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人の価値は学歴と年収で決まるのか

グローバル化と価値観の多様化を推進する現代社会では、改めて“人間の価値”が問われています。ここでは、「人間の価値は学歴と年収で決まるのか」という問いについて、じっくりと考察していきます。

 

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「人間の価値は学歴と年収で決まるのか」 この問いには、“NO”と答える人が多いと思います。
理由を問うと、たいていは「人間はみな平等だから」「人はお金よりも中身が大事」という綺麗な答えが返ってきます。
確かにそれは、誰しもが共感する1つの真理と言えるでしょう。

しかし、現実社会を見てみると、高校や大学に進学できない貧困層は社会から虐げられ、年収の低い家庭は貧乏人として扱われているのが現状です。
例えば、就職においては、“四大卒以上”という採用条件を設けている企業が多くあります。
また、銀行の融資においても、年収が高ければ高いほど信用が厚く、“その人そのものの存在価値”は信用にはなり得ません。
確かに、高い学歴や一千万円を超えるような高い年収などのステータスを持っている人は、教養もあり、それなりの努力をしてきたと言う意味で、一定の信頼を置ける人物であるのかもしれません。
ですが、そのことと“人そのものの存在価値”には関係がないはずです。
表面的な綺麗ごとで片付けることはできない、根が深いその問いに対して、2つの根拠と共に答えていきたいと思います。

根拠① そもそも価値を計るための“モノ”がない

仮に、「価値は高い年収で決まる!税金もたくさん納めているし、たくさん社会にお金を落として貢献しているから」と主張する人がいたとします。
確かに、経済的には一定の貢献をしていて、社会を潤しているのかもしれません。

しかし、なぜそれで、その人の価値が高いと言い切れるのでしょうか。
言い換えれば、なぜ“お金で貢献していない人は価値が低い”と言えるのでしょうか。
日本国憲法に「税金を高く収めるものほど人間としての価値が認められる」と明記されているわけでもありません。
あったとしても、それは時代錯誤も甚だしく、過去の歴史上の暴政下においてだけで、いずれは、自然に廃れていくことは火を見るよりも明らかです。

つまり、この主張が間違いか否か、という以前の問題で、人の価値の大小を人が計ることなどできないのです。
「天は人の上に人をつくらず」と福沢諭吉が残したように、そもそも、“他人の価値を推し量る明確な尺度など存在しない”という真理が、社会に広まることが必要なのでしょう。

根拠② 社会参画の方法は無限大

学歴が高い人には、優秀な企業に入ったり、起業したりして、人類の技術進歩に貢献している人がたくさんいるのは事実です。
世の大勢の人のために貢献する貴重な存在、という意味では“社会的に価値のある人物”という言い方はできるかもしれません。

しかし、それも“人そのものの価値が高い”ということにはなりません。
もし、社会への貢献度で人の価値が決まるのであれば、一体、何人~何人までの人に貢献すれば価値が認められるというのでしょうか。
この点も、根拠①での考察と同じで、明確に計ることなど到底できません。

たとえ、いわゆる低学歴・低収入の人であっても、人と関わることで、それ自体が社会にとって、その人の存在価値だと言えるのです。
「自分には価値がない…」と無駄に落ち込んでいる人は、他人が決める価値なんて所詮、その人だけの“価値観”の問題であり、自分の価値を決める絶対的な基準などない、ということを理解しておくべきでしょう。

最後に

と言っても、「社会では学歴や年収で価値が決められているじゃないか」という反論もあると思います。
しかし、そこで決められているのは価値ではなく、あくまで“基準”に過ぎません。
そして、その基準にも対して根拠はありません。

例えば、冒頭で紹介した、“四大卒”の条件を課している企業は、その基準を設けているがために、”学歴はないが優秀な人材を採用するチャンス”をみすみす逃しているのです。
繰り返しますが、人の価値は学歴・収入に限らず、どんな尺度でも計れるものではありません。
そのステータスがないからと言って、いたずらに悩んだり心配したりする必要は、まったくありません。

 

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