ITエンジニアのスキルアップ

ひとりよがりの仕事はしたくない。だからフリーランスの道

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派遣社員から正社員そしてフリーランスのWEBエンジニアとして、世の中に求められる技術を追求する市川さんは、高校時代すでにWEBエンジニアとしての未来を見据えていたと言います。市川さんがフリーエンジニアとなるまでの歩みについてお聞きしました。

高校時代から仕事というものを現実的に捉えていた

私は愛知県の片田舎で育ちました。自然が豊かな街でしたので、川でザリガニ取りをしたりしてのんびり暮らしていました。プラモデルとか、何かを自分で作るのが大好きで、母親の買い物について行ってはミニプラモの景品が付いたお菓子を買ってもらっていましたね。手先が器用だったこともあり、小学校に上がってすぐにそろばんを習い始めました。指でパチパチと玉を弾くのが大好きで、あっという間に1級までいきました。

中学ではハンドボール部に入りました。早生まれということもあり、私は同級生の中でも小柄なほうで、体格がものを言うハンドボールではかなり不利でした。なかなかレギュラーにはなれませんでしたが、ハンドボールは大好きで続けていました。

高校に進んでからもハンドボールを続け、ついにレギュラーを獲得。しかし試合直前に大怪我をしてしまい、そこでハンドボールは諦めました。その後はアルバイトに夢中になりましたね。自分でお金を稼ぐことが楽しくて、卒業までずっとアルバイトを続けていました。

アルバイトをしていたことで、仕事ということをリアルに感じていたからだと思いますが、進路については将来どんな分野で働くかという観点で考えていました。当時Windows 95が市場に出たばかりで話題となっていました。将来、きっとパソコンの時代が到来し、ネットが生活を変えるだろうと予感し、それに関連する仕事に就くため専門学校に進むことを決めました。大学に行こうとは思いませんでした。

エンジニアへの道

高校卒業後は、専門学校HAL名古屋に進学しました。授業はとにかく面白く、まず1年目は一般課程のような感じでいろいろなことを学びました。絵のデッサンや音楽など、授業内容は非常に充実していました。2年目からは専門的な勉強に入ったのですが、そこからの3年間でWEBエンジニアリング技術の進化スピードを実感しました。2年目で学んだ技術が、3年目には新しいものに変わっていたりして、常に新しいものをキャッチアップしていかなければならないと思いました。

ある日、文化祭の卒業制作で音楽ゲームを作ることになりました。私は10人のグループで制作することになったのですが、テレビのバラエティー番組などによく出てくる「へぇ~ボタン」を使ったゲームで、ハードも含めてすべてオリジナルで作りました。文化祭のアトラクション用に設置し、気に入ったらWEBでダウンロードできるようにもしました。周囲からの反応もよく、専門学校時代のいい思い出として強く印象に残っています。そのグループのメンバーとは現在も交流があり、お互いの近況を報告し合ったりしています。

卒業後は人材派遣会社に特定派遣社員として入社。すぐに愛知県内の工作機械メーカーに派遣されました。担当したのは製造マシンの組み込み式プログラムを書く仕事。あまりにもやりたいこととかけ離れていたため、会社に派遣先を代えてもらうように依頼しました。

しかし、当時は地方にWEBエンジニアの仕事自体が少なく、希望する仕事には就くことができず不本意ながら退職することにしました。

したくない仕事でも仕事のスキルは磨かれる

退職後すぐに転職活動を始めましたが、WEBエンジニアの求人はほとんどありませんでした。その中でも、ひとつ面白そうな仕事を見つけることができました。派遣会社の、自社管理システムのリニューアルに伴う社内SEの募集です。応募するとほぼ即決で入社が決まりました。

仕事内容は、それまでEXCELですべてのデータ管理をしていたものをすべてWEBに移行させるというもので、新規で立ち上げられたプロジェクトでした。スタッフは私の他に2名で、ひとりはインフラ系をずっとやってきた人、もうひとりはVB系一筋の人でした。新人の私がもっともWEBへの理解度が高いという状況で、自分が一番年下なのにという思いはありましたが、実質的なプロジェクトリーダーとなりました。

社内に私を技術的にサポートしてくれる人はいなかったので、わからないことなどは独学で勉強していくしかありませんでした。自分の仕事は正しいのだろうかという思いは常にありましたね。それでも入力作業などを他のスタッフに協力してもらうなどして、1年でシステムを完成させました。

完成させたシステムは社内でも高い評価をいただき、大きな自信となりました。

しかし、システムが完成してしまうとそれ以上やることはほとんどありませんでした。独学の積み上げでなんとかやりきることができましたが、やはり自分が今進んでいる道は正しいのだろうかという考えが残り、もっと勉強して成長したいと強く思うようになりました。

更なる成長。派遣から正社員そしてフリーランスへ

退職後、派遣として光学機器メーカーの工場内配線図管理システムのWEB管理の仕事に就きました。ここでは自分が独学で積み上げたものを正しく修正することができ、またそのことで情緒的な部分でも成長ができた気がします。システム全体を見通すことができたのも貴重な経験でした。

光学機器メーカーの派遣期間終了後に、正社員としてガラケー向けポイントサイトのASP会社に就職しました。社員12名ほどの小さな会社でしたが、入社してしばらくして資金繰りの悪化で経営危機に。

その時、先に転職した先輩の誘いで、エイチームという会社に転職しました。

入社後、社内管理ツールチームに入り、並行して結婚式紹介サイト「すぐ婚navi」のプロジェクトにも参加しました。立ち上げの段階から参加できたので、とても面白かったですね。とにかく次々と新しいことを手がけていく会社でしたので、そこに大きなやりがいを感じることができました。したくない仕事を経験しながらも積上げたスキルを使い、好きな事ができるようになった、ここでの体験が更なる自信に繋がりましたね。

エイチームでのやりがいを実感する一方で、独立して自分で面白いことがやりたいという思いが強くなってきました。分野を絞らず幅広くやって行こうと決意し、フリーエンジニアとして独立しました。

独立してまず心掛けたのは、人脈を広げていくこと。何もしなければ仕事は生まれませんからね。

現在フリーエンジニアとして様々なお手伝いをさせていただいていますが、絶対に譲れないポリシーがあります。それは市場のリアルなニーズに応えることです。ユーザーが本当に求めているものは何かというものを的確に把握していないと、エンジニアのひとりよがりの開発に終わってしまいます。だから本当に世の中に求められるものを開発していきたいと思っています。

これからの目標は世の中を変えるようなサービスの開発に携わることです。ソフトやハードに拘らず世の中に求められる技術をさらに磨いていきたいと思っています。

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市川 亮 (33)
経歴:

22歳 組込みエンジニアとしてキャリアを開始

24歳 WEBエンジニアとしてのキャリアを歩み出す

25歳 派遣先の企業が経営危機になる

26歳 エイチームに正社員として入社し、WEBエンジニアとしてプロジェクトへ参画

32歳 フリーランスへと転身


充実度

充実度: 70点

業務上で成長実感やマンネリを引き起こす要因である6軸18項目を点数化した数値です。
インタビューイー様のキャリアの分岐点で、
その選択がどのような心理的な変化を産んだのかを点数化しております。

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