タグ一覧

英語のコーチとしての仕事で人々の可能性を広げる。「プレゼンス」で出会った天職

英語・中国語のコーチングスクール「プレゼンス」でコーチを勤める船橋さん。今の仕事のやりがいは、自分の言葉で表現できること、そして自分が成長することで他の人の成長にも貢献できること。その考えのベースになったきっかけとは、そして仕事に対して何をモットーに取り組んでいるのか、お話をお伺いしました。

学生時代に母から受けた影響

高校までは特に苦労することなく過ごしてきた普通の学生だったと思います。
ですが、大学入学以降は、家族、特に母の影響を大きく受けながら人生の選択をしていったように思います。
母は、宝塚劇団出身という、子どもから見てもキラキラしているオーラのある女性でした。
一方、特殊な世界で10代〜20代を過ごした母は、普通の学生生活への憧れも強かったようで、その母の想いを感じながら私は普通の大学に進学しました。
ただ、なんとなく決めてしまった大学選び。
どこか雲をつかむような、虚労な気持ちの中で過ごした4年間だったように思います。

初めての挫折経験

大学4年になり、流れされるように就職活動をはじめたのですが、内定をいただいた会社があったにも関わらず、私は辞退しました。
いざ就職となったとき、そもそも転職という考えがなかった私は、「この会社で自分の人生が決まってしまう、これで本当にいいのか」と不安に思ってしまったんです。
大学時代で、初めて自分の人生と真剣に向き合った瞬間かもしれません。
その結果、せっかく内定をいただいたにも関わらず断ることにしました。
丁度そのころ、「幼少期から見てきた、母の姿への“憧れ”があるのだ」と、自分の欲求と向き合うことになりました。
まがいなりにも、就職活動で自己分析を進める中で気付いたひとつの成果です。
母が、キラキラと舞台の場で自分を表現してきた生き方に近づきたい。
そう思うようになりました。
そんなわけで、全く挑戦したこともない、演劇の道を進むことにしたんです。
思い切って文学座附属演劇研究所に入りました。
600人中60人が受かる狭き門でしたが、なんとか合格。
「やはり私は母の娘だから、もしかしたら才能があるのかもしれない!」と勘違いしたものです(笑)。
1年間演劇の勉強に没頭しました。
しかし、2年目もその演劇研究所に残れるのは60人の中でもほんの数人。
私はその中には選ばれませんでした。
就職活動の内定を断って選んだ道にもかかわらず、このような結果になったことは自分にとって大きな挫折体験です。

アルバイト掛け持ちの日々

非常に落ち込みながらも、晴れて(?)フリーターになりました。
もちろんアルバイトしながら演劇を続ければいいわけですが、「演劇を職業にできる日はいつなのだろうか」と先の見えない人生に大きな不安を覚えました。
何をしていこうかと考えあぐねた結果、コミュニティーFMのレポーターをボランティアではじめました。
つまり、「しゃべる」という仕事への切り替えです。
文学座研究所でみっちり発声や滑舌を勉強した中で、しゃべるという仕事への興味が湧いていたことと、母の姿に近い職業のように感じました。
もちろんボランティアだけでは生活は成り立たないので、ファミレスやおもちゃ屋さんなど、バイトをいくつか掛け持ちしながらの活動になりました。
その後、縁あってある事務所に所属させていただき、少しずつお仕事をいただけるようになりました。
そのころの仕事は主に、CSチャンネル、ケーブルテレビのレポーターなどでしたね。
オーディションを受けたりして、色々お仕事させていただいていたとはいえ、収入は安定せず、相変わらず深夜のアルバイトは続けていました。
このころは好きな仕事が出来ている充実感もある一方、収入がなかなか安定しないことや、「将来どうなるのだろう」という不安な気持ちも大きく、精神的に一番苦しかったですね。

本当に自分にぴったりな仕事へ

その後、試行錯誤しながら仕事のフィールドを少しずつ変えました。
企業の商品やサービスを自分の言葉で伝えるといった「ライブ」の仕事に移行したんです。
いわば、大きなカンファレンスホールなどが開かれる展示会やショーのステージナレーターです。
この仕事が自分にあっていたのでしょうか。
不思議と全くオーディションに落ちなくなりました。
このステージのナレーターという仕事はものすごい量の原稿の内容を話しますし、その原稿を短時間で覚えないといけない難しさがあります。
ですが、私は暗記が得意だったんですね(笑)。
原稿を覚えるのはとても楽しかったです。
仕事を発注する側の企業様は、自社の思いが詰まったサービスや商品の説明を私たちに託してくれています。
どんなに良い商品やサービスであっても、それが適切に伝わらなければ、それらは世の中に存在しないのと同じ。
そのような意識で仕事に取り組んでいたので、実際にその企業の広報活動に参加しているような感覚でした。
自分の伝え方でどのくらいの反響があるのか、強い緊張感もありましたが、「伝える」ということを突き詰めたかった自分にとってはとてもやり甲斐のある仕事でした。
幸いにも企業の方々に信頼していただけたのは、その会社のことを想って仕事に取り組んでいるということが伝わったからだと自負しています。
ある大手外資企業様のブースでお仕事をさせていただいたときに、お客様からの反応が少なく、私はブース作りの改善提案をしたんです。
普通はいちナレーターがブース作りまで口を出すことはありません。
生意気だったと思います。
が、話を聞いてくれた社員の方とは、その後長いお付き合いになりました。
他にも、様々な資格を取得しながら知識をつけ、担当していた業界への理解を深める努力をしてきました。
司会やアナウンスという仕事はなかなか差別化がしにくいものです。
ですが、自分がどれほどその業界に関心を持っているか、真摯に向き合うかということを行動で示すことで成果を上げることができたように思います。

「プレゼンス」との出会い。
英語のコーチという仕事

まさに仕事で充実感を得ていたその当時、自己研鑽の一環として、英語コーチングスクール「プレゼンス」で英会話のクラスを受講していました。
それが、現職との最初の出会いです。
クラス修了後、当時は人手が足りなかったのでしょう(笑)。
「週1回でいいから、英語のコーチ(アシスタント)としてここでアルバイトしないか」とコーチからお誘いを受けたのです。
最初は驚きましたが、よく考えると非常に素敵な仕事なのでは、と感じるようになりました。
プレゼンスは、語学のコーチングスクールですが、語学そのものを教えるというよりは、勉強の仕方を教えたり、目標達成のためにどのような計画を作り実行していくかということを受講生と共に伴走し、手助けする仕事です。
私自身、プレゼンスというスクールで英語を学習する中で、得られたのは英語力だけではありません。
困難な目標を達成するための気持ちの持ち方、学習計画の立て方、自分に対する自信等、多くを学ぶことが出来ました。
そのような「自分の体験を他の人にも伝えていきながら、受講生の可能性を広げることができる。
この仕事はきっとやりがいがあるはず」。
そう感じました。
実際アシスタント業務で、英語を通して自分の可能性に気付き、変わっていく人達と、たくさん出会うことができました。
そんな風に様々な人の転機に触れることで、プレゼンスでの仕事への魅力をより強く感じはじめていたのです。
誰よりもわかりやすく、人の心を動かすような喋り方を目指してきたナレーターという仕事のスキルと、誰かの人生を支援する英語のコーチという仕事、2つを結びつけて、より自分がキラキラと仕事をしているイメージを抱きながら、私はプレゼンスで働くことにしました。
今の仕事で私は、憧れた存在である母の姿に近づけたと、充実感を感じる日々を送っています。

今までの点と点をつなげて、今の仕事に活かす

私のモットーは、「仕事は自己表現である」です。
自己表現とは、今まで自分が学んできたことを全て繋げて、誰かに価値を与えることだと思っています。
しかし、それを行う前提として、自分自身が人間としてしっかり成長し続けているかが重要だと考えています。
でなければ、誰かに価値を与えることができません。
特に、英語のコーチのように他者に直接働きかける仕事の場合は、何よりもまず自分自身が成長しているかという点が問われます。
自分が成長することで自己表現の幅が増え、結果として相手により大きな価値を提供していきたいですね。
プレゼンスでは、4月からコーチと兼務して広報を担っています。
プレゼンスを更に多くの人にご受講していただき、多くのグローバル人材が生み出されるように、自分自身を更に高めていきたいです。

プロフィール

船橋 由紀子

船橋 由紀子

(38)

経歴:

22歳 大学卒業後フリーター

23歳 ケーブルテレビの仕事を中心に複数の仕事に携わる

25歳 展示会ナレーター、ブライダルのMCの仕事に従事

33歳 英語コーチングスクール「プレゼンス」にてコーチ就任

おすすめの特集記事

おすすめのインタビュー記事

PAGE TOP