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自動車部品メーカーからのキャリアチェンジ。自ら立ち上げたベンチャーで目指す医療機関の改革

自らのコンプレックスを払拭できたとき、誰かの役に立つ喜びを知ることができたという平岡さん。その体験こそが彼を動かす原動力であることは間違いない。いまベンチャーを立ち上げたばかりの平岡さんに、経営者としての夢と、そこに至るまでの経緯を伺いました。

最初の就職で製造現場の底力を知った

立命館大学卒業後、大手自動車メーカー系部品メーカーに就職しました。
もともとは自動車メーカー志望でしたが選考に漏れ、最終的に関連企業に落ち着いたというのが正直なところです。
このころの私は「1社目で人生のすべてが決まるわけではないし、大手だから安泰なわけでもない」と自分に折り合いをつけていました。
入社後は営業に配属。
営業先は当然自動車メーカーです。
主な仕事内容は、メーカーの新車開発コンセプトに沿うパーツデザインの提案、製造ラインの立ち上げ、生産管理など自動車製造における上流から下流までのすべてに関わる業務です。
この仕事でもっとも苦労したのはネゴシエーションですね。
メーカーからはスピード、クオリティ、コストなどあらゆる要求をクリアすることを求められます。
それに応えるためには製造現場を動かさなければなりません。
現場に無理な要求をすることも多く、いかに現場に納得してもらうかが重要でした。
入社数年の若造が現場で認められるには信頼関係をいかに構築するかが重要で、そのためには泥臭い地道なネゴシエーションをする以外にありません。
工場の現場に行くときは堅いスーツではなく、作業着と安全靴で入る。
夜勤の時間帯には缶コーヒーを現場へ持っていく。
とにかく私という人間を認めてもらうことだけを考えました。
そうして地道に信頼関係を築いていき、多少無理な要求でも「しょうがねえな」と動いてくれるようになっていったのです。
部品メーカーには約4年勤務しましたが、メーカー本体よりも業界を幅広くみることができたのではないかと思います。
また製造現場の底力、強さも実感できました。
「現場は単なる工場」という自分の認識が誤っていたことを思い知りましたね。
自動車メーカーからの無理な要求をクリアし、高品質な製品を作り上げていく能力の高さには心から感服しました。

人との出会いが人生を変える

小学校4年生まではコンプレックスの塊でした。
勉強も、運動も大がつくほどの苦手で、おまけにかなりの肥満児。
自分には何もいいところがないと常に下を向いている子どもでした。
5年生になり、親が塾に通うことを勧めてくれました。
学校の授業にはまったくついていけなかった私が、塾の先生の授業はすんなり理解することができたのです。
算数の計算がどんどんわかるようになり成績もグングン上昇。
いつのまにか算数が苦手な友達に解き方を教えてあげるまでになったのです。
このとき、子どもながらに教育が人が人生を変えるのだなと思いました。
また友達に勉強を教えることができたとき、自分も自分以外の誰かの役に立てることを素直に嬉しいと思いました。
中学生になりバスケ部へ入部。
もちろんスラムダンクの影響です(笑)。
バスケ部に入部した直後からだんだん体調が優れなくなってきました。
「練習がきつくて体力が落ちたかな」としか考えていなかったのですが、その後も体調不良が続き、学校に行くこと自体が辛くなってきました。
病院で診てもらうと極度の貧血で治療が必要と診断されました。
ここまで悪化したのは自分の我慢強さが原因だったようです。
このとき私が考えたことは、この状態でもチームに対して何か貢献できることはないかということ。
フルタイムでのプレイは無理でも、ここぞというタイミングで3ポイントを決められる選手になれればと思い、その後はずっと3ポイントシュートの練習をしました。
自慢じゃありませんが1日に最高17本連続スリーポイントを決めたこともあります(笑)。
そして高校卒業後は立命館大学に進学。
大学生活後半の2年間は就活支援の学生団体で活動し、おもにグループディスカッションのトレーニングプログラムづくりに関わりました。
当時、多くの企業が選考にグループディスカッションを取り入れており、就活生にはそのトレーニングが必要だと考えたからです。
この活動で仕事とキャリアに向き合ったことが、転職後のキャリアへと繋がっていくことになります。

キャリアの先にあるもの

入社4年目に入りなんとなくキャリアの先が見えてきました。
上司の平均的キャリアを見ると、30代後半でチームリーダー、50代で課長昇進が標準モデルであり、この会社にいる限りは経営に近づくまでにはあと30年かかることがわかりました。
わかりやすいロールモデルではありますが、私はもっとチャレンジングな環境で成果主義のもとで働きたいと思いました。
入社当時からいずれはベンチャーでも働いてみたいと考えていたので、そろそろ実践的に組織や経営を学ぼうと決意しました。
そうして転職したのがGEキャピタルです。
仕事は中小企業向けリース営業で、売上10億から100億規模の中小企業を担当しました。
この仕事の魅力は企業の財務責任者や経営者など意思決定権を持つ方たちからいろいろな話が聞けたことですね。
経営者の思い、悩みなどをダイレクトに聞けたのは貴重な経験でした。
GEキャピタルという企業は自分に合っていましたね。
とりわけ経営の合理的な意思決定は凄いと感じました。
リーマンショック後、グローバルで売上10兆円以上を稼ぎ出していた中核事業の一部をいち早くバイアウトすることを決定。
情に流されず経営存続のためにドライな決断をする意思の強さには感銘すら受けました。
また評価基準が明確に文章化されているところも魅力でした。
やがてバイアウト決定後の組織縮小により大胆なリストラが開始されると、それまで自分がいかに組織に依存して生きてきたかわかってきました。
自分の未来を回せるステージに行こう。
そう決意を新たにし、これから伸びる可能性の高い市場に身を置こうと決めました。

医療機関の改革を目指した新事業へ

これから伸びる市場という観点から選んだのが、医療機関に特化した人材サポート企業です。
仕事は医療機関への人材紹介で、主に医師の紹介を担当しました。
この会社を選んだ理由はキャリアに関するサポートがしたかったからです。
医療機関での医師採用は超売り手市場であり、求人倍率はおよそ8倍。
この業界での人材紹介のポイントはズバリ医師の確保です。
私は人の悩みに共感できるキャリアコンサルタントとして、悩める医師に寄り添い、適した医療機関へ医師を紹介することを心がけました。
2010年からは新たに立ち上がった子会社へ転籍し、営業チームを率いることになりました。
在籍5年間で、スタートアップ時は約25名だった組織が250名以上の規模に拡大。
この急成長期を目の当たりにしたことで自分の手で経営・組織をハンドリングしたいという思いが一層強くなりました。
そして2015年9月、ついに自ら事業を立ち上げました。
その事業とは医療機関の人事・採用支援です。
事業設立の背景は、過去に紹介した医師たちが入職後に問題に直面したり、早期に離職してしまうという課題を解決したいという想いからでした。
その原因のひとつは、医師を紹介した会社のマッチング精度というよりも、医療機関側の人事機能の甘さにあると考えています。
医療機関の院長や管理責任者は日々膨大な経営課題に直面していますが、その職務範囲が、患者の満足度向上やクレーム対応等の顧客対応、職員採用や離職防止等の人事、法改正への対応等の法務、コストダウンやファイナンスといった経理財務等、多岐にわたるため、ほとんどの医療機関にいわゆる人事のプロがいません。
事務・管理系の責任者がパラレルに人事を兼務しているケースが多く、医療機関内に人事制度設計が必要だと思ったのです。
端的に言えば医療機関の改革です。
広報から採用面接までの採用代行と、人事周辺から経営までの制度設計をトータルにサポートしていくことになります。
今後は医師、医療機関の両者に寄り添いながら新しいキャリアサポートをしていきたいと考えています。

プロフィール

平岡仁志

平岡仁志

(33)

経歴:

22歳 林テレンプにて新卒入社

25歳 GEキャピタルにて中小企業を担当

27歳 医療業界特化型の人材サポート企業にて人材紹介を担当

28歳 子会社へ転籍し、営業チームのリーダーへ

33歳 起業

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