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普通の人生からコンサルタント、投資ファンド、そして起業へ

学生時代の海外体験が阿部さんを変えた。目立たない普通の人生から、世の中を変えるエキサイティングな人生へと方向転換した阿部さんに、これまでとこれからを聞いてみました。

気がつけば目立たない人になっていた

小さいころのことはあまり覚えていないのですが、周囲に言わせるとガキ大将のそばで結構やんちゃをしていたそうです。
自分では覚えていないんですけどね。
記憶としてあるのは、仲の良かった友達が親の転勤などで引っ越していき、寂しかったということですね。
そのあたりから徐々に大人しいこどもに変わっていったと思います。
小学校時代は先生に褒められるのが嬉しくて、一生懸命勉強しました。
私の両親は徹底的な放任主義で、「勉強しなさい」などと言われたことはありません。
きっと何も言わなくても勉強するいい子だと思っていたかもしれませんね。
中学生になってから陸上をはじめました。
理由は仲の良かった友達が陸上部に入ったから、それだけです。
結果的には、陸上部に入って正解だったと思います。
顧問の先生がすごくいい先生で、結果よりも努力を認めてくれる人でした。
とにかく人を思いやる先生で、常に生徒に目を配り、ちょっとしたところを徹底的に褒めてくれました。
いったいどこで見ているのだろうと思いましたね。
また、学校は不良学生が多く、極力そういう先輩に目をつけられないよう気をつけていました。
ますます目立たない人間になっていましたね(笑)。
高校に進んでからはバドミントンをはじめました。
陸上ではあまり結果が出ず、バドミントンなら努力次第でなんとかなるかもしれないと思ったのがはじめた理由です。
部活以外に社会人のクラブにも参加させてもらい、部活が終わった後はそちらの練習に加わっていました。
バドミントンにはシングルスとダブルスがありますが、ダブルスにはパートナー同士の人間関係が大きく影響します。
実際、それなりの実力を持ちながら人間関係に悩み競技を辞めてしまう人もいるくらいです。
部活でもメンバー同士の関係性などが気になってしまい、いつの間にか悩んでいるメンバーをフォローする立場になっていました。
部活に熱中していたため、勉強はあまりしていませんでしたが、高3の夏を過ぎたあたりからこれはヤバイと気づき猛勉強を開始。
自分でいい参考書を集め、学校の授業は無視して独自の勉強をしました。
成績はどんどん上がり、何とか第一志望の筑波大学に現役で合格することができました。

普通の人生を変えたオーストラリア留学

大学時代の経験で最も印象的だったのは、3年生の時のオーストラリア留学ですね。
1年間シドニーの専門学校でeコマースについて学んだのですが、ここでの生活は私の人格すら変えてしまうほどのインパクトがありました。
シドニーは東京の渋谷ほどの小さな街で、娯楽施設などほとんどなく、街自体に華やかさはありません。
何でもある東京とは正反対の街なのですが、オーストラリア人はとにかく楽しむことが大好きで、何でも遊びにしてしまうのです。
あちこちの公園でバーベキューをして盛り上っていますし、友人同士で集まるだけでそれがイベントになる。
まさに楽しむ天才だなと思いました。
聞いたところによると、オーストラリアでは3年程度働いて1年間旅行するみたいな働き方をしている人が多いそうです。
自己責任を全うして自由に生きる、それがオーストラリア人の生き方なのだなと実感しました。
留学の間、たくさんの人と交流を持ちました。
地域の若者たちとフリスビーのサークルを作ったり、真夜中に大学構内清掃のアルバイトをしたりといろんなことをやりました。
日本で過ごした失われた時間をここで一気に取り返してやるぐらいに考えていましたね。
このオーストラリア留学は、自分の価値観を大きく変えてくれたと思います。
留学前までは普通の人生を送っていたと思いましたが、これを機に私の人生は大きく変わっていきます。

密度の濃い成長を目指した

帰国後すぐに就職活動がスタート。
未来を生き抜く力を付けるためにはコンサルタントが最適と考え、コンサルタント会社に絞って活動を進め、大手コンサルタント会社への就職が決まりました。
入社して感じたことは、コンサルタントは基本無茶振りの世界だなということです。
コンサルタントはクライアントに対して「できない」「知らない」などという言葉は、絶対口にしません。
ある意味それがコンサルタントの強みとも言えますが、そういう風土の中で仕事をしたことでかなり鍛えられたなと思います。
とにかく毎日忙しかったですね。
週2日は会社に泊まっていたと思います。
しかし、多彩な業種のクライアントに深く関われるのは色々な発見があって楽しかったですね。
まさに仕事を通じて自己成長を実感できるのがやりがいでした。
成長と言えば、こんなことがありました。
プロジェクト終了時に必ず最終報告のプレゼンテーションを行うのですが、ある独立行政法人のプロジェクトで最終プレゼンをやらせて欲しいと上司に直訴し了承してもらいました。
何度も何度も練習を重ねた結果、プレゼン自体はミスなく終了しました。
しかし、そのあとの質疑応答で予期せぬ厳しい質問が寄せられ、何も答えられずしどろもどろに。
先輩上司のお陰で何とかその場を乗り切ることができましたが、その時はさすがに失敗に落ち込みました。
しかし、この経験こそが一人前のコンサルタントとなるための第一歩だったなと思います。

傍観者から当事者へ

じつは、私はコンサルタント会社の面接で、3年で自己成長を果たし転職をすると宣言していました。
その3年目の終わり、世界で最もエキサイティングな国、中国で仕事がしたいという思いが強くなっていました。
コンサルタント業務も一通り経験したところでシンガポール系の投資ファンドへの転職を決めました 中国での大型事業立ち上げに参加できるという条件で転職したのですが、入社後すぐにプロジェクトが廃案となり、日本国内の投資案件に関わることになりました。
手掛けたのは主に技術に対する投資で、環境・電池・バイオマス発電などの案件です。
事業の立ち上げから、投資判断のための技術実証までをトータルに担当しました。
この仕事を通じて、ビジネスは人で成り立っていることを実感しました。
仕事を完成させるためには如何に人を動かせるかが重要で、目的のためならどんなことでもできる奴こそが最強であるということを学びました。

やりたいという思いをかたちにする

以前から、世の中には意外と必要なものがないということを感じていました。
こんなことをやりたいというアイデアがあっても、それを具体化する術がなければただの空想で終わってしまう。
世の中に溢れているアイデアを具体化させてあげるビジネスは面白いかもしれないと思い、信頼する先輩とともにWebサイト「ココカラ」を立ち上げました。
個人がアイデアを提示し、ボランティアベースで人を集めチームを集め、プロジェクトとして立ち上げていくサービスです。
そこで立ち上がったプロジェクトに対しての支援や企画提案などを行なっています。
これまでにいくつものユニークなプロジェクトが立ち上がっています。
例えば田舎の古民家と農地を借りた人が、ここで何か面白いことやりませんかと呼びかけたところ、13人もの人が集まり、農家民宿のアイデアが生まれたという事例があります。
小さなアイデアに対し人が集まり、やがて事業へと発展していく。
これが私たちの進めるクラウドチーミングです。
埋もれているアイデアを具体化するお手伝いにより、まだ世の中にないサービスがたくさん生まれることを期待しています。
思えば留学までは、本当に普通の人生を歩んでいたと思います。
でも、あの経験が大きく私の人生を変えました。
そこからより主体的に生きるようになり、厳しい環境であるコンサルタント会社、投資ファンドを経て起業まですることになったのですから。

プロフィール

阿部 紘樹

(30)

経歴:

23歳 大手コンサル会社にて幅広い業種の顧客の支援に従事

26歳 シンガポールの投資ファンドへ転職し、事業の立ち上げから技術立証までを担当

28歳 個人がアイデアを提示し、ボランティアベースで人を集めチームを集め、プロジェクトとして立ち上げていく「ココカラ」を立ち上げる

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