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映像の仕事で独立を目指す。飽き性だからこそ「夢中」を大切にする生き方

父の影響や、偶発的な気持ちから映像の世界へ。25歳の若さでトップクリエイターとして会社を率いる小林さんに、これまでの歩みについてお話しいただきました。

やればできるという感覚を実感できた少年時代

中学から高校までソフトテニスに夢中でした。
中学では部全体のレベルが低く、大会などで大した成績は残せませんでしたが、もっと上手くなりたい、もっと強くなりたいという思いは誰にも負けなかったと思います。
高校進学の際も、とにかくソフトテニス強豪校に進むことだけを考えました。
進学した高校はインターハイの常連で県内各地の中学からトップクラスの選手が集まる強豪校。
レベルの高い選手たちの中にあって、簡単にはレギュラーになることはできませんでした。
とにかく上手くなりたいという一心で、毎日ひたすら練習に打ち込みました。
ある時顧問の先生から声をかけてもらい、レギュラー選手たちと一緒に練習させてもらえるようになりました。
この時、やればできるという感覚を掴んだ気がします。
その後大きな転機が訪れます。
ある遠征の直前にレギュラーの先輩がインフルエンザにかかり出場できなくなってしまい、私が急遽遠征メンバーに抜擢されました。
ちょっと複雑な思いでしたが、出場するからには全力を尽くそうと決めました。
緊張の中で臨んだ遠征で好成績を残し、その後はレギュラーに定着。
3年時には悲願のインターハイにも出場しました。
ソフトテニスに打ち込んだ6年間で、努力は裏切らないということを実感しました。
練習しただけ強くなれたことで、「やればできる」ということをリアルに学んだ気がします。

きっかけは安易。
誰よりも真面目な専門学校時代

映像系の進路にいったのは、父の影響も大きかったですが、その当時は正直ただなんとなくENG(カメラ、音声、照明等の撮影チーム)のカメラマンを街中でみてかっこいい仕事だなぁ(見た目)と感じたのが一番大きかったですね。
本当にただそれだけです(笑)。
高校卒業後は迷うことなく放送・映像制作系の専門学校に進学。
映像について幅広く学びました。
もともとはスタジオカメラマンになりたいと思っていたのですが、専門学校でいろんなことを学んでいくうちに編集の仕事は奥が深くて面白そうだと思うようになりました。
カメラマンとしての撮影技術のほかドラマや映画のオンライン編集など、実習を中心に多くのことを学んだのはとても刺激的でしたね。
割と真面目な方だったと記憶しています。
故意的に授業を休む事も無く、追加でお金を払って受ける追加授業みたいなものも受講していました。
そのころからなんとなく、技術習得して新しい事を知っていく事が楽しくなりました。
楽しかった専門学校も終わりが近づき、本格的な就職活動がスタート。
間もなくカメラマンと映像編集の2つの職種で内定を頂きました。
どちらの道に進むべきか決められず父に相談すると、「将来的に1社に拘る必要はない。
幅広く知識をつけるなら編集の道へ進むべき」とアドバイスをもらいました。
結局当初のカメラマンになるという野望は忘れてポストプロダクションで編集の仕事に就くことに決めました。

憧れた仕事、飽き性な自分

入社後はアシスタントとしてリニア編集の部署に配属され、主に映像に入るテロップ作りを任されました。
テロップ作りは映像編集においてもっとも地味な仕事のひとつで、すぐに飽きてしまいました。
自分がやりたいのはこんなことじゃないという思いが日増しに強くなり、入社から半年が過ぎたころ上司に異動を直訴しました。
思い返すと、反骨精神むき出しでしたね。
ただ会社の先輩方はみんな本当にいい人ばかりでその点ではすごく恵まれていたと思います。
このころ、将来に備えての勉強を熱心にしていました。
毎朝出勤前の6時から8時の間に会社近くのマクドナルドで合成技術や加工技術を勉強していました。
このことが、どんなに仕事がつまらないと感じてもモチベーションを保てた理由だと思います。
そして、ようやくオンライン編集部門へ異動させてもらうことになりました。
オンライン編集はドラマや映画などの映像にテクニカルな加工を施していく部門です。
願いを聞き入れてもらえたことがとても嬉しかったですね。
1年後、オペレーターと呼ばれるポジションになり、加工作業だけでなくクライアントとの折衝までトータルに担当するようになりました。
クライアントはテレビ局や制作会社で、主に深夜ドラマや映画を手がけたのですが、初めてドラマのエンドロールで自分の名前が流れた時はちょっと感動しました。
入社2年目を過ぎたころからマンネリ化しはじめ、だんだん仕事に面白味を感じなくなってきました。
飽き性なんですよね。
成長感が足りないというか、技術的にもっと面白いことがやりたくなったのです。
CGを駆使して、さらなる技術の追求をしたいという思いがあったのですが、この会社ではそこまではやれそうにありません。
仕事量ばかり増えて、成長意欲が満たされないことに不満が募るばかりでした。
父がひとつの会社に拘る必要はないと言った意味がわかった気がしました。
飽き性であることは父譲りな面もありかもしれませんが、ポジティブに捉えもっと可能性を広げられる環境に移ろうと決意し、転職活動を開始しました。

転職、そして独立を志す

忙しい日常の中での就職活動は結構大変でしたね。
何しろ時間がないので、思うように進みません。
必死に活動を続けていった結果、Webや映像を制作する小規模の会社に転職が決まりました。
少数精鋭のチームとして仕事ができる環境であったこと。
未経験であるゲーム開発をはじめ、様々なイベント映像など幅広い分野を手がけていたので、新しいことを学び続けるから飽き性な自分でも大丈夫だと感じたこと。
その2つが入社理由です。
新しい会社では、FlashやAftereffects、CINEMA4Dなどを用いてゲームエフェクトの作成やイベント映像の制作、モーショングラフィックス制作などを担当することになりました。
土日も休みだったので、思ったより自分で技術習得する時間をつくれました、この時期に3DCGのベース技術を習得しました。
転職後、前職よりも仕事が早く終わることが多くなり、アフター5の趣味としてVJをはじめました。
きっかけは父の知人のVJの出演したイベントに呼ばれたことです。
それぞれのVJが空間を演出するために映像を作ってきてお酒を飲みながら「あーだこーだ」話すそんな不思議な空間が好きで、友人も増えました。
他のVJたちが創る凄い映像を目にすることは自分にとって絶好のインプットになり、さらに自分が作った映像やシステムをテストできるのは絶好のアウトプットになります。
趣味とは言いつつも、自分にとっては技術習得の一環だったと思います。
また同時期に、初音ミク界隈のクリエイターの映像を偶然見つけ、技術力の高さ、演出の素晴らしさに感動し、自分の中で作りたい映像の形がはっきりしていきました。
アンダーグラウンドにいるクリエイターさん達の着飾ってない、自分の好きな物を100%表現する姿勢に感動しました。
そして、転職して1年が経った時、本格的に独立をしようと決意しました。

大きな転機、小さな一歩

独立を目指し退職したのと前後して、父が会社を廃業する事になりました。
果たして自分は独立して大丈夫なのか?と不安になる時期がありました。
そんな中岡山のウェブクリエイティブという父の友人の社長さんから是非会いたいとのオファーをいただきました。
お話しを伺うと、本格的に映像制作を手がけたいので協力して欲しいとのことでした。
「じつは私はいま独立を考えています」 「ちょうどよかった。
東京に映像部門としての拠点を出すので、あなたに任せてみたい」 私にとって願ってもないオファーでした。
断る理由はありません。
偶然、父から私のことを聞き是非会ってみたいと思ったのだそうです。
そして正式に東京に拠点を出し、ウェブクリエイティブ東京営業所 Laigyo.inc として活動することになりました。
現在はモーショングラフィックスやゲームエフェクト制作、VPやイベント映像、合成などを、以前いた会社や、岡山から受注したりしています。
今後は、プログラミングと映像をかけあわせた空間演出やインタラクション制作をやっていきたいと思います。
映像は一方向のコンテンツで、ただディスプレイに映像が映って終わってしまうのですが、プログラムやセンサーを駆使して、音、人間の動き、距離などを検知したアナログの信号を映像や他のシステムに落とし込む、双方向のコンテンツをつくりたいと思っています。
また最近だと、360度映像制作にも手を出しています。
ただVRヘッドマウントディスプレイは費用や技術面からまだ一般向けには時間がかかると思うので、それまでは情報量の多い映像コンテンツとして、WebやYoutubeを使ったアプローチをしていきたいと考えています。
今でも「やればできる」という核の部分は変わりません。
それこそ、専門学校での私が、今はC++のプログラミングを覚えようとmixiで教えてくれる人を探して教えてもらったり(笑)、1000ページ以上あるロベール++という本を少しずつ勉強したりと本当に難しいですが、やりはじめて1年、着々と表現できる事が増えはじめています。
この「やればできる」という感覚を絶やさず技術習得していきたいですね。
そして、より高度な表現を追求するためにはやはり仲間が必要なので、これからはその仲間づくりも視野に入れて活動していきたいと思います。

プロフィール

小林 涼

小林 涼

(25)

経歴:

20歳 映広にてリニア編集に従事

21歳 映広にてオンラインアシスタントに転身

22歳 映広にてクライアントとのやり取りまで担うオペレーターを担当

23歳 転職しエフェクトの作成やイベント映像の制作、モーショングラフィックス制作を担当

24歳 ウェブクリエイティブ東京営業所 Laigyo.incを立ち上げる

 

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