NPO・NGO

NGO、化学メーカー、そしてNPOへ。個人が輝ける社会を実現するために歩んだキャリア

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子どものころに目にした1通のダイレクトメールをきっかけにNGO職員として働いてみたいという想いをもった朝岡さん。大学時代に体験した途上国の現場は彼女が思い描いた以上に厳しい現実だったといいます。その後化学メーカーに勤務した彼女がNPOに目を向けた理由とは。NPO法人かものはしプロジェクトで活躍する朝岡さんのこれまでとこれからを伺いました。

1通のダイレクトメールが私に与えたもの

振り返れば、子ども時代に目にした1通のダイレクトメールこそが私の原点かもしれません。ある日、家に届いたUNISEFからのダイレクトメールを見つけました。何気なく手に取ってみると、そこには1包みの食塩が添えられていました。
「このわずかな食塩で、アフリカの貧しい子どもたちの命を救うことができる」、確かそのようなメッセージが添えられていたと思います。食べるものにも困らず何不自由なく生きている私には想像すらしなかった遠い世界の現実を、このとき初めて知りました。

私の両親は、特に慈善活動などに熱心だったわけではありません。しかし、食事の際に私が食べ物を残すと、「世界には十分に食べるものがなく死んでしまう子どもたちが沢山いる」というような話をしてくれました。こうした母親の話も相まって社会の公平性や、人は平等であるべきといった価値観が育まれていったのだと思います。

やがて高校生になると、将来はNGOなどの職員として広く社会に貢献する仕事がしたいと思うようになりました。進学先もそうした将来に進むための学びを得たいという観点から探しました。大学一覧などで関西圏の大学を隈なく見ていったところ、1校だけ私の理想に一致する大学がありました。それが母校の立命館大学国際関係学部です。当時は革新的な学部として、国連職員やNGO職員などを目指す国際色豊かな人材を育成しているところに魅力を感じました。

自分に世界は救えない

立命館大学では、国際協力論をはじめ様々なことを学びました。授業はどれも面白く、就職してからも学んだことは活かされたと思います。サークルはNGOサークルに所属しました。そこでの活動を通じて、より現実的に自分の将来を考えていくようになったと思います。

ある日系NGOの方の案内で、フィリピンのゴミ山に行ったときのことです。郊外の巨大なゴミ山のコミュニティで、そこに暮らす人々や子どもたちへの支援活動をされている団体でした。現地に入り、そのあまりにも劣悪な環境に言葉を失いました。積みあがった大量のゴミからは強烈な悪臭が漂っています。当時の私にとっては、呼吸をするだけでも意識が遠のくような臭いでした。そんな場所に長期間常駐し支援活動を続けている職員の方の話を聞き、私にはとてもこの人のようにはなれないと思いました。今まで出会ったこともない人たちのために、当事者としてそこに住み、人々に寄り添いながら活動をすることはできないと思ったのです。

遠い国の窮状を思いやる以前に、まずは自分の家族や身近な人を幸せにすることのほうが先ではないのだろうか。NGO職員になることを夢見てきたけれど、現実的に自分事として本気で取り組める道へ進もう。フィリピン訪問をきっかけにそう決意しました。

化学メーカーとの出会い

やがて就職活動の時期が到来しました。業界について研究を重ねていきましたがピンとくるものがなく、どの道に進むかなかなか決められませんでしたが、素材メーカーというものを知った時、「これだ」とひらめきました。ひとつの素材が様々にカタチを変え、私たちの身の周りにある製品となることに面白さを感じました。化学メーカーの知識はありませんでしたが、よくわからないからこその興味もありました。

その後は化学メーカーに絞って就職活動を進めました。旭化成、帝人などあらゆる大手化学メーカーの説明・選考会に参加し、最終的に某化学メーカーへの入社が決まりました。

入社後、新人研修を経て工場に勤務。そこで素材について色々学びました。入社2年目から本社に異動し、太陽光パネルの海外営業を任されました。担当エリアはマレーシア、シンガポール、台湾、タイなどの東南アジア。現地のゼネコン、デベロッパー、施工業者への企画営業で、まさに提案力が求められました。単なるモノ売りではないところが魅力でした。

その後、営業としてのキャリアを重ねていったのですが、徐々に将来への不安を感じはじめました。いまは随分と変わっているようですが、その当時は先輩・上司のロールモデルを見ると、「40歳で一人前」、「みな定年まで勤め上げる」という文化が定着していました。多くのチャレンジをさせてもらいましたが、やはりいつまでも後輩をもたずマネジメント経験を積むことができない目の前のキャリアパスに、気づいたら自分は社会で使いものにならなくないビジネスパーソンになってしまうのではかと思ったのです。

また、投資製品の営業をしていたということもあり、社会課題を解決するということとは遠い仕事のように感じられ、徐々に転職を意識しはじめました。そんなときに、東京への異動が決まりました。 

「NPO法人かものはしプロジェクト」との出会い

転職を志したものの、具体的な方向性については何も決まっていませんでした。キャリアカウンセラーの資格をもつ友人に相談すれば、何か良いアドバイスをもらえるかもしれないと思い、連絡をとりました。社会に近い仕事がしたいが、具体的に何がしたいのか分からないでいることを伝えていると、「僕が参加しているNPO法人が経営企画を任せられる人材を探しているのだけどどうだろうか?」と求人を紹介してくれました。

彼が参加するNPO法人かものはしプロジェクトは、世界中で起こっている子どもの人身売買を防止するための活動を行い、子どもたちが未来への希望を持って生きられる社会の実現を目指す団体です。詳しく話を聞いていくと、組織と人が社会問題の解決という同じ目的に向かい進んでいることが確認できました。120%の仕事が120%社会問題解決への寄与になると思いました。すぐに職員採用にエントリーし、選考の結果晴れて採用となりました。

転職後は幅広い仕事を任せていただきました。バックヤード全般、人事、経理、総務、財務などあらゆることを手がけています。かものはしプロジェクトの魅力は、何と言ってもみんなで経営をつくるという方針を貫いていることだと思います。個人の成長に重きを置き、個人の力の結集が組織の推進力であると捉えています。

社会問題の解決という目標を共有してはいても一人ひとりの価値観は異なり、個人の常識が100%通用するわけではありません。幅広く仕事を任されるほどに、NPOで働いていくには、いかに人を巻き込むことができるかが重要だということを知りましたね。転職動機となった「社会から遠い仕事をしているのではないか」という不安は、ある意味自分の原点に還りたいということだったのかもしれません。

これまで触れませんでしたが、実は社会人となってから経営大学院に通いMBAを取得しました。そこで学んだ「ビジネスとは個人の志の上に成り立つ」ということと、かものはしプロジェクトで学んだ「個の力の重要性」、この二つの知と過去の原体験から、自分自身が強い当事者意識をもって取り組んでいきたいと思える志に出会うことができました。将来は、この志を実現できる組織と環境で全力疾走したいと思います。

asaoka
朝岡真央 (31)
経歴:

22歳・・・大手化学メーカーにて工場勤務

23歳・・・本社に異動し海外営業を担当

27歳・・・NPO法人にて経営企画を担当


充実度

充実度: 79点

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