、ビジネスリーダーの立場にたった場合の意思決定の訓練を多くのケーススタディから学びました。
更に、最も大きかったのは「人との出会い」でした。
グロービスでの学友との出会いが縁となって、現在所属しているGRAの活動を開始しました。
入学前の3月に東日本大震災が起きましたが、翌月4月に、グロービス学友の現GRA代表の故郷、宮城県山元町でボランティア活動を行いました。
それがGRAとしての初めての活動です。
被災地でのボランティア活動を通じて、自分の中に、「社会的価値」という行動軸が生まれました。
NPOでは、「10年100社10,000人の雇用機会を創出する」というビジョンのもと、いちご農家さんの支援や中学生のこころざし塾でのキャリアプランを考える授業、ツアー等のイベント開催などを通じて、仕事づくり、人づくり、街づくりに少しでも役に立ちたいと、仲間と一緒に継続的に活動をしてきました。
ビジネススクールに通ったことは大きな転機でした。
グロービスがなければ、GRAに所属することも、ソーシャルという分野に足を踏み入れることもなかったと思います。
当時は、シスコシステムズ、グロービス、NPO、家庭と4足の草鞋を履いていました。
犠牲にするものも多かったです。
グロービスで学んだことを、NPOでチャレンジし、そしてそこでまた得たものを、本業で活かしました。
逆に自社の製品や技術で、NPOに活かせるものはないかと考えることもありました。
非営利活動を通して、自分の仕事の社会的意義を常に深く考えるようになりました。
自らの活動の一つひとつに何らかの接点を見出して、相乗効果を生み出すことを考えるようになりました。
シスコの仲間をいちご農場に連れていく機会を何度かつくりまして、グロービスの学友の社会起業家が事業を通じて社会に与えるインパクトやスタートアップの勢いの空気感を体感してもらいました。
本来、シスコがシリコンバレーの企業として持っている(た)だろう、アントレナーシップの勢いや大胆さをシスコ社員にも感じてもらいたい、という気持ちもありました。

やりきることを大切に。
内なる熱意に忠実に生きる

今後の自分の人生の時間で、更にソーシャルな行動軸を増やしていきたいと考えています。
グロービスには2011年から2014年の3年間通ったのですが、両立することで本業において犠牲にした部分もありました。
その為、昨年1年間は、迷惑をかけた職場や家庭への償いをしなければと思い、仕事に没頭をして、家庭を顧みる時間を増やしました。
一方で、大きく振り切ったからこそ見えてきたものもありました。
やはり、自分はソーシャルでの行動から得られる、社会貢献の手触り感を渇望していることに気づきました。
自らの内なる声というか、人の役に立つことで感じるパッションを思い出しました。
今後は、シスコシステムズの中で自らそのような仕事を開拓していくか、または部署を探すか、もしくは転職をするか、起業して実現するか、広く大きく人生のオプションを視野に入れていきたいと考えています。
今は奮闘の時期かもしれません。
人生を30,000日と仮定した場合、後半戦に向かっているので、自分が後悔しない生き方を選んで、志を実現したいと思っています。
その点で、20代30代のころよりも、自分の内なる声に真摯に向き合い、湧き上がるパッションに忠実に行動するようになっていると思います。
何かをやろうと思ったり、プランを描いたりする人はたくさんいると思うのですが、それらを実行する人はかなり少ないです。
実行しても、最後までやりきる人はもっと少ない。
さらに、やりきって結果を残し、社会にインパクトを与える人は本当にごくわずかです。
自分は、そういった「やりきること」を非常に大事にしたいと思っています。
私の場合、今までの人生で身についてきた粘り強さやストイックな性格がベースとなって、やりきったことを一つひとつ積み重ねられていると感じます。
将来的には、NPOやNGOの事業再生をしながら、不遇な環境下から這い上がろうと頑張っている人々に貢献できるようなことがしたいと考えています。
そういった人達に、暖かい手が差し伸べられる世の中を創っていきたいと強く思います。

プロフィール

平松憲治

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経歴:

23歳 システムインテグレーター入社 システム営業として、金融機関を担当

28歳 シスコシステムズ株式会社(現シスコシステムズ合同会社)に入社。パートナー営業を担当

29歳 Best Sales of the Year(Japan Top sales)の社内表彰を受ける

34歳 Best Team of the Year(Japan Top team)の社内表彰を受ける

36歳 Chairman’s  Club(グローバルトップ1%のセールス対象)の社内表彰を受ける

39歳 ビジネススクールのグロービス経営大学院に通い始める。

東日本大震災をきっかけに、NPO(現 特定非営利活動法人GRA)の活動を始める。

40歳 Sales Championの社内表彰を受ける

43歳 Partner Account Manager of the Year for FY15-Japanの社内表彰を受ける

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